第7話 こだわり

「……なんで、自分を殺せるかなんて訊くんですか」


 鳳仙花さんが眉をひそめながら尋ねてきた。


「僕は、僕をためらいなく殺せるくらいの人とじゃないと、一線を越えて深い仲になろうとは思えないんですよ。僕は、汚れすぎていますから」

「黒咬君はキレイです! とても、キレイです!」


 鳳仙花さんが怒気を隠さずに睨んでくる。


「そうですか? 僕の経歴がめちゃくちゃなこと、鳳仙花さんなら知ってるでしょう? 色んな人に殺されて、チャンスがあれば色んな女性と関係を持って。一般的に見て、僕はもう汚れきっています」

「そういう問題じゃありません! 黒咬君は、いつも色んな人の心に寄り添おうとします! 心の奥深くにあるのは、他に類を見ないほどの清純さです!」

「それは買いかぶり過ぎですよ。……で、結局どうなんですか? 僕を殺せますか?」

「そんなのどうでもいいじゃないですか!」

「どうでもよくないですよ。これは、僕の数少ないこだわりなので」


 湯飲みを座卓に置いて立ち上がり、キッチンから出刃包丁を一本持ってくる。


「これで僕を殺せたら、鳳仙花さんとのお付き合いも真剣に考えますよ」


 包丁を差し出すと、鳳仙花さんは震える手でそれを受け取った。


「さぁ、ひと思いにどうぞ。今まで散々僕に適当な扱いを受けてきた恨みを、晴らしてみてください」


 鳳仙花さんの前に座り、包丁の切っ先を僕自身の喉に押し当てる。あとは、鳳仙花さんが包丁を引くだけで、頸動脈が切れる。

 それさえできれば望みのものが手に入るかもしれないのに、鳳仙花さんはただ手を震わせるばかり。視線も定まらない。


「僕は死んでも死にません。知っているでしょう? 思い切りやっちゃってください」


 鳳仙花さんが息を飲む。一瞬だけ、手に力が籠もったような気がするが、結局刃が僕の首を切り裂くことはなかった。


「……私には、無理です。手を離してください……」

「でしょうね。それが普通です」


 包丁を回収し、キッチンに戻した。


「普通の人は、例え相手が復活するとわかっていても殺人なんてできないんですよ。僕は殺され慣れ過ぎていて、汚れ過ぎています。鳳仙花さんとは、根本的な部分では生きる世界が違うんです」

「違わない、です……」

「まぁ、もう心の奥ではわかっていると思うので、これ以上は言いません。それに、鳳仙花さんのようにまっとうな精神を持つことが、この世界では大切なんです。僕に好意を持っていいただけるのは嬉しいですが、近づき過ぎるのは止めましょう」

「……嫌です」

「今すぐ諦めてくれとは言いません。少しずつ、忘れてください」

「……嫌です」


 何を言ってもダメそうなので、僕は肩をすくめてベッドに腰掛ける。


「なら、僕を殺せるようになってから出直してくださいね」


 鳳仙花さんが憎々しげに僕を睨む。

 数多くの狂気を孕んだ目を見てきたから、その目も可愛いものだ。


「私、諦めません。黒咬君のそのこだわりも、いずれ変えてみせます」

「楽しみにしておきます。さて、今日は一日学校をさぼってしまったことですし、僕は勉強でもしましょうかね」

「……あと少しでも、私とおしゃべりでもしませんか」

「きちんと勉学に励めと言ったのはあなたですよ?」

「私は、ちゃんと学校に行きなさいと言っただけです」

「成績が落ちたらどうするんです?」

「私が教えます」

「高校生の勉強なんてもう全部忘れたって言ってたじゃないですか」

「……意地悪」

「鳳仙花さんの発言がその場しのぎ過ぎるんですよ。ま、好きなように過ごしてください。お風呂も入りたかったらご自由にどうぞ」


 床に放置されている鞄からいくつかの教材を取り出す。今日進んだだろう箇所をパラパラとめくっていると、鳳仙花さんが隣に腰を下ろす。


「好きに過ごしていいんですよね?」

「僕を押し倒すんですか?」

「……そんな逆レイプ紛いなことしません。ただ、隣にいたいだけです」

「他の女臭い僕には近づきたくないんじゃないですか?」

「……私の匂いで上書きすればいいんですよ」

「僕、鳳仙花さんの匂い、好きですよ」

「……ちょっとよく聞こえませんでした。『の匂い』を省略して、もう一度言ってください」

「ばっちり聞こえてるじゃないですか」

「……え、なんて言いました?」

「お、返しが僕に似てきましたね」

「好きな相手には似るものです」

「あんまり似ないでほしいなぁ。僕はナルシストじゃないので」

「……そこまで同一人物化はしませんよ。安心してください」


 しょうもないやり取りをしているところで、スマホが震えてメッセージの受信を伝えてきた。


「……げ、闇咲からだ。この時間から仕事の依頼かよ。まぁ、夜に依頼が増える仕事だけどさ」


 闇咲魔女やみさきまじょは、俺に『殺され屋』等々の仕事を紹介してきた怪しい人。後ろ暗いこともたくさんしているらしいが、良いこともたくさんしているらしい。

 詳しいことは知らないけれど、たぶん悪い人ではない。


「用件は……ん?」

「どうしました?」

「……特殊な案件、とあえて断りがあるなんて珍しいと思いまして」

「……へぇ。気になりますね」

「急ぎでってありますし、行くしかないですね。すんません、もしかしたら、また明日も学校行けないかもです」


 鳳仙花さんが溜息を吐く。それは、僕が学校に行けないことに対するものか、僕といる時間を邪魔されたことに対するものか。


「……人命に関わるかもしれません。仕事はしてください」

「了解です。そうやって人のために我慢ができるところ、素敵です」

「それは、私を恋人として認めてくれるという意味ですね? わかりました」

「何もわかってないですから。あ、鳳仙花さんがいれば一緒にだそうです。……酒飲んでましたけど、行けますか?」

「ビール一口で酔うほど酒に弱くないですよ」

「じゃあ、行きましょうか。あえて鳳仙花さんもってことは、何かしら危険もあるんでしょう。護衛、頼みます」

「承知しました」


 立ち上がって、軽く外出の準備を整える。

 鳳仙花さんがタクシーの手配もしてくれたので、それがやってくる頃に二人で家を出た。

 さて、今夜はどんな依頼が舞い込んで来たのやら。

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