第2話 お試し冒険者

 フェイトと出会い、ざっくりとした説明を受けたヒロシは、体調不良を理由にこの日の午後から週明けまでの休暇を取った。

 ヒロシが勤務する会社でも、最近の彼の様子を不安視する人間もいたようで、おかげで休暇を取るのも二つ返事である。


「早速だけど、オーザムってどうやって行けば良いんだ? 今更異世界に行けるのなんて嘘とは言わないよね」

「続きは貴方の家についてからです。下手にバレると面倒なんですよ、こういうのって」


 今回ヒロシが聞いていた説明とは、オーザムという異世界で冒険者になってもらいたいというもの。

 ギルドがあるのでそこに登録し、仲間を集めてゆくゆくは魔王を倒すことを目的としたレンジャー。

 ファンタジーそのままな仕事をしないかと言われて、今の仕事に悩んでいたヒロシが夢を見るのは自然の流れであろう。

 ただし今の仕事を完全にやめてしまうのは抵抗がある。

 一度異世界に行ったら帰ってこられないのならば未練も残る。

 なので今回はお試しでオーザムに行き、数日間の職業体験をしようというのがフェイトの提案だった。


「休みも取れたし、冒険者が肌にあったら、そのまま向こうに移住してしまおうかな」


 元から病んでいた中に現れた逃避先である。

 フェイトは未練による後ろ髪で拒否するのではないかとが気にしていたが、ヒロシは彼女の仕事的には都合がいい方向に進んでいた。

 異世界に行けると言われたヒロシは、今の鬱屈とした職場からの開放を求めてフェイトの提案に乗っている。

 なので、どうもリスク度外視でオーザム行きを楽観視しているようだ。

 冒険者といえば命の危険もありそうなものだが、ヒロシはそういった生き死にを不安視する様子はない。

 一日体験でも良いからオーザムに連れて行って、彼を冒険者にすることを指示されたフェイトこそ彼の生死などどうでもいい立場なのだが、逆に心配してしまうほどである。

 仕事としてはトントン拍子なフェイトが悶々としているうちに、あっという間に二人はヒロシの家に着く。

 職場の近くに借りた独身向けの狭いアパート。

 中に入ると部屋は意外と片付いていて、清潔感が溢れていた。


「ついたよ。話の前にお茶を出そうか?」

「結構です。それよりもまずは、オーザムへ行く方法を教えましょう」

「早速か。待ちわびたぜ」


 ヒロシの乗り気を見て、前置きよりもオーザムに連れて行くことを優先したフェイトに彼は案の定、食いついている。

 フェイトは心の中で少し呆れつつも胸元から小袋を取り出すと、その中から小さくてキラキラしたモノを出した。


「これはストラーストーンと言って、ざっくり言えばワープアイテムです。これを使えば好きな場所に行けますから、まずは私のあとについてきてください」


 初めて見るマジックアイテムに目を輝かせるヒロシは子供のようで、これがフェイトより歳上の男性だとは思えないほど。

 だがフェイトが彼の様子に驚かないのは、異世界行きと聞いて乗り気の人間にはよくあるリアクションだと慣れているからだ。

 具体的な説明は追々にして、ストラーストーンを口に含んだフェイトは奥歯でそれを噛み砕いて破片を吐き出す。

 するとフェイトの前にに紫色に光る壁が現れた。


「この壁の向こうがオーザムにある、ギルドハウスに繋がっています。さあ、逸れないように手を繋いでください」

「お願いします。あ、でも靴が……」

「どっちにしろ向こうの世界だとスニーカーじゃ危ないので、移動したらギルドで履物を用意しましょう。行き先のギルドハウス内ならばスリッパで充分なのでお気になさらず」


 ストラーストーンが生み出す転送ゲートが開く時間は限られている。

 フェイトは土壇場でヒロシが怖気づく可能性を見越して、勢いで押し通す形で彼をオーザムに誘った。

 ゲートを潜ると立派な噴水が水飛沫をあげるエントランスに二人は降り立った。

 会社を早退してから着替える暇もなく連れてこられたヒロシはワイシャツにスリッパという場違いにも見えるラフな格好。

 引率のフェイトはいつの間にか靴を履いており、転職エージェントの制服らしきレディーススーツは見目麗しいギルドの受付嬢にも引けを取らない。


(いや、これは彼女が美人だから様になっているだけか)


 ヒロシが心の中で呟くのも納得なほどに、ファンタジー風らしき異世界にそぐわないはずのフェイトの格好は型にハマっていた。


「いつもお疲れ様です」

「ブラフマーエージェントさん、いらっしゃい。その人が神託者ですか?」

「ええ」

「では黒牛の間に向かってください。一通りの準備は終わっていますので」

(あの人は何を言っているんだ? 彼女が日本語で話しかけている意味は通じているようだけれど)


 受付嬢に挨拶をしたフェイトは案内されるがまま黒牛の間に向かう。

 このときの二人の会話でヒロシは受付嬢が何を言っていたのか理解できないまま、フェイトの後についていた。

 それというのも受付嬢を含めてオーザムの人間はすべてその世界の言葉を喋っているからだ。

 からくりはわからないがここは異世界。

 ならば魔法か何かで通訳が必要なのだろう。

 ヒロシはそう予想する。


「ココが黒牛の間です」


 フェイトが開けたドアの先は少し薄暗い。

 ややピンクがかった照明に、なにか怪しい雰囲気すらヒロシは感じていた。

 ここは異世界。

 ならば異世界らしいもてなしなのだろうか。

 チラリと目線を向けたフェイトの耳元にヒロシは生唾を飲み込んだ。

 そんな卑猥な想像を浮かべた彼は机の上にある着替えに気づかない。

 なのでそれを手に取ったフェイトに突きつけたれた彼は驚いて声を出した。


「そんなに驚いてどうしなしましたか?」

「な、なんでもないです」

「なら私は少し席を外しますので、この服に着替えてください」

「着替えろと言っても、この服、ちょっと薄すぎませんか?」


 フェイトが渡してきた服を広げたヒロシは嫌そうな顔でたずねる。

 それというのも、たしかに靴は事前に言われたように頑丈そうな重たくて分厚いブーツなのだが、衣服の方は布切れ一枚である。

 これなら家からジャージを持ってきたほうが良かったのではないかと彼が不満を漏らすのも自然であろう。


「見た目は古代ギリシアかって感じですけれど、色々な呪いがかかっている駆け出し冒険者にはオススメの服ですよ。虫よけに耐冷耐熱防刃のバリアもあって、見た目よりも頑丈ですし。ハッキリ言うと、今回お試しの城之内さんが冒険者ギルドの持ち出しで支給されるのは、異世界人故の破格な待遇ですから。現地の人が買おうとしたら、それなりにミッションをこなしてお金を稼いだ中級クラスからの装備ですので」

「本当ですか? だったらアナタも着てみてくださいよ」


 フェイトに着てみせろと言うヒロシの顔はニヤけていた。

 薄手の服を着せようというあからさまなセクハラを前にして、フェイトは彼を軽く睨んだ。


(ヤバい)

「わかればいいんです。さっさと着替えてくださいね」


 少し強めにドアを締めたフェイトの態度に驚いたヒロシは素直に服を着替えた。

 実際着てみるとたしかにこの服は優れた品なのだろう。

 ヒロシは鳥の羽根一枚の重さも感じないのに、なにかが全身を包んでいるのが肌で感じ取れた。

 だがこの服だけでは冒険者としては華がない。

 冒険者としてダンジョンを攻略するのならば、武器の類はないのだろうか。

 それにせっかく異世界に来ているのだから、自分にも魔法の類いが使えるようになってはいないのか。

 なまじ高性能な魔法の衣服をもらったことで、ヒロシの要求は増え始める。


「そろそろ良いですか?」


 確認をしてから黒牛の間に戻ったフェイトの目に、ソワソワしているヒロシの姿が映った。


「気に入ったようで、良かったです。次はそれ以外の諸々の儀式があるので、あそこに立ってくれませんか?」


 次の指示としてフェイトが指さしたのは、黒牛の間の奥に書かれた円である。

 あからさまな魔法陣というやつだろう。

 期待に胸を膨らませたヒロシはスキップしながら円の中心に立つと、「早速やってください」と急かした。

 フェイトとしては、細かい作業は上司の仕事なので自分をせっついてもと思うのだが顔には出さず。


(あれってこの世界でも使えるのか?)


 胸元から電話を取り出したフェイトを見てヒロシは心の中で呟いた。

 実際には公共の電波ではなく、フェイトの雇い主であるブラフマンやオーザムの神々との交信の依代として、電話を利用しているにすぎない。

 ブラフマンの仲介でオーザムの神の使い、精霊エレジアに話がつくと、魔法陣から赤い光が立ち上った。


「すぐ終わるので、目を閉じて休めの姿勢を維持してくださいね」


 フェイトの言うように数秒で事は過ぎた。

 終わったと言われてもヒロシには実感がわかないのだが、フェイトの説明によるとこれで通訳とストレージが使えるようになったそうだ。

 通訳はオーザムの言葉を自分の知る言語に置き換えたり、自分の発した言葉をオーザムの言葉に変換して相手が認識する能力。

 ストレージは異空間に荷物を収納する能力。

 異世界モノでよく見る便利能力そのままを習得したことで、ヒロシの興奮は冷めやらない。

 それに精霊がオマケとしてストレージの中に武器を入れてくれたのだから、ヒロシは試しに抜いてみたくて仕方がない。

 こんな場所で抜いたら最悪処刑だとフェイトに釘を差されなければ、武器を出して机で試し切りをしたであろう。


「終わったようですね」

「ええ、おかげさまで」

(通訳の方もちゃんと機能しているな)


 儀式も終わり、これでヒロシも冒険者としての第一歩が踏み出せる状態となった。

 あとはギルドの掲示板に張り出されたミッションをこなしたり、ダンジョンに出向いて探索をして日銭を稼げば良い。

 かつて営業として働いていた頃の探究心を刺激されたヒロシはどんなミッションをやってみようかと思うわけだが、一番の目当てはやはり精霊から託された武器の試し打ちであろう。

 これまでまともに戦いを経験したことのない、一般男性のヒロシがいきなり戦うのは時期尚早にフェイトは思うわけだが、そんな異世界の常識など考慮しないギルドの職員は乗り気である。

 神託者──異世界の神ブラフマンが推薦する勇士ということで、ヒロシの気合の入り様を見た職員は大きなミッションを持ってきた。


「神託者様は随分と自身がおありのようですので、こちらのダンジョンに向かってみるのはいかがでしょう?」

「いいね」

(げげ!)


 流石に初日。

 まだお試し冒険者であるヒロシの引率として、ミッションのビラに目を向けたフェイトが驚くのも無理はない。

 職員が持ってきたダンジョンの推定難易度はAtoZ評価のAランク。

 行き先は元魔王城。

 10年前に討伐された北オーザム一帯を支配していた炎の魔王、ファイガードがかつて住んでいた廃城である。

 目的は残された魔王の遺物を回収することと、住み着いている魔物らしきものの討伐。

 元魔王軍の幹部が生き残っている可能性があることからこの難易度に設定されており、これ以上は勇者を呼ぶ案件だ。

 魔王城の探検と聞いて、お宝の匂いに目がくらんだヒロシは二つ返事である。

 異世界に来てストレスから開放されたことと、翻訳、ストレージ、精霊の武器を得て増長した彼は魔物を甘く見ていた。

 フェイトは彼が心配になるが、ブラフマンが何が何でも彼をオーザムに連れてきて、冒険者にしろと指示した意義を考えて渋々ながら彼に付きそう。

 眼の前でもし死なれたら目覚めが悪いが、ブラフマンには彼が異世界に来たらこうなることすら見えていたのだとすれば、邪魔をしたら逆に問題が起きる。

 フェイトが取るべき行動は、彼が元の世界に戻るまでの間、引率として護衛すること以外に無かった。


「それじゃあ俺は早速出かけてきます。ここまで連れてきてくれて、どうもありがとうございます」

「待った。ここでお別れの雰囲気を出されても困ります。今回、私は貴方にこの仕事を紹介するとともに、家に返すことまでを仕事として来ていますから」

「別に良いって。俺が務めていた会社の方には、そちらの会社から連絡を入れてもらえれば」

「それは私の専門外です」


 このまま異世界に定住するにしても、退職などのしがらみは自分で解消してほしい。

 もし退職代行まで引き受けることになったら、無茶を言われるのは自分だ。

 なので何が何でもが、一旦は彼を連れて帰ろう。


「なので私もそのダンジョンに行きますよ。何より冒険者には仲間がいるのがお決まりでしょうし」

「だったら俺について来な。でもお姉さんは大丈夫か? 俺と違って精霊の武器も呪法がかかった服もないし」

「それこそご心配なく。有事のときには私がなんでこんな仕事をしているのかをお見せしますから」


 指をポキポキと鳴らすフェイトを見て、職員は「ブラフマーエージェントも本気を出すのならば、神託者と二人で敵なしだろう」と、このミッションが成功するビジョンを見る。

 そんなフェイトの姿を「美人のお姉さんが強がっている姿もなかなかかわいいな」と、楽観的に見ているのはヒロシだけだった。

 魔王城まではギルドにある転移魔法陣で元ファイガード王支配地区まで移動して、そこから徒歩で一時間。

 泊り込みを見越した水や食料をストレージに用意した二人は早速魔王城へと出発した。

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