5. 出発

「とりあえず、飯を食え。――さぁて、忙しくなるぞ。スキア! 仕度をするから手伝っておくれ」

「分かった!」


 ……ん?

 知らない声が一つ聞こえて、佑は声の方を見た。

 暖炉のそば、さっきまで巨大な狼がいたところに、少年が一人立っている。青い髪の毛に、獣の耳を頭に生やし、ふさふさの尻尾が生えた……獣人。

 喜び勇んでリディアの方に向かってくる少年に、佑は目を丸くした。


「あ……れ……? スキアって、狼じゃ……」

「使い魔だと言っただろう。何だお前、使い魔が人間の姿に化けるのを知らないのか」

「は? 化け……、ええぇ?!」

「おっさん、寝言うるさかったよ。後でオレにもその板見せてね」

「あ、うん。良いけど。……えええ?!」


 さっきベロベロと顔を舐め回してきたあの狼が、竜樹より少し幼いように見えるこの少年……?!

 佑は混乱し、頭を両手で掻きむしった。






 *






 少年スキアは竜樹と違い、人懐っこく快活だった。

 リディアに手伝いを言いつけられているはずなのに、食事中の佑の元にふらっとやって来て、「その板見せて」とねだってきたのだ。金色のキラキラした目で懸命に訴えて来るのに負けて、佑は仕方なくスマホを見せた。


「さっきリディアが見てたの、見たい」

「ん? ん……」


 先ほどリディアに見せた写真と動画を再生すると、本当に嬉しそうに尻尾を振って、齧り付くようにしてスマホを見ている。

 竜樹も昔は純真だったのに。思春期に入った息子とは、ここしばらくまともな会話をしていない。


「すげぇ板だな!! こんなすげぇ魔法の板持ってるのに、おっさん、魔法使いじゃないのかよ」

「はは。行き過ぎた科学は云々ってやつだな……。こんなの普通だよ、普通」

「で、これがおっさんの息子? 全ッ然、似てねぇな!」


 如何にも日本人、しがないサラリーマンという佑とは違い、竜樹は紗良に似て整った顔をしていた。髪色も明るく、目にも青色が混じっている。


「あはは……。よく、言われる」


 バッテリーの節約のため、佑は急いで電源を切った。

 真っ黒になったスマホの画面を覗き込むと、スキアはまたビックリして変な声を上げた。


「この板、凄く平らだ。それに、もの凄く硬い。オレの顔が映ってる。鏡……?」

「いや、鏡じゃないよ。ガラスフィルムは貼ってるけど」

「ガラス? すげぇ。かの地って、本当はかなり裕福な魔法の国なんじゃないの?」


 もしかして、ガラスそのものが貴重なのか。窓には格子が入っていて、小さいガラスを組み合わせてある。棚にあるガラス瓶の形もどことなく歪で、透明度が低い。


「どうかな。言うほど裕福ではないし、魔法もないよ」

「ふぅん。よく分かんねぇな」 

「――スキア! 棚のハーブは纏めたか?」


 部屋の角っこから聞こえてくるリディアの声に、スキアはブルッと背中を震わした。


「まだです! やります!」

「早くやれ! 出発が遅くなる」

「はーい! おっさんも早く食いなよ」


 まだそういう歳ではないと思っていたが、スキアは佑を“おっさん”と呼ぶ。

 年齢差もあって、仕方ないと言えば仕方ないが、なかなか堪えるものがある。

 それでも、息子と同じくらいの子供に気軽に声を掛けて貰えるのは、悪い気がしなかった。






 *






「山の麓まで行けば町がある。装備も、そこで整えれば良いだろう」


 リディアは冬用の重装備だった。厚手のフード付きコート、毛皮の巻きスカートに分厚いズボンとふかふかのブーツ。

 これを持てと登山用のようなリュックを渡され、渋々背負う。

 スキアは一足先に外に出て、真っ白な雪の上をザクザク走り回ってはしゃいでいるようだ。外から楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくる。

 暖炉の火はすっかり消えていて、ほの温かかった空気が少しずつ冷めてきていた。

 カーテンを閉め切ると、日中なのに室内は真っ暗になった。ドアや窓の隙間から、薄らと差し込む光が白く際立って見える。


「火の始末はしたし、忘れ物は……ないな。あとは向こうで買えば何とかなるだろう」


 リディアは指さししながら、室内を1カ所ずつチェックした。


「買い出しですか」


 道案内ついでに自分の用事も済ますのだろうかと、佑は何気なくリディアに聞いた。


「私も行く。スキアも連れて行く。お前の、息子を捜しに」

「え?」

「気にするな。私もお前の息子に用事がある。もし仮に、お前の妻があの人なら、私は約束を果たさなくちゃならないのでね」


 耳を疑った。

 佑は何度も目を瞬かせた。


「町に着いたら、お前のその装備を何とかしなければなるまい。食料や道具の買い出しもある。長い旅になるだろうからな」


 暗くて表情はよく見えないが、リディアは決していやいや決断したわけではなさそうだ。


「で、でも。良いんですか、本当に」

「……お前は私が気まぐれで、或いは仕方なく決めたんじゃないかと思ってるのか? 思い上がりも大概にしろ」

「は、はい……」

「町まで、スキアの背中に乗っていく。そこで少し、話をしよう。私の知るセリーナ・リサラ・アラガルド王女と、お前の妻サラの話を」


 ――“セリーナ・リサラ・アラガルド”


「そ、それが紗良の本当の……」

「さぁ! 行くぞ、タスク!!」


 リディアはそう言って、バンと小屋のドアを開けた。

 冷たい朝の風が、佑の頬を撫でた。

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