side 空(5)

 ひとつだけとは言えど歳は違ったし、かもめは空のことを「先輩」と呼んでいた。それでもそこには「友達」らしい気安さがあった。そしてその気安さは、柔和なかもめのしゃべりかたもあって、決して不愉快なものではなかった。


 空は、自分のことをつまらない人間だと思っているし、それは多くの人間にとって事実だろう。けれどもかもめに限っては違うのか、彼女は頻繁にトークアプリからメッセージを送ってくれた。そしてついに学校の帰り道ではあったが、一緒に服を見に行ったり、ハンバーガーショップに入ったりもした。


 空はかもめに戸惑いつつも、多少強引ではあったが、手を引いてくれる彼女のことを好意的に見始めている自分にも気づいた。同時に、記憶の奥に押し込んでいたかつての友人たちのことを思い出した。つたない友人関係ではあったが、そこにはたしかにあたたかいものがあった。


 かもめとならば、そんな「あたたかみ」のある友人関係を築けるかもしれない。よく笑うかもめを見ながら、空はそんなことを考える。


 もちろん空とかもめは年齢が違う以上に、住む世界が違う。正真正銘、一般人であるかもめのそばに、空のような裏社会にどっぷり浸かっている人間が近寄るべきではないだろう。それでも煌々と光る街灯に吸い寄せられる蛾のごとく、空はかもめに引かれるものを感じていた。


「空先輩って兄弟いるんですか?」


 高校からの帰り道。どういった流れでその言葉が出てきたのか、空は一瞬にして記憶喪失的になった。無邪気なかもめの顔を見ながら、空はかつての友人たちを思い出していた。とは言え、どんな顔つきだったのかまでは思い出せなかった。


 問題は、かつての友人たちが空の弟たちに惹かれて行ったという事実である。


 空は、面白みのない人間だ。他人を喜ばせるすべをおおよそ知らない。そんな空よりも、見目麗しく、他人を喜ばせるすべを熟知している海と、口調はややぶっきらぼうだがなんだかんだと社交性のある陸のほうに魅力を感じるのは、致し方のないことだと彼女は思っていた。


 もし、かもめが空の弟たちと出会えば、同じことが繰り返されるのだろうか? 空は「そんなことはない」と言い切りたかったが、「世の中に『絶対』はない」とも言う。そう考えると、可能性としては大いにあり得るのだろう。


 けれどもここで嘘をつくのは悪手に思えた。空は弟たちと同じマンションで暮らしているのみならず、同じ高校に通っているのだ。かもめは一学年下だから、空の弟たちのことを知らなくてもおかしくはない。けれど、なにかの拍子に知ってしまう可能性はある。そのときに空が嘘をついていたと知れば、きっとかもめは失望するだろう。空はそう考え、彼女の言葉に小さく首肯する。


「弟がふたり……」

「へえー! でもそれっぽいですよね!」

「それっぽい?」

「空先輩ってどんと構えていてお姉ちゃんっぽいですもん」


 かもめの言葉に空は内心で首をかしげる。けれどもなんとはなしに褒めてもらったのだろうと解釈し、「そう」と短く流すにとどめた。


「へえー、空先輩の弟さんかあ……どんなひとなのか気になる~」

「私とは、ぜんぜん似てないよ」

「ますます気になります!」


 かもめは空の弟たちに興味津々のようだ。かもめはどちらかと言えば好奇心があるほうで、だからこそ唐突に出てきた空の弟たちという存在も気になってしまったのかもしれない。


 けれども空はかもめに弟たちを紹介するつもりはなかった。これまで友人を失ってきたのと同じ轍は踏みたくない。仮にかもめが弟たちと知り合いになって、今までと違い気に入られれば――それは、なんとなく嫌だった。けれど、なぜ「嫌」だと思ったのかまでは空にはわからなかった。


 しかしかもめはそんな空の胸中などまったく察していないらしく、空の弟とたちについてあれこれと聞いてくる。空はそれを仕方のないことだと思った。空は、面白い話題を提供できないのだから、仕方ないと。


「いくつ下なんですか?」

「実は……私三つ子だから、歳は同じ」

「え?! 三つ子? すごーい。三つ子のひとと会ったことなんてないからびっくり! あ、でも空先輩とはぜんぜん似てないんでしたっけ」

「三つ子って言っても卵が違うからね……」

「なるほどー。弟さんたちも?」

「いや、弟たちは卵が同じだから、実質一卵性双生児だよ。だから、顔はそっくり」

「へー。そう言えばわたし、双子のひとにも会ったことないから、そんなにそっくりの顔してるなら見てみたいですねー」


 かもめは空から得た情報で、がぜん空の弟たちに興味が湧いたようだ。空は、それをあまり好ましい流れではないと思った。けれどもそれを打ち切れるだけの強力な話題を出せるのであれば、空にはかもめ以外の友人がいるだろう。


 きらきらと好奇心に輝くかもめの顔を見て、空はしかし彼女が弟たちと会う機会はないだろうと考えた。同じ高校に通っていると言っても、学年が違う。空がわざわざマンションに連れて行きでもしないかぎり、かもめが海や陸と会うことはないだろう。そして、空は今のところかもめを家に連れて行くつもりはなかった。


 けれども運命は予想を裏切るのが得意らしい。



「すいません先輩~。助かりました!」


 豪雨に降られたかもめは濡れ鼠だ。マンションのエントランスホールから空たちが暮らす部屋まで、ぽつぽつと水滴が落ちていることだろう。外ではときおり雷鳴が轟き、強風が吹き荒れ、頭上を黒い雲が覆っている。こんな天気で外にいるのは危ないだろうと思ったこともあり、空は仕方なくかもめをマンションに連れてきたのだ。


「傘が壊れるなんてツイてない……安いのはダメですね……」


 しょんぼりとしながら空から渡されたバスタオルで髪をぬぐうかもめ。そんなかもめに空は「シャワー浴びてきなよ」と促す。はじめは固辞していたかもめも、さすがにくしゃみが襲ってきたことで観念したらしい。


「服……私のでよければ用意するから」

「なにもかもすいません! ありがたいです!」


 そう言ってかもめは脱衣所に入って行った。


 かもめの背を見送り、空はそっとため息をつく。かもめをマンションに連れてくるつもりはなかったが、暴風のせいで折り畳み傘が壊れ、濡れ鼠になったかもめを電車に乗せるわけにもいかず、期せずして家に招く形になってしまった。


 しかしタイミングよく海も陸も家にはいなかった。ニコイチなふたりはともに行動していることが多いから、きっと今もどこかでふたり一緒にいるのだろう。この豪雨だからどこかでテキトーに雨宿りでもしているかもしれない。というか、そうであって欲しいと空は願った。


 かもめが風呂場に行ったのを確認して脱衣所に入る。着替えを用意し、濡れているかもめの制服を入れるためのビニール袋を置いておく。そのタイミングで空はマンションの廊下からこちらへと向かってくる足音を聞き分ける。あまりにも聞き慣れた足音が迫っているのを知り、空は背中に冷や汗が流れるような気持ちになった。


 並ぶふたつの足音。


 ――海と陸だ。


 なにか会話をしているらしい音が壁越しにも伝わってきて、やがて玄関扉の施錠が解かれる音がした。

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