第32話 アジャーラの冒険1

 アジャーラは、ほぼ毎日浅香家の作業小屋に通って、医療用のWPCを活性化している。高校にも通っているが、受ける授業を取捨選択して、基本的には半分程度しか受けていない。


 例えば、英語や数学、理科についてはすでに彼女のレベルは高校の授業を越えているので実際のところ時間の無駄ではある。しかし、全部に授業を受けていないのは、最初の段階で医療用WPCの活性化をして金を稼ぎ、早くオサムへの借金を返して、それなりの貯金を作りたいということが主たる動機であった。


 そして活性化を始めてみると、最初のうちは4時間ほどもかけて活性化できるのは精々2台であったものが、3台、4台と増えているし、日々WP能力が伸びているのを実感している。


 一方で、土日もある程度頑張れば、最初から月に60台程度の活性化は可能であったので、税抜きで月収300万円ほどもあった。母のベジータの手取り22万円であるから、母に正直なところを言うのもためらってしまった。だから、オサムへの借金は活性化を始めて2回目の月に返してしまった。


 ちなみに、彼女への活性化の報酬は、WPC製造㈱が税金等を差し引いて支払っている。彼女の場合には、年収は間違いなく5千万円は超える見込みなので、税などの差し引かれる経費は50%を超えることになる。それでも、彼女に不満はない。現状のところ母と2人不自由なく“文化的に”暮らせているので大満足である。


 だから当面の借金を返してしまえば、活性化というのはそれなりに疲れる作業であるので、のんびりやってもいいと思った。しかし、そうさせてくれないのがWPC製造㈱である。会社には、世界中から悲鳴交じりの要求が日々押し寄せており、それはアジャーラの担当である日坂みどりからアジャーラへのプレッシャーになっている。


 そして、WPC製造㈱は半官半民の会社であるから政府機関へも通じており、アジャーラの高校の授業内容にも手を伸ばせるのだ。その働きかけの結果が、本来許されるはずのない高校の授業を半分程度受ければ良いという措置である。これは、文科省から県の教育委員会に下り、高校への指導になっている。


 WPC製造㈱としては、現在3人しか見つかっていない医療用WPCを活性化できる人材の、時間を出来るだけ活性化に費やしてほしいと言う思いからのことである。ただ、医療用WPCは、WPC製造㈱にとっては経済的にはそれほど重いものではない。


 それより、乗用車に用いるR-WPCや発電用WPC等は、数が出るだけにその売り上げはずっと大きい。またWPCの単価についても、発電に必要なEE-WPC及びCW-WPCがセットで500万円という価格が付いているなど、医療用より高いものもある。


 燃料なしに5万㎾の発電ができる発電用WPCが500万円というのは安いと誰もが思う。その意味では、医療用WPCの国内100万円、輸出2万ドルという価格が激安であるが、最初に作ったオサムの意向であり政府も認めているので当分は値上げの予定はない。


 そういえば、ある研究者が“医療用WPC1000台当たりの経済効果”という論文を発表していた。その結果は2兆円と莫大な額になっていて、アジャーラもそれを読んだとき目を疑った。


 しかし、ちゃんと読むとそのWPCのお陰で2台セットにつき平均200人の命が救われ健康に働く、さらにその倍の人々の病気や怪我からの回復を1/3の期間にする。加えて慢性病の患者を健康に働けるようにする。


 これらの効果を全て合わせれば、1000台の医療用WPCの経済効果が2兆円というのはあながち誇張ではない。そしてそのWPCの価格が日本では10億円なのだ。アジャーラはその論文の内容を理解したとき、自分がそれを活性化できる少数であることを誇りに思い、活性化を頑張らなくちゃと思ったものだ。


 ちなみに、彼女の東村山高校の授業であるが、高校も彼女の基礎的な教科の理解のレベルの高さを理解したので、彼女の希望を聞いた上で教育委員会の指導を受け入れている。


 彼女が自主的に選んだのは、音楽と美術に歴史である。歴史は日本史と世界史があるが、とりわけ彼女が楽しんで受けているのは世界史であり、ウズベキで習った内容と、その視点が全く違うのに新鮮さを覚えている。


 また定期試験は自ら望んで、全教科受けているが、授業を受けていない教科も自主的に勉強はしているので、学年10位以内には入っている。そして彼女の高校の生徒は、全てすでに処方を受けて知力が増強されている。


 ちなみに、彼女はまれにみる知力の高さを見込まれて、祖国のエリート学校の厳しい教育を受けてきた。そのまま田舎の故郷に残れば、貧しい自分の教育は中学校までだったろうから、高い教育を受けさせてもらったことには感謝している。

 

 しかし、厳しい競争を強いて、落ちこぼれる者の人格を認めないその学校の在り方にはうんざりしてきた。だから、日本の高校ののんびりした豊かさは、彼女には非常に居心地がいいものだった。彼女にはオサムのように、高校に行かないという選択肢もあったが、彼女自身が望んで可能な限りは通いたいと思っている。


 彼女は月に120台、週に30台の医療用WPC活性化のノルマを背負っており、一日に3時間から4時間をWPC活性化に時間を費やしている。高校から浅香家それから彼女のマンションまでは、いずれも自転車で10分強であり、授業に合わせて行き来をしている。


 その中で日課にしているのが、浅香家に隣接している意心館での稽古である。アジャーラもウズベキスタンで武装ゲリラに襲われようとした経験から、自分のスキルの希少性と危険性は承知している。だから、ある程度の自衛の能力が必要なことは自覚しているので、身体強化を使いこなすことには熱心に取り組んだ。


 その意味では“働く場所”に隣接する意心館は、自らを鍛えるためには理想的な便利さであり、かつ学ぶ意心館は身体強化を使いこなした武術という意味では最強とされている。そして稽古を始めて半年、身長と体重にはハンディがあっても彼女には恵まれた身体能力と高いWP能力があった。


 そのため、早さと柔らかさを重視する意心館にあって、彼女はどんどん強くなっていった。今では、道場の女子部120人の道場生でも上位1/3程度になっているので、身体強化無しだと男子の柔道3段相当になる。


 浅香家の作業小屋で、活性化をやっている彼女のスマホにその着信があったのは、18時前であった。番号は母のベジータであり、何だろうと思って応答すると知らない男の声が聞こえる。


 一気に緊張した彼女の耳に「お前の母は預かった。また彼女に会いたければ、後で掛ける電話の指示に従え。このスマホは破壊する」と聞こえプツリと切れた。言葉通り、スマホを壊したのだろう。


 GPS機能のある誘拐した相手のスマホを持って歩く間抜けはいない。彼女はすぐに自分のスマホのアラーム機能をONにした。それは、意心館、村山警察署、公安警察の某部署に警報が鳴り響き、さらにオサムのスマホに警報が表示される。


 基本的には、アジャーラはオサムに準ずる警備体制下にあり、彼女の行動は常にGPSで行動を監視されている他に、外では上空からドローンで見張られている。さらに、浅香家は見張られている可能性が高いということで、彼女がそこから出る場合には家に到着するまで意心館からの護衛が付く。


 さらに、村山警察署には護衛班がいて、専従者は2人であるが、専用の白バイ2台とパトカー1台が割りあてられており、必要な時には村山署から人員を抽出できる。それに加えて、必要に応じて朝霞駐屯地からのヘリによる自衛官の小隊の出動を要請できるようになっていて、同駐屯地にはそのために組織がある。


 全体の指揮を執るのは公安警察の中村警視であるが、現場指揮官は村山警察署に配置されているベテランの栗田警部補である。アジャーラとベジータのスマホにはむろんGPS機能が付いているが、そのほかに上腕に巻いた柔軟性のある腕輪にGPSを仕込んでいる。


 だから、ベジータはアジャーラと共にその行動記録は常に記録されているが、ベジータの場合にはドローンによる監視や人による護衛はない。これは基本的に、彼女らを故意に傷つけるようなことをすることはあり得ないという判断と、万が一攫われても奪還すればよいということだ。


 結局、ベジータには、オサムやアジャーラほどの重要性はないというのがこの判断の背景にはある。しかし、アジャーラにとっては自分の身の安全より母の方が重要である。


「こちら村山署の栗田です。ああ、アジャーラかな?」

 彼女のスマホが鳴って、栗田(村山署)と表示が出るのに応じる。

「はい、アジャーラです。母が攫われました。今は北西方向ですね」


「ああ、やはり。君のお母さんだね。今信号が出ていない。市内の高速道の村山インター付近で消えているな」

「ということは、母さんの腕輪が取られたのですね?」


「ああ、検知器で見つかったんだな。多分、高速道に乗ったんだろう。アジャーラは場所をつかめるんだよね」

「はい、方向は南西、距離は45㎞程度でしょう。かなり早く動いているようです」


「ふん、高速を移動しているな。ええと君は、今浅香家だね。じゃあ、すぐにパトカーで行くので待機していて。それから、意心館には人と車を出してもらうように頼んでおく」


 アジャーラは、オサムに教えられてWPで探査をすることができるが、当然母などなじみの深い人物は100㎞以上離れていても位置がわかる。また、意心館には場合によっては協力するようにあらかじめ話はついているのだ。


 浅香家には、今は家政婦しかおらず、オサムは京都に行っている。彼からかかってきた電話にアジャーラは事態を説明しておく。


『冷静に、冷静に。自分が狼狽えたらお母さんを救出できない。探査を出来るのは自分だけだから、自分で案内するしかないのよ、落ち着け、アジャーラ!』

 彼女は懸命に自分に言い聞かせながら、次の行動を考える。


『次は、お手伝いさんに伝言して、戸締りして玄関で待つことね』

 彼女の服装は作業着ということでラフなパンツルックなので、着かえる必要もない。だから、内線電話で外出することを家政婦に伝えて、サイレンが近づいてくるのを聞きながら、戸締りして玄関を出る。


 玄関には、すでに意心館の館長の広田以下4人が乗ったランクルが待っていて、アジャーラに声をかける。


「やあ、アジャーラ。話は栗田さんから聞いたよ。心配だろうが、俺たちがパトカーを追っていくので当てにしてくれ」

 広田館長が、真剣ながらリラックスした顔で声をかける。あまりに緊張するのはマイナスだとよく解っている武道家らしい表情だ。


 パトカーはすぐにやってきたが、サイレンの音を聞いて中にいた家政婦の黒木さんが出てくるが、彼女とも親しい広田館長が状況を説明している。アジャーラは栗田警部補に招かれて、後部座席に乗った。パトカーには運転手と助手席の警官と、後部座席には栗田とその部下の安田が乗っている。


 アジャーラの隣は安田で、パトカーが高速道のインターチェンジに向かって走り始めたところで、安田がタブレットを差し出して言う。

「アジャーラ、お母さんはどこか示せるか?」


 タブレットには100㎞圏内の地図が示されている。アジャーラはその地図をじっくり見て、まずは、村山インターチェンジの位置、鉄道と駅の位置を参考に、自分の現位置を特定する。


 そして、自分の頭の中の探査WPを地図に慎重に重ねて、その探査を母の現位置に伸ばしていく、そして差し出されたタッチペンで安田の膝の上のタブレット上のその点を指す


「おお、G県か。もう一般道に下りているな。山道をN県に抜けるつもりだな。それじゃあ、栗田さん、中村警視に情報を送ります。G県警に協力を要請してもらいましょう」


「ああ、俺が連絡しよう。岸君、高速に乗って、〇×インターで降りてくれ。高速に入ったらサイレンは止めよう。それと後続のランクルが付いて来られるように気をつけてな」

 栗田が答え、さらに運転手に指図して、スマホを使う。


「ああ、中村警視殿。ホシの車はG県の県道〇×号線を北上しています。現時点の位置情報をそちらに転送します。G県警に協力の要請をお願いします。それと、ヘリが待ち構えているとまずいので、自衛隊のヘリを要請した方が良いと思いますが……。あ、ああ。ハイ分かりました。じゃあお願いします」


「G県警にパトカーを出して貰うように依頼というか命じてくれるそうだ。自衛隊の朝霞駐屯地からヘリを出して、上空を封鎖してくれるから空には逃げられない。まあ、位置をつかんだ時点で逃げようがないが、なにしろ人質がいるからなあ。刺激して傷つけられるとまずい。アジャーラ、お母さんのことはなにか解るかな?」


 栗田が聞くのにアジャーラが答える。

「ええ、少なくとも意識はあって、怖がってはいますが、傷ついたりはしていません」


「うーん、そうか。誘拐されるまでの位置情報からみると、家への帰りの自転車を止められて、車に連れ込まれてそのままのようだね。すぐにスマホを取り上げ、アジャーラに連絡をしてそれを壊したということだな。今のところその目撃情報はないが、攫われたと思われる地点だと人通りがないからなあ」


 栗田が言う。その間にアジャーラは拡大された地図上で母の移動の軌跡を描いており、安田が通過地点の交差点や目立つ施設を読み上げている。G県警はその声を頼りに容易に誘拐犯の車を追えるだろう。やがて、中村警視から連絡が入った。


「G県警の交番の警察官から連絡が入った。誘拐犯の車は黒のランクルで、ナンバーの末尾は02だ。5人が乗っていると思われる。目標の車は、目立たないように交通規則を守って走行しているので時速は精々30km台だ。

 7㎞先に木倉市の警察署があるので、そこから出動して先の県道で足止めするので、君らも急ぎ追いつけ」


 スマホのスピーカー機能を使った中村の声が一旦途切れ続ける。

「そして、アジャーラ。君のWPのパワーと、使える能力の多彩さはかのオサム君に近いと聞いている。その一つがいま大いに役立っている探査だな。君が君の母上の救出に貢献してくれることを望むよ」


「はい、絶対に無事に助けます!」

 アジャーラは、自分も母の救出に携われることに安心した。そして、中村警視の措置に感謝した。探査といくつかのWP能力を組み合わせられれば、自分が自ら能力を使った方が絶対に安全に母を救出できる。

 そう思い拳を握りしめるアジャーラだった。

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