極めてグロテスクなトリニティ

やなぎ怜

side 空(1)

 そらはため息をついた。それはもう疲労がにじみににじんだ、重いため息を。


 つい今しがた労働を終えた空は、思わず服の袖を鼻に寄せてしまう。わかる範囲では悪臭はついていない。仕事を終えたあと、ロッカールームで服を着替えたのだから、今、空が着ている制服にそのような臭いがついていないのはわかりきっていた。しかし、なんとなく汗の臭いがするような気持ちになる。


 空の仕事は肉体労働だ。それもかなりの重労働だし、体を動かすだけでなく頭も使うから、精神的にも疲れる。


 拷問というのは、ただ単純に相手の身体を痛めつければいいというものではない。言葉の飴と鞭を巧みに使い分けながら、相手の精神を振り回し、追い詰めて、ときにこちらが欲しい情報を引き出さねばならない。それはかなりの重労働と言って差支えないだろう。


 空は拷問が苦手だった。相手の頭に風穴を空けるか、首を掻き切ってハイおしまいのコロシとは違う。センスの話をするのであれば、空は自分に拷問のセンスはないと思っている。コロシのセンスは多少あるとは思うが。


 けれども空は仕事を選べる立場ではない。「職業選択の自由」などという言葉と空は無縁の関係なのだ。本来であればとっくの昔に野垂れ死んでいただろう空を、拾って育ててくれた雲雀ひばり組のために身を粉にして働く。


 しかし今日の拷問は比較的ラクではあった。雲雀組のシマで、アイスやエクスタシーといったヤクを売り捌いていた頭の悪い売人を、でき得る限りの苦痛を与えてから殺す。要は見せしめだ。最終的に殺すことは決定していたので、死なないギリギリのラインを攻める必要がなかったのは、空にとっては幸いなことだった。


 なのに先ほどからため息が止まらない。


 というのも空が「いつもより比較的ラク」な拷問でさえも手間取ってしまったがために、部屋に弟たちが乱入してきたせいだ。


 空は三つ子の一番上で、下には弟がふたりいる。だが空だけ卵が違う。一方、弟ふたりは一卵性なのでひと目で兄弟だとわかるほどそっくりなのだ。そういうわけで三つ子とは言っても、空と弟ふたりとはあんまり似ていない。


 弟たちの名前は「かい」と「りく」と言う。いかにも安直な命名だと空はいつも思う。けれどもちゃんと名前が付けられているだけ、その待遇はマシなものだ。名前も付けられず、ボロ雑巾になるまで使われて、ゴミみたいに捨てられる人間だってこの世にはいるのだから。


 ゴミみたいな死にかたをしないためにも、空は雲雀組のために働こうと必死だ。だれだって苦しい死にかたはしたくない。空もそうだった。


 けれども弟たちは違うらしい。裏社会の住人なりに堅実に生きようとしている空と比べれば、弟たちはひどくちゃらんぽらんで快楽主義的である。


 今日の拷問だってそうだ。空に任されていた仕事に横入りしたのだから、空はあとで己が怒られやしないかとちょっと心配している。


「まーた手間取ってんの?」

「空は不器用だからな」


 三つ子の姉弟きょうだいと言えども、空は弟たちから「お姉ちゃん」だとか呼ばれたことはない。お産に時間がかかって、明確に空のほうが誕生日が先なのだが、やはり姉扱いはされたことがない。


「まだまだ元気じゃん~」

「そんなペースじゃまだ死ぬのは先だな」


 空は無言のまま、額にうっすらとにじんだ汗をぬぐう。しかし両手はビニールの手袋で覆われていたから、それが上手くできたとは思えなかった。


 海と陸の乱入に、イスに縛りつけられた売人は目を白黒させていたが、海がおもむろにニッパーを手に取ったので身を強張らせる。


「ほーら空、手本見せてやっからさー」


 海は売人の後ろに回ると、手にしたニッパーで人差し指の爪を割った。


「まず爪をパキッと縦に割ってー」


 のんびりとした海の言葉に重なって、売人の呼気が荒くなり、その体が震えた。尋問のターンが終わって猿轡を噛ませているので、恐らく苦悶に満ちているだろう声は漏れ出てこない。


「そんでタバスコとかラー油とか垂らすんだけどー」

「……置いてねえってよ、海」

「えー?」


 空がなにか言う前に、陸が海に言う。海は不満そうに子供っぽく――実際未成年だが――口を尖らせた。


 海は陸のほうを見たまま、手元に視線を落とさず売人の爪をゆっくりと剥いで行く。売人の体がガタガタと震えて、苦痛をこらえているのがありありとわかった。


「つまんねえ」


 海は本当につまらなさそうな顔をして、コンクリートの床に売人の爪を放り投げた。ひとまず苦痛の時間が終わったので、売人の体から力が抜ける。


「つーか、タバスコとかラー油とか話してたらハラ減ってきたわー」

「中華でも食いに行くか?」

「いいね~」


 売人が垂れ流した尿や、汗、血の臭いがただよう拷問部屋でのん気な会話が繰り広げられる。こんな状況でよく食欲が湧くなと空は己の弟ながら呆れる気持ちだ。


「空は?」

「……行かない」


 まったく食欲が湧かなかったというのもあった。しかし断った理由の大部分は、食事中もこの仲の良い弟たちを見て、疎外感という居心地の悪い空気を味わいたくなかった、というものだ。


 そう、空はこの弟たちによそよそしさを感じている。三つ子であるにもかかわらず、ひとりだけ似ていない空。ひとりだけ誕生日が違う空。なんでもそつなくこなせる弟たちに対して、不器用な空。空は生真面目な気質だが、弟たちはそうではない……。


 そういう、ひとつひとつは小さなものだが、積み重なれば山となって空の前に立ちはだかる違い。それは疎外感となって空をさいなむ。


 空の返事に、海は「そ」とだけ言って陸のそばへ寄る。そういうなにげない行動のひとつひとつに、空は勝手に仲間はずれになった気持ちになる。食事の誘いを断ったのは自分だとわかっていても。


 被害妄想的だとは、わかっている。けれどもそれを頭で理解して、自在に心理状態をコントロールできるのであれば、世の中にメンタルクリニックなんてものは必要ないだろう。


 ――拷問が上手くできなかったせいだ。


 空は勝手に地へと落ち込んで行く気持ちを、そうやって別のなにかのせいにすることで、胸中に生じた寂寥感を誤魔化そうとする。


「手伝う?」

「……いらない。……ひとりで、できる」


 陸にそうやって言葉をかけられても、空は彼の顔を見ることが出来なかった。


 しかし空がそうやって拒絶に似た言葉を発しても、海も陸も意に介する様子はない。心底どうでもいいと思っているのかもしれない――と空はまた被害妄想的な想像をしてしまう。


 結局、海と陸は売人が絶命するまで空に痛めつけられる様子を見届けて、終わればさっさと拷問部屋から連れ立って出て行ってしまった。

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