第8話 一人目の候補

 土曜日の午後、蛍と七海は部活を休み、美蘭が指定したカフェ「ルクセンブルク」に居た。

 美蘭が事情を話して貸切にして、アクリル板を動かし、急ごしらえの六人テーブルを作って貰い、候補者達には時間をずらして一人ずつ会い、現物の写真を撮ることにしたのだ。


 蛍は感心しながらも、ここまでドタバタしたのは魚川の気まぐれのせいだと苦々しく思っていた。ホログラフィのようなものという説明や本体は魚だから感染には関係無いが、周りの人間はそうもいかない。

 腹いせにに苦いカプチーノか、カロリー爆弾のプラペチーノを注文にして寒がらせるか、見た目豪華なハワイアンパンケーキを頼んで美味しそうに目の前で食べようかと仕返しを考えていたその時、ドアベルが鳴って七海が入ってきた。


「石川先輩、先に来てたのですね。あの、美蘭先輩は?」


「魚川君を迎えに行ってる。人数制限あるからヘルパーさんの代わりに車椅子を押してくると。男性の方が力あるし」


「候補者さんより早く着ますよね?」


 七海が不安がっている。そもそも七海の危機管理意識が低いのも一因なんだが本人は気づいていない。


「ところで、最初に来る候補者は名前は? どんな人?」


「はい、山本さんという五〇代の方で、母が持っていた帯留めに似ていると写真を送ってきました。先輩にも写真は送りましたよね?」


 そういえばそうだったと蛍は思い出した。パニックになっていて送って貰ったが見るのを忘れていた。全てはあのクソ魚のせいだから何らかの仕返しをせねばと考えにふけっていた。


 「先輩? 届いてなかったなら、見せます。これがその写真ですけど?」


 七海の呼びかけにまた考えが逸れていたことに気づいた蛍。写真は予備知識として改めて見ないとならない。

 写真は確かにオリジナル写真の帯留めに似ていた楕円形である。しかし、花の模様が無い。これは違うな。


「七海、昨日の時点で彫り物してあるって言ってたのに、なんで変更連絡ついでに該当しないって断らなかったのさ」


「あっ……。そうか」


「やれやれ、天然な後輩を持つと先輩は大変だわ」


「それは在学時代の俺の台詞だ」


 美蘭の声が聞こえた。って、天然な後輩とは失礼だ。いくら従兄でも口が悪い。


『美蘭君も苦労していたのだのう』


 ついに来たか、あのクソ魚。いかん、クソ魚と言ったらバレてしまうかと自制した蛍は驚愕した。


 そこには着流しを着た上品そうな老人の姿であった。グレイヘアでどこかのお金持ち隠居と言ってもおかしくない風貌をしている。悔しいがイケオジである。


『初めまして。蛍君の趣味仲間の魚川と言います。変な声で済まないです。喉の病気でこのスマートフォンの音声アプリでしか会話できなくてな』


「初めまして、一年の糸井七海と言います。今回は私の独断で話が大きくなってすみません」


『いやいや、いろんな石を見るのが好きでな、蛍君に頼んでわがまま言わせてもらった』


 スマホ越しの声の嘘の理由までスラスラとよどみなく話すということは道中に美蘭と綿密に打ち合わせたに違いない。


 魚川には車椅子用の広めの席に車椅子を移動させた。


「じゃ、飲み物頼みますか。私はカフェオレに魚川くんにはフラペ……」


『ああ、わしは温かい飲み物、緑茶かウーロン茶で結構』


 作戦を読まれていたか。と蛍は心の中で舌打ちした。


「蛍、一応老人には優しくしとけ。仮にも車椅子で病気したあとの人だぞ。あ、俺はホットコーヒーで」


「あ、私も石川先輩と同じカフェオレで」


 誰もフードを頼む気配はない。あとで美蘭に払わせようとフードを注文することにした。


「あ、それからこのハワイアンパンケーキください」


「お前なあ、こういう場で食べるか?」


「協力してくれたお店への売上貢献だもーん」


 蛍は表向きの理由を言った。これを美味しそうに食べて魚川を悔しがらせる作戦であるが、あの風貌だと罪悪感も少ししてくる。

 しかし、幼馴染みの美蘭にはその心情は織り込み済みだったらしい。


「蛍、支払いは割り勘でな」


 想定外の答えに困惑しているうちに一人目の候補、山本氏がやってきた。


「えっと、糸井さんですか? それからこちらの方々は?」


「部活の先輩と、OBと石が好きな知り合いです。一緒に帯留めを見たいと言うので少し大所帯になりました」


『すみません、病み上がりなのだが帯留めの話を聞き、無理を言ってご一緒させていただきました。魚川と言います。補助器で喋っているので変な声で不快にさせて申し訳ない』


「はあ……」


 山本氏は二人で対面と思ってたのか、少々戸惑っているようだ。やはり下心あったのか? 飲み物の注文を終えた彼はカバンからケースを取り出した。


「こちらがSNSに上げた帯留めです。あなたのひいおばあさんのと特徴が似ているからそうであればよいのですが」


 そうして取り出したはいいが、なんせアクリル板越しだ。見づらい、マスクを付けて立ち上がり、七海にまず見てもらう。


「とても綺麗な緑色ですね」


 無難な受け答えだ。


「私は詳しくないのですが、母はインド翡翠と言ってました」


 ん? 私は思わず立ち上がった。


「糸井さん、私にもそれを見せて。撮影をするから」


「あ、は、はい」


 私は一応手袋ははめているが、その必要がない石だ。ルーペで見るまでもなく、あちこちの角度にすると石の中はキラキラと光る。間違いない、ハズレだ。


「山本さん、一応写真に撮りますが、多分違うと言われると思います」


「なぜですか?」


 他の二人は来てないし、種明かしをしよう。


「あのあと、糸井さんのおばあさんから聞きだしたら帯留めは本翡翠だったそうです。

 こちらはインド翡翠と言いましたが、本当の名前はアベンチュリン、つまり緑色の水晶で、インド翡翠はあだ名で別の石です。昭和初期に出回っていたか不明ですが、違う可能性が高いと思います」


「そうでしたか、お役に立てず、残念です」


 山本氏は丁寧に帯留めを包み直し、お辞儀をして去っていった。彼は意外と礼儀正しかった。


『さすがじゃのう、蛍。ま、あの人や帯留めからは悪い感じはしなかったから純粋に勘違いだの』


「あ、魚川にもインド翡翠でも帯留めを見せれば良かったかな。ごめん。でも、これでパンケーキ食べる時間ができたな」


「お前、まさかパンケーキ食べる時間欲しさにサッサと返したのか」


 なぜ疑う。一発で見抜いたのになぜ褒めない。


「七海、次の人はいつ来る? なんて人?」


「えっと、アンティークショップを開いている小沢さんという人です。売り物の緑色の帯留めを何点か持ってくると」


 何点も持ち込むと言うことは、パンケーキ味わえる時間無い恐れがある。 いくつ持ってくるのだろう。


「お待たせしました、ハワイアンパンケーキです」


 とりあえず生クリームの溶けやすい部分だけでもとフォークを刺した瞬間、ドアベルが鳴った。


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