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  • バイクとハートへの応援コメント

    コメントしてよいのかどうか、とても迷いましたがコメント失礼したいと思います。
    先日、偶然Twitterでバイクの彼を見かけた一人として私はこの作品を読ませていただきました。率直な感想として、とても良い作品だと思いました。こんなことを思っていいのかどうか、不謹慎ではないか、自分は人の死をコンテンツとして消費していないか、と複雑な思いでこれを書いておりますが、良い作品はきちんと良い作品だと思いたいのです。
    どんなに言葉を連ねても人の死を文学で止めることが出来るわけではないし、これから死のうとする人も、やはり止めることは出来ません。しかし、労わることはできると、この作品を読んでそう思えました。労わると言うとなんだか偉そうで嫌ですが、私では当てはまる言葉を見つけることができません。申し訳ないです。
    最後に。改めて、本当に良い作品だと思いました。ありがとうございます。

    作者からの返信

     うさみゆづるさん、はじめまして

     一連の流れからのTwitter各位のコメントも追えるだけ追いました。べつにショックでもなく、そうなんだね、という気持ちでした。
     十分時間をかけて自分に向き合った結果なら誰にも何も云えないという意見にわたしの意見は近いです。
     いやそれでも一生懸命生きていますよと云える当事者の人も、それは単に幸運な環境に恵まれていただけだと反発する人もいました。ひとくくりに「それでも生きるのが正解だった」とは云えないものがありますよね。云いたくもないです。

     あんな風にTwitterに遺言まで残す人はごくごく僅かで、自死する多くの人はただの自殺のニュースとして流れ去っているだけです。
     だから、彼自身がTwitterを通して、彼の自死をコンテンツとして消費して欲しかったのではないかと想うのです。眼にする人々の胸に、彼は彼の死という形を遺していきたかったのではないかなと。

     莫迦なことをしたと云いたくもないし、美化もしたくないし、来年の今頃は想い出すこともないかもしれない。
     そうなんだね、死んだんだね、あそこから。
     何かを声高に訴えることもなく死ぬ理由だけを画像に残して消えて行った彼の死を淡々と受け止める気持ちの中に、まあ、みんな似たようなものだよ、という想いが沸いてきたくらいです。

     少なくない人が不便な場所にある現地まで花束と線香を捧げに行っているようです。今日はきれいな白い花束と、美しい空をTwitterを通してみかけました。
     書きにくかったであろうにコメントを寄せて下さりありがとうございました。