第29話 家庭訪問①
コインパーキングから歩くこと十数分。
「あら〜! 随分と大人っぽくなっちゃって! スーツまでしっかり着こなして! お久しぶりね、先生」
「お久しぶりです。紗枝ママは変わらずお綺麗ですね」
「ふふっ、ありがとう」
「それとご結婚もおめでとうございます。なにかお渡しするものがあればよかったのですが……」
「お気になさらず。本日は
「そう言ってもらえると助かります」
久しぶりに顔を合わせた彼女の母親。
紗枝よりも身長が10センチほど高く、大人びた容姿と昔と変わらず上品な雰囲気を纏っている。
正直、紗枝の『お姉ちゃん』と言われても疑わないほど。
「それはそうと、苗字が変わっていたから驚いたでしょう? 名簿で紗枝だとはわからなかったでしょうし」
「あはは、まさにその通りで驚きましたよ。この高校に通ってるはずなのに、名簿に名前がないなぁって」
「顔を合わせた時、空くん目玉が飛び出しそうになってた」
「そ、それは紗枝さんも同じでしょ?」
「空くんの方が酷かった。職員室で食べてたご飯が口から溢れてた」
「捏造しない」
お互いに顔を見合わせながら、からかうように会話する二人。
学校の先生と生徒とは思えない距離感なのは、誰が見てもわかる通り。
「昔と変わらず仲良くしてもらってるのね。紗枝は」
「ううん、わたしが仲良くしてあげてる」
「ふぅ〜ん。『明日は空くんの家庭訪問だ〜』ってあんなにはしゃいでたのに? お部屋だって入念に掃除して」
「っ! 空くん、今のは全部嘘。ママの冗談」
肩がビクついた。それに加えて耳が急に赤くする紗枝。
その一方、強がっている様子をニヤニヤと見ている母親。
どちらが正しいことを言っているのかは明白だろう。
ここで空が肩を持つのは、もちろんこっちである。
「うーん。紗枝さんの方が嘘っぽいなー」
「ほ、ほんと。わたし嘘つかない」
「ははっ、それなら信じることにするよ」
「うん。それでいい」
明らかな挙動不審だが、これ以上人数有利で責めるのは可哀想だろう。
『喜んでくれた』気持ちを掬い取り、一人嬉しく思う空である。
「ふふふ、本当に懐かしい光景だわ。立場上はとても苦労されているかと思うけど。紗枝だって困っているもんね?」
「そう。『先生って呼びなさい』とか強要してくる。これはパワハラ」
「——ん? 紗枝」
そこでわかりやすいほどに声色を変えた母親。
その変わったというのは、2オクターブほど低くなったもの……。
「あなた、学校内で先生を
「そ、空くん……」
墓穴を掘ったことに今気づいたのだろう。
助けを呼ぶような声と共に、高速で自分の背後に隠れた紗枝。
上目遣いのその目を見れば、本当に縋っている。
このように庇護欲を沸き立たせる才能を持っている彼女だが、『パワハラ』とこちらを攻撃した罰はしっかりと受けてもらわなければならない。
「これからも厳しい教育を紗枝ママにはお願いします」
「もちろんそのつもりよ。ただでさえ甘えん坊な
「……空くんのあほ」
眼光を光らせた母親だ。本気の言葉であることを悟ったのだろう。
紗枝は握り拳を作って腰を叩いてくる。が、痛さは全くない。マッサージされているかのような力。
恐らく全力なのだろうが、なんと言っても振り幅が小さいのだ。
暴力はとことん似合わない彼女だ。
「まったく。どう考えても紗枝が悪いでしょうに……。悪口まで言って本当にごめんなさいね。あとでしっっっかりシメておくわ」
「お部屋逃げるもん……」
「あははっ。頑張ってね、紗枝さん」
思わず笑い声を上げてしまう空。この二人のやり取りを聞くのも本当に懐かしかった。
「立ち話を本当にすみません。それでは空先生、中の方へどうぞ。お茶菓子も用意してるから、ゆっくりしていってください」
「ありがとうございます。それでは中の方にお邪魔させていただきます」
玄関で靴を脱いで廊下に上がると、すごい勢いで紗枝も靴を脱ぐ。
その行動を取った理由はすぐに判明する。
「紗枝。そんなに空先生に
「空くんがおうちに来るもの久しぶり……だもん」
「このくらい全然大丈夫ですよ」
「そ、そう……? なにか迷惑があったらすぐに注意してもらって大丈夫ですからね」
「わかりました」
「ありがとう、空くん」
「どういたしまして」
確かに『家庭訪問』の態度として紗枝は正しくないが、この歓迎はなによりも嬉しいもの。
親も娘の気持ちを理解しているからこそ、簡単な注意で終わらせているのだろう。
本当に出来た方だと改めて思う空である。
そうして、リビングに着き……案内されるままにテーブルにつく。
正面に紗枝ママ。空の真隣には——紗枝。
絶対におかしい構図に頭を抱える母親と、何食わぬ顔で女の子座りをし続ける紗枝だった。
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