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かぎろ

第1話 ちくわ大明神を食べる

 右から左へ、『wwwwwwwwwww』『草』『てぇてぇ』『くしゃみ助かる』などのコメントがスライドしていく。




     ◇◇◇




 時は令和4年、10月24日。

 場所は、インターネット。

 僕はちくわ大明神を食べようとしていた。


「もぐもぐもぐもぐもぐ」


 隣で一緒にいる幼女の方は、とっくに食べ始めている。おいしいのだろうか。それとも、まずいのだろうか。僕は手元に目を落とす。ちくわ大明神はどうやらそこにあるようだが、うまくは認識できない。ちくわの形をしているのかと思ったが、そういうわけではないみたいだ。

 丸くも見えるし、四角くも見える。白くも見えるし、黒くも見える。不定形で、常にかたちを変えており、そこにあるのかも不明瞭。


「これが、ネット上で有名でありながら謎に包まれた存在。ちくわ大明神……」


 そもそも食べられるのか、ちくわ大明神って。

 そんな疑問を持つ人の方が多数派だと思う。僕も昔であればそう思っただろう。だけど、今の僕はあまり気にしていない。

 気にすることができない。


 僕はインターネットのやりすぎでインターネットと現実の区別がつかなくなった。その結果、インターネットに体の半分を取り込まれ、いま自分がインターネットと現実世界のどちらにいるのかが曖昧な、不確定な存在になってしまっている。


「さて、お腹も減ったし食べたいけど、これどこから食べればいいんだ……」

「もぎゅもぎゅ、もちゅもちゅ」


 可愛らしい咀嚼音でちくわ大明神を食べているのは、銀髪幼女でありインターネットの妖精、れーちゃん。


「もにゅもにゅ」

「れーちゃん、おいしい?」

「わからないんご」

「わからないンゴかー……」

「わかったら、ちくわだいみょうじんじゃ、ないぞ」

「どういうこと?」


 れーちゃんは、そんなこともわからないのか、という顔をした(僕は割とこの子に舐められている)。


「ちくわだいみょうじんとは、いんたーねっとでも、いみふめいのもの。

「……それって、定義されていないのと同じなんじゃ?」

「んーん」


 幼女は首を振る。「わからないことと、わからないことがわかられていることは、ぜんぜんちがう」


「そういうものなのか」

「にーとは、ちくわだいみょうじん、たべないんご?」

「フリーターね」

「はたらくきがなさそうだし、にーとだぞ」

「やめてね」

「どうせろくなしごとにつけないから、にーとのままで、いいとおもうけどなー」


 僕は泣いた。


「なにないてんの。はやく、くえ」

「はい……」


 手元のちくわ大明神を持ち上げる。持ち上がったかも定かではないが、とにかく口元まで持っていき、かぶりついた。


「……!」


 味が……


「……? …………???」


 味が、しない、のとも違う。

 味がしないという感覚がする。

 甘味を感じない、という感覚。苦味を感じない、という感覚。


「なんだ、これ……?」


 わからない。自分が何を食べているのかがわからない。やわらかいものを噛んでいない、という感覚。かたいものに歯を立てていない、という感覚。熱々のローストビーフではない感覚。冷たいシャーベットではない感覚。なにもかもわからなくて、一口、二口と食べ進める。香ばしくない感覚。舌の上でとろけない感覚。チャーシュー麺ではない感覚。チーズフォンデュではない感覚。ちくわではない感覚。大明神ではない感覚。

 ちくわ大明神ではない感覚。


 脳がバグる、という表現がふさわしい。


 ちくわ大明神は、この世の何でもなくて、それこそちくわ大明神でさえない。

 だからこそ、ちくわ大明神なのだった。


「いやわかんねー! わかんないよれーちゃん! 何なのこれ!」

「わかんないぞ。そんなことより、たべすぎに、ちゅうい」

「え。何で?」

「おまえ、そんざいが、ぶれてる」


 僕は自分の体を見る。手足の輪郭がぼやけている。


「うわー!?」

「ぼくは、いんたーねっとのようせいだから、いいけど。いっぱんじんの、おまえは、ちくわだいみょうじんの〝ふたしかさ〟に、のまれてしまうんごねぇ」

「えええ!? ど、どうすれば! 助けてれーちゃん!」

「ちくわ大明神」

「えー、ほっとけば、なおるんじゃないの」


 右から左へ、『wwwwwwwwwww』『草』『てぇてぇ』『くしゃみ助かる』などのコメントがスライドしていく。どこの誰が何の動画に打ったのか知らないコメント群は、インターネットと現実の境界にいる僕の視界にはいつも流れている。ときおり勝手に視界を埋め尽くすので厄介だ。

 僕は溜息をひとつ。

 それから空間を指でスワイプ。

 指の動きに呼応し、テクスチャがポリゴンのような質感でパキャパキャと剥がれて、真っ白なブランクの空間が現れたかと思うと、1×1ピクセルのドットが早回しのテトリスのように積み上がって背景を形づくる。ドット絵は徐々に高精細になってゆき、Windows XPのデスクトップが現れた。青色のタスクバーより上に、草原の壁紙が広がる。かと思えば、草原の向こうでは青いTwitterの鳥が羽ばたき、風が吹き荒れ、僕の髪をなびかせた。XPはVistaに、7に、8になって、やがて10がすべての準備ができていることを確認し始める。そしてWindows 11はVRChatのメタバース空間を構築する。YouTubeが降臨し、猫耳を生やしたVTuberが今週の水星の魔女の感想を喋り、赤スパが舞った。

 これが僕にとっての現実インターネット

 ふ、と小さく笑って、僕は呟いた。


「誰だ今の」

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