第6話 加護の青い光

 黒っぽい岩山が連続する風景は、翼竜族が住処としている西域独特の風景だ。谷間には川が蛇行しながら流れている。

 西域での冥府の者の活動は思ったより活発化していた。小規模な戦闘を繰り返しながら、西域を辺境の方向へ転戦していく。魔界をぐるりと取り囲むように存在している冥界との緩衝地帯を辺境と呼ぶ。西域が辺境へと変わるあたりで、小隊が助けを求めていた。早く救援に向かわなければならないのに、所々で食らう足止めはヴォルフの気持ちを焦らせる。


けろ!!」


 ヴォルフが叫ぶ。アーウィンが翼を捻り身体を傾けると、さっきまでアーウィンがいた空間を間欠泉のように噴き上げた真っ黒い靄が突き抜ける。


「追跡する、逃すな!!」


「承知!!」


 アーウィンは一気に上昇に転じ、スピードを上げる。ヴォルフは剣を抜いた。巨大な蛇のように身をくねらせながら真っ直ぐに上昇する冥府の者を追う。巨大な者は魔界と現世の境界を越えるのに時間がかかるが、抜けられてしまうと現世に多大な被害をもたらす。

 バタバタと音を立ててヴォルフのマントが翻る。

 アーウィンは冥府の者に追いつき、追い抜く。追い抜きざまにヴォルフは剣を一閃した。冥府の者の胴は刃渡りを遥かに超える太さだったが、ヴォルフのたった一撃で分断される。真っ二つになった冥府の者は失速してのたうちながら落下しはじめる。それを下で待ち構えていた騎士たちがさらに寸断し、冥府の者は力を失って消滅した。アーウィンは水平飛行に戻り、一行は隊列を組み直した。


「あんなデカい奴が白昼堂々出てくるなんて、最近どうかしてるでホンマ」


 アーウィンがぼやく。


「あ、もしかして、アレか?」


 アーウィンは長い首の付け根に跨っているヴォルフを僅かに振り向く。


「アレが何かいまいちよくわからないけど、多分それだよ」


「ほんなら、つがい……やなくて、お前のお姫さまと離れて良かったんか? うてくれたらええのに」


「今は仕方ない。連れてくるわけにいかないからね」


「……そら、よ帰ったらなあかんな。試練のことで不安な思いしたはるやろうから、そばにおったらんとな」


「アーウィンてさぁ、案外細やかなこと言うよね。見た目によらず」


「どおゆう意味やねん」


「言ったままの意味だけど?」


 ヴォルフは声を出して笑ったが、すぐにその笑いを引っ込めた。青空にもかかわらず、前方に真っ黒な、雷雲のような塊が見える。助けを求めている小隊はあそこにいる。


「まじか。あれはあかんやつや」


 アーウィンは一気に飛翔スピードを上げた。他の翼竜たちも続く。雷雲のようなそれは、もちろん無数の冥府の者の集合体だ。近づくと、翼竜族の戦士と、先に派遣していた人族の騎士がこの場を抜けさせまいと必死に応戦している様子がわかる。

 ヴォルフはアーウィンの上で叫ぶ。


「冥府の者どもよ。この場を通過することは、魔王の名代である私が許さぬ。失せろ」


 ヒィィィィッ

 隙間風が吹き抜けるような音がして、靄が晴れるように冥府の者たちが消滅する。しかしそこにはまだ残っている者がいた。

 立体なのか平面なのかすらわからない、光を全く跳ね返さない漆黒の身体。そのシルエットは翼竜族に酷似しており、背中には翼竜族と同じような翼もあるが、その翼の端から端までは巨大な翼竜族の戦士のさらに倍ほどもある。


「魔王の嗣子か……」


 轟く雷鳴のような声が言う。


「そうだよ。魔界で好き勝手させるわけにはいかないな」


 ヴォルフは再び剣を抜いた。


「しかしここで会ったことは都合がいい……。お前を殺せば、お前の伴侶は直ちに我が君のものとなる」


 冥府の者は姿を変え、翼竜と人の間を取ったような姿になる。頭の形状は翼竜のままに、背中に翼を生やした人間が空中に出現した。光を全て吸収するそれは、さしずめ、空にぽっかりと開いた異形の穴だ。


「二度と姫さまのことを口にするな」


 ヴォルフが鋭い口調で言うと、冥府の者の体表面に稲妻が走った。


「去れ」


 力を込めて低く、鋭く、短く言う。言葉はそのまま攻撃となって冥府の者を撃つ。

 グオオオオオオッ

 大気をビリビリと震わせて冥府の者が咆哮する。影絵のような身体の縁が乾いた漆喰のようにバラバラと剥がれ落ちていく。しかし、その欠片一つひとつが再び小さな翼竜となって意志を持ち、現世を目指して飛び立とうとする。戦士たちは散開し、個別に討ち倒した。


「おのれ、魔王の嗣子め……!」


 翼竜族と同じくらいの大きさにまで縮んだ冥府の者は、アーウィンに正面から突っ込んでくる。アーウィンが翼を捻って身体を急角度に傾け、近距離で交差する。ヴォルフは右手に剣を握ったまま、左手でアーウィンの首に巻き付けた革の手綱を握り、あぶみを踏みしめてその急激な動きに耐えた。

 冥府の者は地面に向かってダイブする。アーウィンもそれを追う。二体は地面に激突する寸前で上昇に転じる。ヴォルフはアーウィンの硬い鱗に身体を押しつけられるが、なんとか耐えた。冥府の者とアーウィンはお互いの背後を取るべく争いあう。ヴォルフは決定的な一瞬を機動に耐えながら根気強く待った。冥府の者がアーウィンの背後に回り込もうと上昇から回転に転じ、速度が弱まった一瞬、ヴォルフは振り向きざまに剣を一閃した。太刀筋に沿って光が生まれ、冥府の者の首が胴から離れる。冥府の者から凄まじい爆風が生まれ、戦士たちを煽った。アーウィンはなんとか失速は免れたものの速度を失う。

 空中で揺らいだ首から下は崩壊して、また大量の翼竜型の冥府の者が生み出された。それに対して、頭部は鋭い三角錐となってアーウィンとヴォルフを串刺しにしようとする。速度を失っているアーウィンは回避しきれない。しかし、漆黒のきりが2人を貫くことはなかった。

 サファイアのような青い光の半球が2人を覆う。錐は青い光の半球に激突し、砕け散って消滅した。そこを中心に青い光が広がり、戦士たちの身体を包み、また、光に触れた無数の冥府の者たちは空中に溶けて消えた。


「ヴォルフ、何した? これは……?」


 アーウィンは風に乗って、意外なほど軽やかに、ふわりと地面に降り立った。次々に翼竜たちが地面に降りてくる。みな一様に青い光に包まれている。


「姫さま……」


 ヴォルフは、騎士服の袖口を見つめてつぶやいた。

 アウゲの施した刺繍の薔薇が青く輝いている。光はそこから生まれていた。


「ヴォルフさま、これは……」


 いつもは王宮で近衛騎士をしている女性騎士・グラナートが翼竜の上から声をかける。


「これが、そうだったんだ……」


 しかしヴォルフは声をかけられたことにも気づかず、じっと刺繍を見つめている。


「これは『加護』やな。お前か、ヴォルフ?」


「いや、おれじゃない。姫さまだ。姫さまの魔族としての力は、これだったんだ」


 呆然としているヴォルフの周りでは、戦士たちがざわめいている。みな、自分の身体を見たり、人族の騎士たちは翼竜から降りて、翼竜の身体を診たりしている。

 一騎の翼竜が飛んできた。


「あっ、アーウィン王子! 何がどうなったんです!? なんか、青い光が見えたと思ったら、急にみんな怪我が治ってしもて……オレもやけど」


 ふわりと翼竜が降り立つ。その背には3人の人族の騎士が乗っていた。みな騎士服は破れているものの、怪我をしている様子はない。


「オルド!」


 グラナートが短く叫んで翼竜から飛び降りる。3人の騎士のうちのひとりに駆け寄って、その首に抱きついた。


「グラナート……! 無事で良かった」


 オルドと呼ばれた騎士もきつくその身体を抱き締め返す。


「お前の方こそ。怪我はどうした。もう、会えないのかと……私のせいで……」


 グラナートはオルドの首に腕を回したまま、涙の溜まった目で恋人の顔を見上げる。


「それが……、見てのとおりだ。何が起こったんだ。こんな力を、それもこんな大規模に使える者はいなかったはずだ」


「アウゲ姫のお力だそうだ」


「アウゲさまの……?」


 全員の視線がヴォルフに集中する。

 ヴォルフはようやく見られていることに気づいて、アーウィンの背から降りた。


「みんな、無事だった? 死者は?」


「私は危うく死者になりかけましたが、ご覧のとおりです。負傷者もいましたが、今は全員無事です」


 隊長でもあるオルドが答える。


「間に合って良かった。まさかこうなるとはおれ自身予想してなかったけどね」


 ヴォルフは白い歯を見せて笑う。


「翼竜族のみんなも、無事だったのかな」


 傍のアーウィンを見上げる。


「ああ、見たとこ、全員無事やな。こんなことが……」


 アーウィンも翼竜族の戦士たちを見回した。


「ヴォルフさま」隊長のオルドが呼びかける。「援軍を求める伝令が」


「ヴォルフ、お前はお姫さまとこに帰れ。あとはオレが引き受けた」


 アーウィンが言う。


「いや、務めを途中で放り出して帰ったりしたら、それこそ姫さまに叱られるよ。戦う前から負けてどうするのって」


 ヴォルフは肩をすくめて笑う。


うかあ……? なんや知らんけど、お前のお姫さま、見た目と違って豪傑なんやな」


「最高だろ?」


 ヴォルフはアーウィンに向かって片目を瞑ってみせた。

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