第10話
「でも、いまの話は旧式のアンドロイドなんでしょ?」
「そう。だから不幸というのは自分では感じられない。まわりの人がかわいそうにと、感情移入するんだね」
「新式のアンドロイドでだってできるんでしょ?」
「新式の場合は、赤ちゃんから育てるなら簡単だよ。受精卵みたいに初期化した人工細胞を育てていくだけでいいと思う。ゲノムに全部設計されてるから」
新式というのは、美結ちゃんのお母さんが開発したアンドロイド技術だ。人間の脳と同じ機能をもった頭脳が特徴のアンドロイド。はじめは記憶がない。経験し、学習して徐々に成長してゆく。赤ちゃんが成長していくようなものだ。時の経過に合わせて機械の体を取り換えてゆく。成長や老化をシミュレートしているわけだ。
新型のアンドロイドが人工細胞でできていれば、生きているのとかわらない。機械の体を何台も交換する必要がなくなる。寿命がきて死ぬことができる。そういうことだろう。
「それが、美結ちゃんの脳スキャンを使うとどうなるの?」
「うん。新式で赤ちゃんから育てない場合ね。死んだ人と同じ考えや記憶をもった人工細胞アンドロイドで、人間と同じように歳をとるよ。でも、この場合、スキャンしたデータ通りの脳を人工細胞でつくることができないといけない。誰でも共通する部分はあるけど、むづかしそうだね。まずは頭脳だけコンピュータの人工細胞アンドロイドを作ることになるかな。そんなことができるようになるかわからないけどね」
「できるようになったらさ、人間として死んでも、人工生命として生きつづけられて、人工生命としての死が本当の死みたいになるね」
「それを望めばだけど。それに、脳のスキャンができる場合って限られてるんだよ」
「そうなの?」
「うん。研究してるときは、老衰で死んだ場合くらいしかないと思ってた。あと少しで死んじゃう、脳スキャンの準備オッケーって状態で死なないといけないから。護堂さんみたいのは予想外」
「ふーん」
そんなうまい話があるのだろうか。犯人の意思がはたらいているにしても。
「美結ちゃんの研究が完成すると、人間とアンドロイドがほとんど区別できなくなっちゃうんだよね。ブレードランナーみたいだ。まえ貸したでしょ?ブレードランナー」
美結ちゃんは先に原作のアンドロイドは電気羊の夢を見るか?を読んだといっていた。小説はわたしが借りて読んだのだった。美結ちゃんがアンドロイドの研究を目指すようになる少し前のことだ。
「あんなことが、自分が生きているうちに実現するなんて想像もできないな」
「うん。人工細胞は天然の細胞と区別できるようにマーカーがついてるから、映画や小説みたいなことにはならないけどね。それに、いま話したことがちゃんと実現するかわからないよ」
「でも、すごいよ美結ちゃん。脳のスキャンを開発しちゃっただけでも」
「へへん。そうなの、すごいんだよ?新しいことはあまりないんだけどね。脳のデータをコネクトームっていうんだけどね、データ取るのに今まではチマチマ小さい範囲を調べてあとで全体をくっつけるっていうやり方してたの。全体のデータ取るのに十年とかかかってたんだよ?むかしのゲノムプロジェクトみたいなものだね。いまじゃシーケンサーの性能が向上したから、個人でゲノムを調べてもらえるくらい速く安くなった。
わたしは脳の輪切り全体を一気にスキャンしていくことにしたんだ。スキャンするときにいらない情報は無視していっちゃう。そうすると後の処理が楽になる。つまりね、わたしにはほしいデータがわかってるの、お母さんの研究があったから。それでいらないデータを捨てられるってわけ。そうじゃなかったらひとつの脳のスキャンに何年もかかっちゃうよ」
「ふーん、パソコンの性能もずっと向上がつづいてるっていうし、すごい世界だよね。わざとちょっとづつ改善してるってわけじゃないんでしょ?」
「さあ、パソコンのことはわからないな。技術的になにをいつごろ改善するっていう予定はたててそうだけどね。そうすると、性能はどのくらいってわかるんじゃないかな」
「美結ちゃんの研究と護堂さんの研究に関係はないの?」
事件の話にもどってきた。
「うーん、関係ないと思う」
「護堂さんの研究って、欲しいって人多い?」
「殺してでもってこと?」
「まあ」
殺人の動機になるんじゃないだろうか。
「ほかの人も研究してそうだし、いつか誰かがつくるものだって気はするけど。つまり、誰にも飛べないすっごい高いハードルって感じじゃないんだよ。殺しと天秤にかけたら割に合わないと思う」
「そっかー」
「それに、まだ完成してなかったみたいだし」
「そうなの?研究してる途中の成果を盗んでも、まだ研究つづけなくちゃいけないのか」
「そう、完成してからだよね、やるとしたら」
「じゃあ、研究がうまくいかな過ぎて自殺しちゃったとか」
「そんなに思いつめるほどむづかしくないと思うんだ。そのうち誰かがつくるだろうってものなんだからさ。すこしつまづいたからって、自殺してらんないよ」
「なるほど。警察だって捜査に行き詰ったからって死ぬ人なんていないもんね」
忘れていた。そろそろ交代してやらないと、捜査に行き詰ったからではなく、空腹のためにお目付け役くんが死んでしまう。それは情けなくてかわいそうだ。刑事だから食事抜きなんてことには慣れてるかな。
アイスの最後の一口を頬張る。一口で食べるには大きすぎたみたい。口の中がいっぱいだし、つんめたい。飲み込んで胸を叩く。心臓がとまりそう。
どうにか、アイスを頬張りすぎての事故死をまぬがれた。こんなことで死んでしまっては、お目付け役くんを情けないなんて言っていられなくなってしまう。
「大丈夫?」
「うん、なんとか」
吐く息が冷たい気がして、手のひらに吐きかける。
「美結ちゃん、本当にノーベル賞とれるんじゃない?」
「両方ともノーベル賞の対象になる分野じゃないからダメじゃないかな」
「そっかー。じゃあ、人工生命のあとはノーベル賞とれる分野を研究すればいいよ」
「そうだね。ノーベル賞とったら、愛音ちゃんかわりに授賞式に参加してね」
「なんでわたしが?」
「親友だから」
「わたしが美結ちゃんの研究をみんなのまえで話すの?無理無理」
ノーベル賞と言えば、数学賞もないんだよね。サオリ先輩は数学者だ。
「サオリ先輩ってどうしてるの?結婚式にきてなかったみたいだけど」
「ああ、ああいうのが好きじゃないからって断られちゃったんだ。日本に帰ってきて元気にしてるよ、きっと」
「ああいうのって、堅苦しい式って感じの?」
「そう。数学者だからね、カジュアルじゃないと息ができなくて死んじゃうんだよ」
「よく地球上の数学者絶滅しないね」
「断るのが上手なんじゃない?」
「なるほど」
美結ちゃんとオシャベリしていると、まだまだいくらでもオシャベリをつづけられてしまう。アイスも食べ終わったことだし、場所を会議室に移した方がよさそうだ。
お目付け役くんは、胸から顎まで机にくっつけて伸びていた。餓死寸前といってよい。刑事といっても食事抜きに慣れてはいないようだ。お弁当買ってきてあげればよかったねと言ったら、がっつり食いたいっすからと言ってフラフラと会議室を出ていった。途中で行き倒れにならなければいいけれど。
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