ワールズエンド

東雲しの

第1話 Hello World


『・・・・・・ろ、・・・・・・‼』

 薄暗い視界の中、誰かが僕に声を掛けていた。その人物の輪郭はぼやけており、誰だか見分けがつかなかった。そのシルエットは引続き何か叫んでいるようだが、何を言っているかほとんど聞こえない。


『・・・・・・き・・・・・・、・・・・・・な!』

 その空間では何故か不快な気分になり、体もまるで鉛でも埋め込まれたかのように重かった。その一方で、僕に喋りかけてくるその声は少しずつ大きくなっているように感じられた。


『・・・・・・を・・・・・・大・・・・・・!』

 少しずつ、しかし確実に、語り掛ける人物とその声が段々クリアになってきていた。どこか見聞きしたような気さえしてきている。


『・・・・・・、わ・・・・・・!』

 モザイクが晴れていくように、あと少しでその人物の正体が分かる。そう思った瞬間だった。


安久谷あくや君、起きなさい!」

「うわぁぁあああぁぁぁ‼」

 自分自身ビックリするほど大きな声を出しながら急ぎ上体を起こした。周りには勉強机や椅子が、左側には大きめの窓があり、そして前方には黒板が見える。

 そう、授業中居眠りしていたのだと冴えない頭で結論を導いた。そしてその斜め前には僕を起こしたであろう女教師の、さかき 佳代かよがニッコリと笑みを浮かべていた。


 目が全く笑っていなかったのは気のせいであってほしかったが、そうではないようだ。

「教科書の七十六ページ、四行目から読んでちょうだい」

「え? あ、は、はい」

 寝ぼけた頭のギアがまだまだ回りだしていなかったせいか、何を言われたか理解するのに時間がかかった。一瞬の間を置いた後でようやく脳が動き出し、教師の指示にしたがい、指令をこなした。


「よろしい。次は——————」

 自分の役目を終えた後、榊(さかき)先生は次の人を指名していたが、意識は先ほどの夢に向けていた。

(・・・・・・またか。ここ最近よく見るけれど、いつも肝心な時に目が覚めて、あの人の正体が未だに不明なんだよなー。おまけに毎回同じ場面しか流れないし。夏休みの朝に毎回放送するアニメみたいだ)


 昼寝――――――いや、時間を考えれば夕方寝が正しかったであろう――――――の時でも同じような場面をまるでリピートするように見るので、飽きてすらきた。

(夢の内容をコントロール出来る論文が確かあったはず。概要しか読まなかったから、今度詳しく読んでおこう)


 些細な決意をして、とりあえず、と斜め前の想い人の姿をちらっと見る。沖美おきみ 紗綾子さやこ。それが彼女の名前である。

 真っ直ぐ黒板に向けるその顔は、まるで絵画のように見えて、別の意味でまた違う世界にトリップしそうになっていた。長い黒髪を耳の後ろに掛ける姿は優雅に見えるし、メガネのレンズ越しに見える眼は落ち着きを感じる。程よいトーンで話す声からはクールさが垣間見え、話す内容には品性と知性が溢れ出るような人物。それが彼女に対する印象である。


(せめて席が隣になって、会話とか出来ればいいのになぁ)

 残念なことに同じクラスになって早数ヶ月、未だに話をする機会に恵まれなかった。

 理由は様々だが、その一つに、彼女が終始女友達に囲まれているからだ。彼女が一人でいる時があれば、まだ積極的に声を掛けることが出来たかもしれない。しかし、ボディガードの如く彼女に付きまとっていられては、そんな小さな勇気と行動は出なかったのである。


(女友達がいても関係なく話に行けるメンタルがあれば、いいのだろうけれど、それでもダメだろうな)

 方やクラスの問題児である自分と、方や穏やかな人達で構成されている女子グループ。伝手があるわけもなく、知り合いでもない。言わば、見ず知らずの他人といって差し支えない自分と彼女達に接点があるはずもなく、話しかけようとすれば間違いなく警戒心剝き出しで僕を見つめてくるだろうことは火を見るよりも明らか、いや、炎を見るよりも明らかであろう。


(会話の糸口がまず見つかりそうにないな)

 現状を歯がゆく感じて悶々としていた。このまま何もせずに卒業を迎えてしまいそうで自己嫌悪に陥っていた。

 もし未来の自分がいたら、この時の僕に教えていただろうことがある。すぐさま彼女と話す機会があることを。そして、思いも知れない所で彼女と結び付きがあることを。いつの間にか、さかき先生がこっちを振り向いていた。


安久谷あくや君・・・・・・、安久谷あくや すい君、聞こえていますか?」

「あ、え? 何か言いました?」

「まだ授業中です。ボーっとする時間ではありませんので、しっかり聞いていてください」

 本日二回目の警告である。サッカーならレッドカードで退場だが、教室ではそうはならないようだ。いっそのこと、帰らせてほしい。

 そういえばと、中学生の頃を思い出していた。当時も同じように過ごしていたらある日突然先生から、「帰れ!」と怒鳴られた。そのため、言う通りに帰った翌日に、「何勝手に帰っているのだ‼」と更に𠮟られてしまったことを。

 当時は生意気だったので、――――――というか今もだが、――――――「帰れと言ったのは先生ですよね? 帰って欲しくなかったら、きちんと言葉にしましょうよ、いい大人なのですから」と逆に煽った。

 それが火に油を注いだのか、数時間説教の時間になったのは良い思い出である。世の中は理不尽に溢れているとあの日に知ったのだから。


安久谷あくや君、これで三回目です」

「ごめんなさい」

 過去に思いを馳せていたところ、突如として鋭い眼光を向けられ、底冷えするようなトーンで注意されたので、素直に謝罪した。一瞬、阿修羅が見えたのは気のせいだったのだろう。すぐさま元の人間の顔で授業を続けていた。

 訂正しよう。サッカーではなく野球だったみたいだ。スリーアウト、チェンジ! 僕は教師をチェンジしたいと心から願った。

 ようやく、本日の授業は全て終わり、終わりのホームルームの時間になった。学級委員長が前でいくつか話をしていたが、特に目新しい話題はなかった。役割を終えて、入れ替わるように教壇に立ったのは、僕らの担任でもあるさかき先生であった。


「えー、最後に一つだけ・・・・・・本校付近で通り魔事件がいくつか起きているのは、皆も知っての通りだと思う。だから下校時はなるべく真っ直ぐに家に帰り、夜中も極力出歩かないよう気を付けるように。では、以上でホームルームを終わります」


 通り魔事件


 担任からの連絡にもあったように、ここ『みねやま高校』付近で数週間前から起きている事件である。被害者の中には命辛々逃げ切った者もいたけれど、あまりのパニックに犯人像は朧気なのだとか。

 ただ、場所と時間帯を考えると同一犯ではなく、複数人による犯行というのが、マスコミや警察の見解である。そういう文脈からも分かるように、犯人はまだ捕まっておらず、目星もまだついていないようだ。


(まぁ、犯人を見つけたところで、とも思えないしね)

 他人事のような感想を抱いているとクラスの大勢の生徒が、部活動に向かおうとしているところであった。僕も帰宅しようと鞄を背負って教室を出ようとした瞬間、担任のさかきから通告が出た。


安久谷あくや君、今から職員室に来てちょうだい、話があるわ」

「ボイコット・・・・・・いえ、何でもないです」

 正直にバックレ宣言しようとしていたけれど、最初の五文字を告げた瞬間、まさにギロリと擬音語が聞こえるほどに睨まれてしまったので、白旗を挙げて、すごすごと女教師に着いていった。

「呼び出された理由は分かっているわよね?」

 

 さかき先生が職員室の自席に座って早々、立ちっぱなしの僕を見上げながら、多少のイライラを含んだ口調で尋ねて来た。

「おおよその見当はついていますが、回りくどいやり取りは好きではありませんので、手短にお願いします。僕も暇ではないので」

 小言を言われることは必然なのだ。それならば、くどくど、ぐちぐち、だらだらと話されても面倒なので、牽制けんせいも込めて敢えて煽ってみた。効果はてきめんで、その瞬間分かりやすく眉間みけんにしわが寄っていた。はぁーっと怒りを堪えるような溜息をついた。


「ここ最近の君の授業態度は目に余ります。遅刻早退は当たり前、真面目に授業を受けたと思えば、居眠りするかボーっとしているか。他の生徒の迷惑です。それに私の授業だけでなく他の科目でも同様らしいわね。他の教師からも厳重注意するようきつく言われているのよ」

「教科書や参考書を読めば分かることをいちいち時間かけて話をされても退屈なだけでしょう? それに僕は寝息が静かな方なので、居眠りやその他の行動は、他人に迷惑かけるものではありませんよ」

「君が不真面目な態度を取っているせいで、授業を度々中断して注意しなければならないのだから、他生徒の勉強の邪魔になっているでしょう?」

「それは先生が自制出来ていないからですよね? 僕は授業を聞かなくても内容は十分理解していますよ。その証拠にこの前の中間考査では学年一位の成績だったでしょう。だから何をしようが放っておいてくれません? そしたら他の生徒の邪魔にもなりませんから」

「君のそういう態度を放置していると、私がイライラして授業が円滑に進まなくなるから問題なのです」

「それこそやはり先生の問題ですよね? いくら僕が授業に身を入れてなくても先生がきちんと己を律していれば滞りなく授業は進みますよ。他人の態度を責める前に、ご自身の浅はかな精神を省みたらどうですか?」

「それだとあなたの為になりません。いつまでもそんなことじゃ、将来社会でやっていけなくなるわよ」

「所詮他人だからいいじゃないですか、僕がどうなろうと。後、社会でやっていけないとのことですが、教師は大学を出てそのまま教師になるそうではないですか。実社会に出ていない人に社会でやっていけないと言われても説得力がありませんよ。それでは時間なので失礼します」

「待ちなさい、話はまだ終わって・・・・・・」


 言いたいことは伝えた上に、これ以上は話しても時間を浪費するだけだと判断した僕は、早足で職員室を後にした。まだ何かぎゃあぎゃあと騒いでいたが、知ったことではない。

「よ、嫌われ者も大変ですなー」

 職員室の扉を開けてすぐそばに居たのは、親友の人吉ひとよし 九希かずきだった。台詞とは裏腹にニヤニヤしながら近づいて来た。

「人間、暇を持て余すとろくなことをしないようだ」

「誰のせいだと思ってんだ。ほら、一緒に帰ろうぜ」


 どうやら僕を待っていたらしい。同じく帰りの準備が整っている悪友にふとした疑問が湧いた。

「今日は部活動ないの?」

「ああ、いいんだよ、今日は。そういう気分じゃない」

「・・・・・・サボり魔め」

「それ、お前が言う?」


 帰宅部の僕と違って、九希かずきはサッカー部に所属している。しかも一年生にして既に頭角を現し、レギュラー入りするのも時間の問題だそうだ。

「っていうか、お前、教師に嫌われるにもほどがあるだろ。小学校から変わらなくてウケる」

「知性も素養も精神も未熟な人がいい加減なことを言うから、小さい頃から疑問をぶつけ続けただけだよ。僕は悪くない」

「お前のその性格のせいで、進学先がここになったんだろ? もっと上の高校に行けたはずなのに。まぁ、俺にとっては楽しいからいいけどさ」

「成績に比べて内申点が低かったことは事実だけど、別に高校くらい家の近くにあればどこでも良かったよ。どうせ行く大学は変わらないし、順位の一つや二つ下の高校に行こうが問題ないしね」

「出たよ、これだから頭のいい奴は嫌われるんだな」

「それはそれで構わないよ。嫌われるのならその程度。人生は短いんだ。付き合う人は選ばないとあっという間に終わるんだよ」

「嫌われるというか、嫌われるようにさせているだけじゃね?」

「そんなことはないよ。何故か勝手に嫌われるだけだよ」

「どうだか」


 九希かずきとは小学校時代からの親友、もとい悪友である。人を選ぶ性格をしている僕に当然多くの友達がいるわけもなく、むしろ少ないと言っていいほどであった。目の前の社交的な友人は僕以外にも多くの友達がいるけれど、結構一緒にいることが多い。本人には決して言わないけれど、僕が本当に大切に思える友人なのだ。

「帰りに、メック寄ろうぜ」

 某М字のファーストフード店に行こうと提案してきた。

「寄り道は原則禁止のはずだけど?」

「変なところで真面目だよな、お前。ちょっと居座っても罰当たりにもならねぇだろ」

「それもそうか。だけど、あそこはいつも混んでいて、席を見つけるのも一苦労でしょ。主にうちの高校の生徒が原因で」

「だからこそだよ。今は例の事件で皆すぐ帰るから、あんまり人が多くねぇんだ。だから今がチャンスというわけだ」

「なるほど、流石悪友」

「それ、褒め言葉か?」

「・・・・・・そのつもりだけど?」

「噓つけ! 今、間があったぞ」

「それより早くメック行こう、ほら」

「お前・・・・・・、いい性格してるよな」

 こうして僕らは目的地へ向かった。


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