第27話 アジャーラ母娘の日本生活

 アジャーラが母のベジータさんと来日したのは3月末であった。彼女は、東部村山高校に留学ということで入学しているが、これは彼女の年齢では無目的ではビザが下りないためである。


 基本的に、途上国から日本に仕事のため、あるいは住むために来るのは非常にハードルが高い。身元引受人は、我が家の母ということで問題はないが、大人の場合には確かな就職先が必要である。


 アジャーラの留学についても送り出し側、受け入れ側の了承と、期間・内容などきちんとした計画が必要である。この点は、人材を手放したくないウズベキスタン政府はともかく、日本大使館が積極的に動いてくれたので、クリヤーできた。


 ベジータさんは、自分も日本で働くことを望んでおり、そのためにウスベキにいる時から、頑張って日本語の勉強をしてきている。まだまだ、会話はたどたどしいが、基本的な単語は覚えて、簡単なやり取りはできるようになっている。彼女もアジャーラほどではないが、優秀な頭脳であるようだ。


 このように、途上国では優秀であっても、教育の機会が得られずに埋もれる人材が数多いことを考えると、胸が痛む思いだな。その点では、娘のアジャーラは国が人材の発掘に取り組んだ中で見いだされたわけであり、ベジータさんの時代にはまだそういう動きはなかった。


 アジャーラについては、学業の内容と進度は現地にいる時に確かめたが、結構過酷な詰込み授業を受けていたが、その中で彼女はトップの成績でほとんど完全に理解して記憶している。


 むろん、授業の内容は日本とは違うし、近代社会ではあまり意味のない内容もあるが、一通りの内容は網羅している。例えば、英語はほぼ完全にマスターして会話、読み書きまで問題がない。


 あとは文化的な背景を飲み込めば、まったくネイティブと同等であろう。また、数学、自然科学、地理については日本の高校卒業までの内容がすでに終わっている。ただ、歴史や政治・経済については、相当に学んだ内容は偏っているが、本人もそのバイアスに気が付いているようだ。


 だから、僕としては彼女が自分と同じで、日本の高校で1年から3年の過程を学ぶことにあまり意味はないと考えた。また、日本に受け入れた時点では、彼女はまだWP能力の発現をしていないが、僕は彼女が医療用WPCの活性化はできるレベルであると考えている。


 だから、その時点で周りの見る彼女の価値は全く変わってくるはずなので、東部村山高校へ通学は都合のつく時のみにしたいと考えている。


 彼ら2人に用意したマンションは、わが家から1㎞ほどの住宅街で、5階建ての2階であり、2DKの80㎡だから彼らの村のあばら家と同じ程度の広さだ。僕が、彼らが少し落ちついた頃訪れて、『前の家と同じ程度だね』と笑ったら、2人が全く違うと半ば怒って言った。


 明るくて奇麗だし、電化製品もすべて揃っていて、なんでも簡単にできてしまう。彼らに言わせると夢のような家だそうだ。そういえば、前の家はガラスがなくて、ヒンジで開閉する板の窓だったから暗かったな。また、トイレは外で当然ぼっとん式だし、シャワーすらなく、煮炊きはマキで冷蔵庫もない。

 

 でも、大変気に入ってくれているようなので、僕としては満足だ。ベジータさんはそのマンションから、勤務先の工場までの1.2㎞を自転車通っている。工場では、100人ほどの女性ばかりの同僚がいて、お菓子の製造時に念を込める役割と、自動で包装までされるお菓子の梱包をやっている。


 彼らは、近所のおばさんというタイプばかりなので、特に問題なく溶け込めたようだ。茶飲み話にもたどたどしくはあっても付き合っているという。彼女は正社員として採用されて、給料も新入社員として手取りで20万円を少し超える程度だ。


 もちろん縁故入社だけど、同僚の人々も皆そうだから文句を言う奴はいないよ。20万円の月給は、ベジータにとって夢のような大金であったが、今の住んでいる家を家賃を出して借りると月に8万円とかを知ると、贅沢ができるほどではないことが分かってくる。


 実は僕が出しているけど、家賃と共益費は社宅ということで無料と言われており、水道・光熱費のみを払っている。もとより、2人とも贅沢などをする術を知らないので、その金で免除されている高校の授業料以外の費用も支出して十分暮らせている。


 というより、2人にとっては贅沢な暮らしだ。なにせ、毎日風呂に入れて、安く買える食材を豊富に使えて冷蔵庫もあって、ガスで簡単に料理ができるし、洗濯機、掃除機もある。


 そして、ベジータさんは“常識”と言われて化粧もするようになったし、ユニクロのレベルだが下着も含めて少しおしゃれな服も買うようになる。これは、女子高生に交じって耳年増になった娘のアドバイスもある。

 すると少し肌色は浅黒いがスタイルが良く、もともと素材の良い彼女は、人目を引くほどの美人になってきた。まだ35歳だもんね。


 以下は母娘のウズベキ語の会話である。

『お母さん、ちょっと聞いたのだけど随分会社でもてているようじゃないの?プロポーズされたとか』


『え、ええ。そう言われたけど、からかっているのよ。言葉もまともにしゃべれない私と結婚する人なんかいないわ。それに、私にはアジャーラがいるもの』


『いえ、真面目な話だそうよ。私の学校の生徒の親戚の人らしく、その人から私にも話してくれと言うことで、私に話があったの。その人は40歳で、なんでも5年前に奥さんを亡くしたそうね。

 会社の管理職だそうだから、いい話だと思うよ。私もお母さんがそんな風に落ち着いてくれれば嬉しいわ。お父さんが亡くなって母さんも苦労したものね。私は日本人の男の人は優しいと思うから、相手が思ってくれるならお母さんも幸せになれると思う』


 アジャーラは正直に言って、亡くなった父のことはあまり評価していない。優しい時もあったが、すぐ感情的になる面があった。それに才覚のない人だったと思う。田舎の小さな農場を耕して良しとしていて、いよいよ食えなくなってサマルカンドに働きに行ったが、いかにも場当たり的だった。


 比べて、母は奇麗で、歴然と父より頭も良いが、積極的な人ではないから流されがちだ。彼女としては日々奇麗になる母とそれを見る周囲の男の目を感じて、母の再婚はありうると思っていた。そして、彼女は自分としては母が再婚することには反対ではなかった。経済力のある優しい人と再婚して、幸せになってほしかった。


 彼女は学校で、母と再婚を望んでいる人の話を聞いて、自分でもできるだけ調べて見た。とは言っても僕を通じてだけどね。相手は高菜健司という名の、40歳のみどり野製菓の高専卒のエンジニアである生産管理課長である。


 切れるタイプではないが実直で、部下には優しく、場合によれは部下のために上に意見をする面もあるらしく、母は”立派な人”と言っている。


 実家は遠くて、自分で一戸建てを買っているので、親戚付き合いに苦労をすることはないだろう。みどり野製菓は2年前から有数な高収益企業になっているので、現在の年収は1千5百万を超えている。それに、今後も左前になる可能性はほとんどないので、経済的に困ることはないだろう。


 もっとも、いのちの喜びを売り出す前の彼の年収は7百万位だったから、随分な昇給ではある。そういうこと僕はアジャーラに伝えたが、喜んでいたものの複雑な表情だったな。まあ、実質たった一人の肉親だからね。


 そのような母に関しての話が進行しつつも、アジャーラは楽しそうに高校に通っていた。ウズベキでも学校には通ってはいたが、国の将来を託すというエリートを育てるための学校であり、日本の普通の高校のようにのどかなものではなかったようだ。


 進度が極めて速く、落ちこぼれれば退学であり、体罰も当たり前で、生徒間の競争も激烈で、お互いが完全なライバルであったという。授業が終わっても到底休むなどできずに夜中まで勉強することが常であったと言う。


 アジャーラ自身は復習・予習は割に早く終わっていた。しかし、一人早く寝るのは嫉妬を買うで、皆に合わせて勉強するしかなく、その時間が苦痛だったようだ。


 その意味では、日本での高校生活は彼女にとって大変快適である。来日時には日本語の会話には不自由がなくなっていた彼女は、積極的に日本人の友人を作るべく努力した。周りの生徒も、達者な日本語に驚きつつも、積極的に絡んでくる彼女に悪い気はせず、まだ書くほうは不十分な彼女を助け、普通に付き合うようになった。


 アジャーラがWP能力に目覚めたのは6月の始めだった。早朝、彼女は僕にスマホで連絡してきた。

「オサム!WPよ!わたし目覚めたわ!」


 ちょうど朝5時僕が目を覚ました時だった。呼び出し音が鳴って、興奮してそう叫ぶ彼女をすぐに家に呼んだ。彼女が、まだ暗い道を自転車に乗ってきたので僕は作業小屋に案内した。


『どう、彼女のWPは?』

 彼女に並んで歩きながら、バーラムに聞くと『ふむ、なかなかだ。お前に劣らんな。可能性は大いにある』彼はそのように答えた。


 アジャーラの興味は医療用のWPCが活性化できるかどうかなのでバーラムの言葉をそのまま伝える。

「いけそうだね。まあ試してみるかい?落ち着いてからにする?」


「やります。やらして下さい」

 アジャーラはこぶしを握って言う。


 彼女には医療用のWPCは何度も見せて、きちんと隅々まで回路を理解させている。だから、WPの出力が必要な強さであれば活性化はできるはずだ。僕は、用意しているCR-WPCの回路を刻んだ素材を金庫から取り出して、作業台に乗せる。


 僕にとっても、この瞬間は重大である。地上で唯一の者から転落するかも知れないのだ。とはいえ別に深刻ではないけどね。アジャーラがその能力を身につけるのだったら楽ができるし歓迎だ。姉さんももうすぐだと思うけど、僕との能力の差を考えるとたいした数はできないだろう。


 でも、僕にもWP能力の濃さを感じることができるアジャーラだったら、最終的には僕なみの数を出来るはずだ。それで、僕も大分楽ができるというものだ。アジャーラが活性化を始めた。僕は見守っている(WP能力上の表現だよ)けれど、まだたどたどしい。


 僕はそっと自分のWPを、彼女が素材に回路を刻んだ懸命に伸ばしているWPに重ねた。そして彼女が受け入れたところで、優しくまずはこうして、次はこうしてと導く。まあ、ぴったりくっついてダンスをやるみたいなものだ。


 最初は彼女も驚いていたようだけど、すぐに僕のWPであることを感じて、素直にその指導に従うようになった。どんどん回路に彼女のWPを刻み込んでいく。

 やはり彼女のWPは力強く、何度もなぞることなく一度で各部分の活性化が順調に進んでいく。僕はそっと自分のWPを引き離していくが、それにも気づかずに彼女による活性化は進む。


 そして、1時間強で彼女は記念すべき最初のCR-WPCの活性化を終えたのだ。まだ朝の涼しい時間であったが、彼女は極度に集中した作業のために、額に汗を浮かべて、疲れた顔をしていたものの満足そうだった。


 そして、椅子に座った彼女の横に立った僕の顔を見上げて、にっこり笑ってぴょんと立ち上がり僕に抱きついてきた。僕はその体を抱きしめて「おめでとう。これで、アジャーラもWPの能力者にして医療用WPC製作者だ」そう耳元にささやく。


 15歳になって、身長が178㎝の僕に対して彼女は16歳の160㎝で、ちょうど僕の胸にすっぽり収まる。日に日に女らしい体つきになり、胸のふくらみもどんどん大きくなっている。

 2人きりの作業小屋ということもあるのだろう。僕は反応しようとする下半身を必死に宥めて押さえたよ。だけど、その朝は本当の意味で一体感を感じたね。


 僕は彼女に言って、残してきたマンションのお母さんに連絡をさせて、わが家で朝食を摂ることを伝えさせた。彼女も能力発現と、そのために僕のところに行くことはベジータさんに言っていたので、問題はないようだ。


 医療用WPCの活性化は彼女の当面の目標とは伝わっているのだろう。嬉しそうにベジータさんに電話している。

 僕は、トレーナ姿のアジャーラを連れて母屋に行った。台所では母が朝食の支度をしている。母はみどり野製菓の専務取締役として忙しい今でも、朝食の準備は自分でするのだ。とはいえ、食材の準備はお手伝いさんがしてくれているけどね。


 入ってきた僕らに振り向く母に言った。

「母さん、アジャーラが目覚めたよ。そして、今CR-WPCの活性化に成功した。今日僕は、彼女に付き合って身体強化とか、IC-WPCの活性化とかに取り組むよ。ということで、彼女の朝食もお願いします」


 瞬間母は固まっていた。母は娘のさつきが目指していることもあり、その活性化能力の重要性をよく承知している。でもすぐにアジャーラににっこり笑いかけて言う。

「おめでとう、アジャーラ。良かったわね。医療用のWPCの活性化のできる世界で2人目になったわけだね。まあ、そこに座って。あなたの朝食を用意するわ」


「ありがとうございます。私、本当にうれしいです。では、遠慮なく頂きます」

 彼女が椅子に座った時に、ちょうど半分寝ぼけ眼で父が入って来るが、アジャーラに気が付いて目を見開いて言う。


「お、おう、おはよう。アジャーラもおはよう。今日は?ああWP能力が?」

「おはようございます。ええ、今朝です。それで、さっそくオサムに指導してもらっていました」

 アジャーラは立ち上がって折り目正しく頭を下げる。


「ということは、医療用のWPC活性化に成功したということ?」

「はい、でもオサムに指導してもらいながらです。でも、次は自分一人でできると思います」


 その朝の母佐紀は、炊き上がったごはんは十分あるのでいいとしても、3つのおかずを4つに分けて、アジャーラの朝食を用意した。そして朝の団欒をしながら、これが近い将来のわが家の普通になるのかなと思ったらしい。


 その日は、彼女に学校を休ませて身体強化の使い方などを指導した。そして、その合間に今度は一人でIC-WPCの活性化をやらせた。時間はかかったけど、流石に賢い彼女でこちらはさほど戸惑うことなく、一人で活性化をやり遂げたよ。


 そして、その日僕はアジャーラに医療用のWPCの活性化に付随するあれこれを説明した。

「アジャーラ、これは前にも言ったけど、医療用のCR-WPCとIC-WPCの活性化にはWPC製造㈱から1台につき10万円が支払われる。多分、君の場合には1日に3台程度は無理なくできるだろうから、随分いい収入になるよ」


「ええ、凄いです。私にとっては夢のようなお金です。それで、借りていたお金も返せるわ」

「うん。まあそうだね。収入としては大きいけれど、そのWPCの値打ちは判るだろう?」


「はい。それで、お母さんの命を助けてくれました。私もお母さんも払えるお金は余りないけれど、お金持ちはいくらお金を出しても欲しいでしょうね」


「うん、そういうことだ。CR-WPCとIC-WPCはWPC製造㈱のみが売っている。そしてその値段は1台が日本では百万円で、海外に輸出する場合は2万ドルだ。それを1台活性化して僕らは10万円をもらえる訳だ。

 そして、その素材と回路を刻んだこれが20万円らしい」


 僕はWPCの銀製の素材を持ち上げて見せ、話を続ける。

「一方で、これは海外では闇で百万ドルと言われている。その回路を刻んだ素材は、ちゃんとした職人なら誰でもできる。しかし、活性化ができるのは僕ら2人だけだ」


「うーん、それは危ないわね。オサムが私の国で狙われたのはそのためだったものね」

「ああ、そういうことで、もちろん君を守るセキュリティの仕組みは必要だ。だけど、アジャーラも身体強化をキチンとできるようにして、身を守れるようにする必要がある」


 こうして彼女が、自分のセキュリティの必要性を理解したことで、僕は熱心に学ぶ彼女に身体強化の指導をした。さらにWPC製造㈱に連絡をして、会社の彼女からの活性化したWPCの引き取り、さらに彼女のセキュリティに関して相談した。担当者がその日に飛んできたけれどね。


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