第2話

 手術は無事に終わった。

 別の患者の手術が予定より早く終わっていなかったらどうなっていたか……考えるだけでも恐ろしい。

 何せ、相手はルーデル公爵家の嫡男様だ。

 この病院も王室からの支援があるといっても、公爵領の領地で運営されているし、多額の支援金を公爵家から受け取っている。


 もし、あのまま死なせてしまえば少なからずうちの病院も非難されるだろう。

 それもこれも、ルビア嬢がいてくれたおかげだ。

 うちで働く医者共は何をしていたんだ? 止血の処理ぐらいできるだろうに、これはあとで集めて説教だな。


「にしても……あの令嬢」


 アカデミーを卒業し、ルーデル病院に配属されてはや五年。

 俺———バレッドは、ふとあの少女のことを思い出していた。

 結局、あのあとルビア嬢は気絶して病室へと寝かされた。どうやら、馬からの転落事故であばらを折って入院していたところを抜け出していたらしい。


「緊張性気胸だと?」

「伯爵、どうかされましたか?」


 ふと、休憩に入っていた俺の横に同じルーデル病院で働いている医者の一人が声をかけてきた。


「いや、さっきの患者の件でな……」

「あ、そうです! お疲れ様でした、伯爵殿……ユラン様の一命を取り留めたと!」

「あぁ、ありがとう」


 手術自体はそこまで難しいものではなかった。

 血をかなり失っていてかなり危険な状態ではあったが、内臓の損傷は少なく、傷口を塞ぐだけで済んだ。

 とはいえまだ安心できる状態ではないだろうが、峠は越えたと見ていいだろう。


「それよりも、ルビア嬢だ」

「ん? あの「悪女」のことですか?」


 ルビア・マクレン。

 今年十五を迎える侯爵家のご令嬢であり、自由奔放で我が強く、癇癪持ちだと手がつけられなくて周囲を困らせてばかりの少女。

 他人を傷つけることに躊躇いはなく、己の望みのみを突き通してばかりだと周囲からはかなり嫌われていると耳にしたことがある。

 しかし、今日見た彼女の印象はまったくの逆だ。


「自分が怪我をしているにもかかわらず、誰一人動かなかった状況で彼女だけ救おうとした」

「あ、あの悪女に限ってそんなこと……きっと、患者で遊びたかっただけなのでは?」

「…………」


 周囲の印象は本当によくないみたいだ。

 俺はそこまで興味はなかったから耳に入れることはなかったが、今まで彼女がどういう道を歩いてきたのかが想像できる。

 しかし、想像はあくまで想像でしかない。結局、自分の見たものでしか判断はできなかった。


(あれはれっきとしたをしていた。到底、人を平気で傷つけようとはしないはず)


 でなければ、己の痛みを我慢してまで止血を行わない。

 処置が終わって気絶してしまったのがいい証拠だろう。


「それに、ユラン様が助かったのは何も止血だけではない」

「というと?」

「ユラン様は緊張性気胸を起こしていた」

「ッ!?」


 ユラン様は傷ついた肺から空気が漏れ、肺と心臓が圧迫されていた。

 もしも彼女が空気を排出していなければ、それこそ取り返しのつかないことになっていただろう。


「それを子供の悪戯だけで済ませていいものか? 止血を行い、緊張性気胸だと見抜いて応急処置を施した」

「な、何故アカデミーにすら入学していない女の子が緊張性気胸だと!? 見抜くことすら難しいと嘆く者も多いのに!?」

「さぁな、それはルビア嬢の頭の中を覗いてみないと分からん」


 知識もそうであるが、胆力と緊張性気胸だと見抜いた洞察力、冷静さにも目を引くものがある。

 緊迫された状況で的確に出血箇所を確認、様態を見て己の判断が正しいと突発的に対応と処置ができる技術と自信。

 貴族のご令嬢など血を見ただけで騒いでしまうのに、彼女はそうではなかった。

 この病院にいる人間の大半ですらできないというのに……。


(知識はなんとかなる。だが、多くの場数と経験がないとあのような処置はできない)


 そのことを考えると、ルビア嬢は「天才」だと称さずにはいられないな。

 どう頑張っても、経緯に説明がつかん。


「眠っていた才能が目を覚ました? いや、今はどうでもいいな―――」


 俺は立ち上がって、休憩室を出ようとする。


「どこに行かれるのですか?」

「どこって、決まってるだろ?」


 俺は同僚の疑問に小さく笑みを浮かべた。


「お礼は言わないといけない。周囲がどう思っていようが、患者を助けられたのは彼女のおかげだからな」


 果たして、この病院にいる人間の内何人が彼女の才覚に気づくのだろうか?

 この話が広まれば、きっと医学会を驚かせることができるかもしれん。

 少なくとも、うちの病院で働いている上の人間はごぞって驚くだろう。


 それが少し楽しみで、俺は休憩室を出てもニヤけた顔が戻らなかった。



 ♦♦♦



 一方、その頃私は───


「……へ?」

「い、いかがされましたかお嬢様!?」


 琥珀色の瞳、愛くるしくも幼く綺麗な顔立ち。

 腰まで伸びたサラリとした金髪。

 どうして気づかなかったのだろうか? 声も自分のものとは思えないぐらい高いし、肌もみずみずしい。

 メイドのコスプレをしている人からもらった鏡には、そんな女の子が映っていた。

 そして、その鏡は私が持って私が映しているから───


「……誰、私?」


 ……まったく知らない人のなんですけど、私の体。

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