魔道士見習いミハエルのニセ勇者道

ゆで魂

第1話 母から娘への挑戦状

「そうだ、勇者召喚しましょう」


 偉大なる女王陛下の口からそんな言葉が飛び出した時、ある者は耳を疑い、ある者は凍りついたという。


 ここは玉座の間である。

 重そうなバラ色のドレスをまとっているのはフォルトナ国の女王マリアンナ。

 両親の急逝きゅうせいにより十三歳にして即位し、この国を危機から救ってきた名君である。


 床に触れそうなほど長い髪は月光のように眩しく、淡いブルーの瞳は穏やかな海を思わせる。

 出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ美ボディは、とても三人の娘を産んだとは思えないほど均整が取れており、国民にとっては宝のような存在といえよう。


 この大陸には七つの国がある。

 その昔、マリアンナをめとるため隣国が対外戦争を仕掛けてくるという寓話ぐうわのようなエピソードがあった。


『自分たちの女王を奪われてたまるか!』という気持ちでフォルトナ国は一致団結、敵軍を完膚かんぷなきまでにやっつけたという過去がある。

 

 王は民のために。

 民は王のために。

 それをもっとも体現しているのがフォルトナ国である。


 話は勇者召喚に戻る。

 いかに不吉なキーワードなのか、大臣たちの顔色を見れば一目瞭然りょうぜんというやつだろう。


「お恐れながら女王陛下」


 マリアンナに二十五年も仕えている老臣が進み出た。


「現在、フォルトナ国は富んでおります」


 全員が全員、暮らしに余裕があるわけじゃない。

 しかし食べ物に困っている人、仕事が見つからない者は建国以来ほぼ最低を記録している。


 マリアンナが金貸しに関する法律を定めたお陰で、法外な利息を取っていた業者は一掃された。


 魔物の被害はちょくちょく報告される。

 それも統計を取り始めてからもっとも低い水準だろう。


 懸念点があるとすれば移民問題か。

 隣国の一つで内乱のような状態が続いており、フォルトナ国は移民の保護政策を行なっている。


 国民の負担が増えるということで世論を真っ二つにする問題となったが、移民の一部はフォルトナ国に馴染み、徐々にプラスの結果を生みつつある。


 つまり、この国に問題はない。

 老臣が言葉を尽くして説明すると、他の大臣たちも同調した。


「オズよ。オズはいますか」

「はい、ここに」


 白髪に眼鏡の人物が進み出てきた。

 魔道士長のオズワルドだ。


 年齢は四十歳でマリアンナと同世代。

 面倒見がよく部下からも慕われるオズワルドであるが、鋭い目つきと氷属性の魔法を得意とするせいで、『氷魔帝ひょうまてい』という大仰おおぎょうなあだ名を他国からもらっている。


「正直に申してください。勇者召喚にかかるコストは如何いかほどでしょうか」


 女王陛下から尋ねられたオズワルドは勿体もったいぶった仕草で眼鏡のブリッジを持ち上げる。


「過去の例を参考にしますと……」


 隠すことじゃないので具体的な数字を並べていくオズワルド。


 高い、いや、高すぎる。

 そもそも勇者召喚とは国が滅ぶかどうかの瀬戸際に使う裏技のようなもの。

 メリットが保証されているわけでもなく、平和な時に実施すればリスクの方が大きくなる。


「オズの意見を聞かせてください。勇者召喚する価値はあると思いますか」

「ないとは言い切れません。勇者というのは本来、国に富をもたらす存在でしょう。切り札として温存しておくべき、というのが私の意見でございます」


 マリアンナに信頼されているオズワルドも勇者召喚に否定的と分かり、ほっと安堵あんどする空気が流れた。


 しかし、この日の女王陛下は頑固だった。

 用が済んで下がろうとしたオズワルドを呼び止めたのである。


「勇者召喚はコスパが悪い。それがオズの意見ですね」

「おっしゃる通りでございます」

「でしたらオズに命令です」


 マリアンナは手元の扇をパチンと閉じて、先っぽを魔道士長へ向けた。


「コスパの良い勇者召喚を考えるのです。今までの半分のコストを目標にするのです」

「半分でも多いくらいです。増税が避けられなくなります」

「でしたら半分の半分を目指しなさい」


 無茶すぎる要求に場がざわついた。


「過去例の二十五パーセント以下ですか」

「そのくらいなら国庫に余裕がありましょう」


 勇者召喚にかかるコストは主に二つ。

 国中の魔道士を動員するための費用。

 金銀財宝といった供物くもつをそろえるための費用。


 魔道士を動員するといっても、単に集めたら終わりという訳ではなく、彼らが実力以上のパフォーマンスを発揮できるよう、上質な食べ物を与え続けないといけない。


 最後に勇者召喚が行われたのは二百年以上前。

 凶暴なドラゴンによって国土の半分が焼かれたからであって、もちろん当時の空気を知る者はいない。


「いつか勇者召喚が必要となる日が来ましょう。今回の研究は未来への投資という意味もあります。国民の暮らしをもっと豊かにするのです。そのために安価な勇者召喚を研究して、一度は実行するのです」


 マリアンナの主張は筋が通っており、いかに切れ者のオズワルドといえども真っ向から反対できない。


「研究するのは構いません。安価な勇者召喚とやらを一回実施するのも構いません。しかし、お金をドブに捨てる結果になるかもしれませんよ」

「氷魔帝と呼ばれたあなたが、挑戦する前から言い訳ですか」


 穏健なマリアンナらしくない。

 全員がそう思いつつ、反対の言葉を口にできなかったのは、優しいアクアブルーの瞳に決意の光が宿っていたから。


 いや、一人だけいた。

 靴音が迫ってきてオズワルドの真横で止まった。


「お母様!」


 マリアンナを母と呼べる者はこの国に三人おり、やってきたのは長女のユースティアだった。


 容姿は母に似ている。

 違いがあるとすれば目の色で、青系統の母に対して、娘のユースティアは赤系統だ。


 若かりし頃のマリアンナに似ていると評判のユースティアは、臣下のようにひざを曲げて、セピア色のドレスを床につけた。


「どうしても勇者召喚の儀式を実行するつもりですか? この場にいる全員が反対してもですか?」

「この場にいる全員? もしかして、ティアも反対なのですか?」

「当然でしょう」


 ユースティアは十七歳であるが、真っ向から母に反対するのは初である。


「オズの検証が失敗すると思っているのですか?」

「もちろん、一定の成果をあげると思っております」


 ユースティアが意見した理由。

 名君としての評判に傷をつけてほしくないから。


 勇者召喚をやったら他国から注目される。

 もし不幸な結果を招いたら笑い者にされる。


 女王陛下一人の問題じゃない。

 国民全員のプライドに関わってくる。


 頭のいい母がその部分を知らないはずはない。

 できるだけ危険な橋は渡ってほしくない。

 娘としての切実な願いである。


 国民を豊かにする。

 大義として立派だろう。


 しかし豊かさには限界がある。

 もっと豊かに、もっと豊かに、の先に待ち受けるのは自壊じゃないだろうか。


 ユースティアがそこまで説明すると、大臣たちは嬉しそうにうなずき、母も天使のように笑った。


「分かりました、ティア。私のメンツを気にかけてくれたのですね。あなたは本当に優しい娘ですね」


 マリアンナは王座から立ち上がると、ゆっくりと階段を降りて、娘の肩に手をのせた。


「でしたら、あなたが責任者として勇者召喚を実行するのです。オズを補佐につけます。必要なものは何でも申し出なさい。ティアは次期女王ですから。私の後継者に相応しいと、国の内外に示す絶好のチャンスとなりましょう」

「そんな⁉︎」


 母から娘への挑戦状であった。

 ショックを受けた老臣の一人が「なんということじゃ〜!」と叫んで気を失った。


 柱の陰にもう一人。

 ユースティア同様、手を震わせる若者がいた。


(大変なことになった⁉︎)


 名はミハエル。

 十七歳の魔道士見習いで、ユースティアとは幼馴染の男の子だ。


 特徴はなんといっても黒髪だろう。

 この世界では非常に珍しく、時代によっては幸運の印とされたり、悪魔きと呼ばれたりした。


 髪や肌で人を差別することは、現代だとタブー視されており、黒髪で有利になったり不利になることはない。


『地味で根暗そうな男の子』

 そんな印象を与えるくらい。


 悔しそうにしているユースティアになぐさめの言葉をかけたいミハエルだったが、場の雰囲気と身分の違いがそれを許してくれなかった。

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