第十三話 逃げてくれー何処へも行けない


悪魔からの依頼を終えていると、帰りがけに黒い影の異形に追いかけ回される。

 異形はうろうろとしていたが、存を探せず、そのまま存はやりすごすと家に帰宅する。

 帰宅するなり来ていた手紙を家の中で確認すれば顔を顰めた。


「今月は高級フルーツ盛り合わせセットか……」


 親からの手紙についていた広告は、無言のお強請りだった。存は広告を見つめ、フルーツを吟味している。弓は夜間の寝る前だった為に歯磨きを終えると、存のそばに近寄り広告を覗き込む。


「どういう人なの、おばあさまは」

「気難しい人だよ。あれがいいこれがいい、十秒後にはそんなこと言ってない、っていう」

「まあ、我が儘な人ね。父様……そうだ、ボクがやめてって言いに行く!」

「……よしたほうがいい、受け入れた方が多分楽だ。やめときなさい、弓」

「ううん、駄目よ。このままだと父様は借金を背負い続ける。孫からの頼みなら、引き受けやすいはずよ」

「……そういう人じゃないんだよ」

「ものは試しよ、ねえ父様。週末に一緒におばあさまのおうち、行きましょう」


 弓は年齢の割にはしっかりとしていて、考え方も随分大人びている。そのぶん存は申し訳ない思いでいっぱいだった。自分の親はきっと規格外だと伝えられず。年齢を経て尚縛られてる理由も察せられず、弓は楽しそうに週末計画をたてていく。

 存は言葉を飲み込んで、どう告げればいいのかひたすらに悩んで、黙り込んでいた。

 週末にアルテミスが厳選したお土産のクッキーと紅茶の茶葉が入った箱を存は受け取り、玄関で弓の衣服を整える。


「父様、緊張しているの?」

「うん…………ああ、いや。なあ、やめないか?」

「何言ってるんですか、お土産も買ったじゃないですか」

「そう、だな。いってきます……」

「気をつけてくださいね、最近異形の匂いがします、あたりをうろついてるかもしれない」

「わかった、家のこと任せたぞ」


 存が先に歩き出せば弓もつられて歩き始める。二人が玄関から出て行って十六分経つ頃合いに、アルテミスは押し入れにしまっていた疾風を解放した。

 疾風は縛られていて、アルテミスを睨み付けた。


「お前たち何考えてるんだ!? 生傷に会いに行かせるなんて!」

「早めに乗り越えたほうがいいんですよ。貴方みたいによしよし痛かったねって慰めるだけは簡単ですけど。根本的な解決をしたいんです」

「だからって直接乗り込ませるのはどうだろ!? あの馬鹿傷付くぞ!」

「転ぶからといって運動をさせないわけにはいかないでしょう。全部前もって転ばぬ杖はできないんです。オレたちがいる今のうちが、傷の形を確認して対処見いだせるはずです」

「お前等のやり方なんていうか僕は知ってるぞ、荒療治ってんだ!」

「それで結構。貴方も借金背負い続けられたら困るでしょう? 契約解除しようと思う脳が存さんからなくなってしまいます、魂囚われたままでいいんですか。自分の欲が満たされれば満足?」

「……それは、そう。だけどさあ! 確かに解約する発想は持っていてほしいけどな、まだ今じゃねえんだよ、あいつまだ傷が……」

「とにかく、まだ追いかけちゃ駄目ですよ、貴方はとくに過保護になってきてるんだから最近」

「何を根拠に……馬鹿馬鹿しい!」

「この前からやたらとアイス買ってきて貢いでるの知ってるんですからね! 食事も存さんだけが一個肉が何故か多い! 魚は一番イイ色合いのものが存さんに並ぶ!」

「そ、れは育ち盛り、だから」

「アラサーの育ち盛りって何なんですか、本当の育ち盛りは弓さんでしょ!」


 身に覚えのある発言に疾風はぐっと呻くと、渋々と羽を締まってベランダから二人が歩いただろう道筋を眺めて、無事を願った。




 郊外の一軒家は何処か最近の家にしては古めかしいデザインで、二階建てだった。

 赤い屋根の瓦はぴかぴかで、生活に不自由してる様子もなく。存はインターフォンを押せば、すぐさま白髪交じりのショートヘアをした女性がにこやかに現れる。


「あら、存。いらっしゃい、その子が弓ちゃん?」

「はい、そうです……娘の、弓です」


 存の強ばった声に表情もいつもの無表情はより能面さを増している。弓はひらりとスカートの裾をつまんでお辞儀する。


「初めまして、弓です。宜しくお願いします、おばあさま」

「あらあら、女の子なのねえ! いいわね、女の子。懐かしいわ」

「懐かしい? お父様は妹でもいました?」

「違うのよ、昔、この子に女の子になってほしくてね。立ち話も何だから中へどうぞ!」


 二人は家の中へ入ると、居間へ通されお茶を出される。手土産のクッキーセットを存は献上すれば、存の母親は目を細めた。


「あら、いつものメーカーじゃないのね」

「あ、これは、同居人が用意してくださって……」

「まあ、きっと。その方は舌が肥えてないのねえ」


 暗にまずいものをよこしたな、と言葉の意味を捉えれば弓は目を丸くした。やけににこやかに祖母は自分が一切悪びれもなく。堂々と言い放った。

 アルテミスはこの時期イベントで駆けずり回っていて、課金を時折して攻略をはしょったりもしていた。その忙しい最中で買ってきてくれたお土産だ。弓はもやっとする。


「父様に女の子になってほしくてってどういったことですか?」

「私、男の子嫌いなの。野蛮だし。暴れるし。五月蠅いし。だからずっと女の子として躾けていたのよ。それでももう大きくなれば体は男の人になってしまうわね」


 祖母はにこやかな顔を、世間話をする顔でひたすらに何でも無いことを放つ声だ。

 自然な出来事のように、普通の出来事のように話している。異常なのは存だ、と祖母の目がもの申していた。


「なんで女の子じゃなかったんだろう、全部無意味よねえ」


 弓は一瞬で鳥肌が立つ。判っていた話だ、事前の存の話から判っていた話だ、祖母の話は。ペットの話でもするかのような物言いに弓はぞっとしたが、もっと問題な人がいる。

 問題なのは、そうですね、と笑って受け入れる存だった。

 傷付いた顔すら浮かべない。祖母に会わせて、にこにこと笑みを浮かべる姿は、却って弓に嫌悪感を抱かせた。


「でも、ボクは父様が……」


 男の子でよかったよ、と子供ながら精一杯励まそうとすれば祖母は弓へ視線を向けた。


「あら、折角可愛いのに、ボク?」


 物言いたげな言葉は嫌味めいていて、それでも決定的に悪口でもないし、酷い虐待というわけでもない。存はこんな状態でずっと生活していたのかと、弓は驚いた。


「父様、ボク忘れ物しちゃった。帰ろう」

「そうか、それじゃ母さん、おれたちは帰るよ」

「ねえ、存。母さん最近心臓が痛くてね、もうすぐ死ぬんじゃないかしら。きっとあのパーラーの果物は薬になるとおもうの。でも無理をしないでね、本当。お母さんは存が健康ならいいの、本当に無理をしないでね?」


遠回しな要求だ、自分の意思で果物を買ってこいと示しているのだと、子供の弓ですら言葉の裏が判った。存がいつも主張してくる言葉の本質が、この祖母ありきなのだろう。

 存は否定する力を失っている、間違いなく失っていると現場を目にして弓は痛感した。

事態はもっと簡単だと思っていた、弓は親子の形など愛情か敵対心かのどちらかだけだと思っていた。

 祖母は存を愛しながら、否定している。そんな人間もいるんだと判れば、二人は帰路の途中で、話題に出す。

 弓は存の手を繋いで、じっと見上げた。


「父様、ボクは男の子の父様が好きよ」

「……いいんだ、弓。しょうがないんだ、おれは女の子になれなかった」

「父様、嫌よ。そんなこと言わないで。父様が大事なの」

「……そうか、ありがとう」


 弓は本能的に駄目だと悟った。存には言葉は何一つ届いていない。大事な人だという意味すら届いていない。涙を浮かべた自分の娘という状況ですら、届かない。

 弓は事態の深刻さについて考え込んでいれば、不穏な空気。たまにあるのだ、悪魔を紹介していると他の化け物が存を狙って襲い掛かってくる事実が。

 妖しさは妖しを引き寄せるもので、たまたま今日また襲われるだけ。弓はアルテミスに電話を入れながら、存と二人で逃げようとする。

 アルテミスならワンコールで何とかなるだろう、丁度GPSつき端末だ。

 あとの顛末はアルテミスに任せながら、二人は逃げ切ることが出来ず、存は指先を噛んで血を願う。なかなか皮膚は切れず、コンパクト上のソーイングセットを取り出すと、針で指を潰した。ぷつりと血の珠は即座に赤い糸になり、ぶわりと広がっていく。

 弓も見よう見まねで青い糸を生み出すと、二人で襲い掛かってくる黒い影をした化け物へ、糸を編ませようとする。

 一体、一体徐々に消していってもどんどん化け物は生まれていく。そのうちの一体が弓の背後に回り込む。二人は気付かなかった。

 弓の腹を貫こうとした影に気付くと、存は覆い被さり、弓を突き飛ばして自身が貫かれようとする。


「父様! だめ、いや! 逃げて、お願い逃げて!」

「弓が逃げなさい、惹きつけて置くから」


 腹に影が入り込み、体が徐々に真っ黒く染まっていく。同化しそうな勢いで、弓が「やめてえ!」と泣きながら叫び、糸を操るもどうにもできない。

 まずいな、と別れを予感した存は、弓へ笑いかけそのまま抵抗を「諦めた」――瞬間、ぶおんと大きな風が巻き起こり。嵐のような風は、異形の影を全て風の強さで消し去り。

 存に染みついていた影は、風の中から現れた疾風がぶちりっと引っ張り千切ればあっという間に影は消失する。

 同化しかけていた体は、疾風からの合図ではっといた弓が存へ糸を編み、浄化していく。

 疾風は舌打ちして、存の胸ぐらを掴んだ。


「なんで今、抵抗しなかった!? お前、死のうとしたな!?」

「違うよ。その間に弓が逃げられたらいいなっておもって」

「何でだ!? 娘だからか!?」

「……オレには価値がない、弓には価値がある」

「そんなことないだろ……ないだろ!」

「あるよ、だからずっと言ってるだろう。おれは墓が欲しい、初めておれの許された場所になるんだ。墓の中じゃ、誰もが等価値だ」


 存の基準はいつも価値があるかないかだった。初めて会ったときからそれは変わらない。弓には何故そうなるかずっと理由が分からなかったし、分かりたくない気持ちもあった。

 ただ、先ほどの祖母に出会った今ならはっきりと判る。

 価値がないと洗脳されているのだ。存にとって、価値があるとみえた人の比重が重く、そのためになら自分を投げ出し棄てられる。

 命が誰よりも軽いのだろう、と弓は理解するとぶわりと泣きだした。


「父様、ちょっと疾風さんと話すことがあるから、先に帰っていて」

「でも……危ないよ」

「大丈夫、ちょっとそこで待ってるのでもいいわ!」

「それならそこで待ってる」


 存は路地裏の子ネコたちのたまり場を指さすと、猫に戯れに向かう。命が危なかった直後に出来る行為だとは思えず、疾風は呆れてる様子だった。


「疾風さん、ごめんなさい。君の言うとおりだった、話し合って解決、なんて出来ない」

「あいつは深くしみこんでいる、自分が無価値だって本気で思い込んでいる。金を払う機械だと思い込んでいるからこそ、簡単に母親の言うことを聞く」

「逃げるとか、異常だっていう発想がないのね……」

「本人が望まない限り駄目だ。望むまで準備はできるが、望むまで動いちゃいけねえ。あいつだって大人だ、自力で何とかする術もある。だが、死んだ心は生き返らねえ」

「価値があると思い込ませるにはどうすればいいのかなあ……」

「今が大事で手放したくないって思わせる行為だ。余計な真似しないで、ただお前はあいつに大好きだ大好きだっていつものように伝えて良きゃいい。いつか伝わるから、お前があいつの大事になれ」

「ボクが、大事に……」

「抵抗するより無視する力を持つ方が簡単なんだ。今に執着させろ。お前がその源になれ、あいつの。娘だと言うならその権利はあるはずだ」


 疾風と弓は、ふと存を振り返る。

 子ネコとじゃれる姿は、笑顔であるのに何処か壊れたガラス細工のような繊細さを感じて、弓はぎゅっとスカートを握りしめた。


「ボクが父様の楔(くさび)になる」


 弓はじっと、存が子ネコとじゃれる無邪気な姿に心痛めて眺めていた。


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