第8話 草を食べる(前編)

 近所のマルエツで野菜をかごに入れていると、ふとした瞬間、ほうれんそうが草に見えてきた。いや、ほうれんそうは草なんだけど、そっちの草じゃなくて、ネットスラングの「草」の方だ。笑える、笑った、みたいな意味の「草」。僕は現実とインターネットの区別がつかない重篤なネット中毒者なので、こういうことはよく起こる。


 そういえばインターネットの草は食べたことなかったなあ。


 レジに向かいながら僕は、草料理について考え始めている。




     ◇◇◇




「というわけで、今日は草を食べるよ」


 家に帰ると、PCの前で宣言する。

 れーちゃんは暇そうにYouTubeでヒカキンゲームズのチャンネル登録ボタンのベルをつついていたが、僕の声に振り返った。


「くさ?」

「うん。どんな味がするのかな、れーちゃん知ってる?」

「しってるぞ。やばいあじ」

「やばい味なんだ」

「あっ! お、おにーさん、お、おかえりなさいっ!」


 現れて、ぺこりとお辞儀をするのは新キャラのAI少女・あいちゃんだ。さっきまでWindowsアクセサリのペイントでお絵描きをしていたらしく、画面にはチェンソーマンの田中脊髄剣のシーンがあいちゃんの画風で描かれている。何でそのシーンチョイスしたの。


 れーちゃんがのっそり近づいてきて、あいちゃんがぱたぱた急いで寄ってくる。

 銀髪幼女と、黒髪少女。

 ふたりとも可愛いなあ。


「おい、にーと。きもおたの、わらいが、でてるぞ。かがみを、みてきたほうが、いいんごねぇ」

「も、もう、れーちゃん! そんな、ひ、酷いこと、い、言ったら、めっ!ですよ? お、おにーさんの、え、笑顔は、かわいいんですからっ。え、えへ、えへへ……好きです、おにーさん……♡」


 ツンツン幼女とデレデレ少女が交互に来る生活やばい。あいちゃんに至っては語尾にハートマークを付ける技術をAIの力で学習して使い始めたし。


「あいちゃんのその語尾どうやってんの?」

「こ、これですか?♡ ふ、ふつうに、『はーと』で、へ、変換すれば、出ます♡」

「思ったより普通のやつだった」

「さて。くさを、たべにいくなら、そうするんご」

「そうだね。でも、そのへんの面白動画に付いたコメントの草を食べるんじゃ、雑草をむしるのと変わらないし、風情がないよね。どうしたものかな……」


 三人でうーんと考える。すぐにれーちゃんが「じゃあ」とアイデアを出した。


「くさを、さいばいするのは、どうか」

「栽培? 種から育てる的な?」

「まあ、それに、ちかい。でも、ただの、さいばいじゃない」

「どういうこと?」


 僕とあいちゃんは、れーちゃんから衝撃の提案を聞かされた。


「『(笑)』を『草』になるまで育てる!?」

「はぇ……??」

「あいちゃんもついていけてないじゃん。そもそもあいちゃん、草はわかる?」

「は、はい。しょ、植物ですよね……?」

「ネットスラング系はまだ学習してないんだね」

「あじわいぶかい『くさ』をうみだすには、『かっこわらい』の、じょうたいから、いくつものだんかいをへていく、ひつようがあるぞ。しかも、『かっこわらい』は、とうじのものを、つかうのが、のぞましい」

「当時の『(笑)』って……5chの過去ログでも漁る気?」

「いや。もっといい、ほうほうが、ある」


 舌足らずだし、幼いふにふにの顔ではあるが、れーちゃんは『きりっ!』とした表情をして言い放った。


「じくうを、こえるんご」




     ◇◇◇




 というわけで僕たち三人はhttps://www.nicovideo.jp/watch/sm9にやってきた。ニコニコに現存している最古の動画、『新・豪血寺一族 -煩悩解放 - レッツゴー!陰陽師』だ。


「れーちゃん、時空を超越するってどうやんの」

「にーと。にこにこの、こめんとは、どうやって、ひょうじされる?」

「右から左へ流れていく感じで表示されるよね。ライブ感があって僕は好きだけど。それが?」

「ひだりへ、ながれていく、こめんとは、どこへとたどりつくのだろうな?」


 れーちゃんが動画の再生ボタンを押す。陰陽師たちが謎のダンスをする映像が流れる。シークバーの上で、現在の再生位置を示すスライダーが、徐々に右へと移動していく。


「そんなこと、考えたこともなかった。すべてのコメントは動画の左へ移動していくけど……」

「そう。こめんとは、どうがの〝0びょう〟の、ほうこうへと、むかっていく」


 れーちゃんが、コメントのひとつに目を付けた。2022/11/26 22:13に投稿された『カオスすぎるwww』というコメントだった。れーちゃんはその文字列の上にぴょんと飛び乗り、手招きをする。僕とあいちゃんは顔を見合わせた。ふたりでれーちゃんを追い、カオスすぎるwwwのカオスの部分に腰かける。


「このまますすむぞ」

「……まさか、れーちゃん」


 カオスすぎるwwwは僕らを乗せて動画の左に進む。動画の冒頭、0秒時点へと。


 そういうことか……!


 本来、ニコニコのコメントの位置は「投稿された位置」で固定されており、シークバーのスライダーが右へ動くことによって「相対的に左へ流れているように見える」だけだ。つまり、コメントは実は移動していない。動画内で時間が経過しているから、その進みに置いていかれて、結果、移動しているっぽく見えるだけ。

 こうもいえる。コメントが左へ流れているのではなく、世界(=僕)が『右』へ流れているのだと(図1)。



[カオスすぎるwww]

\ 視界 /

  [僕]→

  [世界]→


[カオスすぎるwww]

       \ 視界 /

         [僕]→

         [世界]→

    【図1】



 しかし、僕たちがコメントの上に飛び乗ったならどうだろう。観測者はコメントと一心同体。観測者にとって時間は動き続けており、固定されていたコメントもまた、観測者と同質となる。すなわち、時間的に移動可能な性質へと上書きされる。

 ここで不思議なことが起こる。

 観測者はコメントの側から世界を観測する。以前とは立場が逆転・変質している。世界が『左』へ流れ、コメント(=僕)が『右』へ流れていくのだ(図2)。



      ←[世界]

  \ 視界 /

    [僕]→

    [カオスすぎるwww]→


 ←[世界]

     \ 視界 /

       [僕]→

       [カオスすぎるwww]→

    【図2】



 この場合、左とは未来の方向、右とは過去の方向だ。つまり、コメントと一緒にいるかぎり、僕たちは過去を遡りつづけることが可能となる……!


「というわけなんだね! わかったあいちゃん?!」

「ふぇ」

「わかんないよね!!!!」

「さあ、とつにゅうするぞ。どうがの、はじっこの、むこうがわ。0よりも、ふるいばしょへ……!」


 タイムトラベルが始まる。


 00:03 / 05:20

  00:02 / 05:20

   00:01 / 05:20


    00:00 / 05:20


   -00:01 / 05:20


  -00:02 / 05:20


 -00:03 / 05:20


-00:04 / 05:20


:05 / 05:20


/ 05:20


:20






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