ピクニック ~その2~
「天気がよくなったのです。セドリック、お前の負けなのです。やはり正義は勝つのです!」
少女は上機嫌にそう叫ぶと、背後を歩くセドリックの方を振り返った。その顔には満面の笑み、ただし底意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「それがお嬢様の勝ちになるかどうかはさておき、このくそ暑い中、ガキの散歩に付き合っているのは、間違いなく人生の敗北者ですな」
少女はセドリックの嫌みに対して、フンと鼻を鳴らして見せた。
「負け惜しみなのです」
少女はセドリックが素直に負けを認めない事に、顔をしかめて見せた。だがすぐに何かに気が付いたらしく、麦わら帽子のひさしを指ではじくと、その指をセドリックへと向けた。
「それにセドリック、お前は間違っているのです。これは散歩ではなく、ピクニックなのです!」
セドリックは少女の指摘を真っ向無視すると、登ってきた道を振り返った。そして額に手を当てて日差しを遮りつつ、長い下り坂の先をじっと見つめる。
「そんなことより、アイネスが追いつけるように、少しここで待ちましょう」
「そう言えばアイネスはどこなのです。アイネスがいないと、お弁当が食べられないのです」
少女が慌てて辺りを見回した。残暑の日差しが作る陽炎の向こうに、紺色の侍従服に白いエプロン姿の少女が、必死に坂を登っている姿が見える。
「アイネスは何をやっているのです?」
「さあ、屋敷と同じに過ごせるようにと、やたらとたくさんの荷物を持ってきたみたいですよ」
「ちょっと待つのです。もしかしたらアイネスは、ピクニックが何かよく分かっていないのですか?」
「そんな贅沢なことが出来るのは、お嬢様の様な自堕落な生活をしている、ほんの一部の者だけですよ。まあ、お嬢様には自堕落な生活以外は無理でしょうから、存在自体が無駄とも言えますね」
「よく分からない事を言っているのです。でもとっても馬鹿にされた気分なのです。それに無駄とはなんなのです。今すぐ首――」
だが少女はアイネスの方へ視線を走らせると、そこで言葉を飲み込んだ。
「今は特別に許してやるのです。すぐにアイネスを助けに行くのです」
セドリックは小さく肩をすくめると、少女と共に坂道をアヒルの様に、よたよたと歩くアイネスのところへ向かった。
「お、遅れまして、も、申し訳ありません」
二人が近づいてきたのを見て、アイネスは慌てて詫びの言葉を口にした。そしてお辞儀をしようとするが、背中の荷物が重すぎるのか、まるで水のみ人形みたいな動きになっている。その姿に、少女とセドリックは互いに顔を見合わせた。
「アイネス、その大きな箱はなんなのですか?」
「あ、あの……」
「このくそガキから、余計な荷物でも頼まれましたか?」
「い、いえ……」
「セドリック、何を言うのです。お前がアイネスに余計な仕事を頼んだのに、決まっているのです」
「私は何処かのガキと違って、そんな無用なことなど致しません」
「いえ、私の方で色々と詰め込みましたら、少しばかり荷物が多くなってしまいました」
そう答えたアイネスは、額に大汗を浮かべながら、二人に向かって、苦笑いらしきものを浮かべて見せた。当人としては、一生懸命に唇の端を持ち上げようとしているらしいが、荷物のせいか、どうやっても気合が入った顔にしかならない。
「アイネス、ピクニックは自然を楽しむものです。屋敷の中にあるものを、全て持ち込む必要はありません」
「は、はい。セドリック様。申し訳ございません」
「もっとも、一番不要なものがついてますけどね」
セドリックは少女の方をちらりと見ると、アイネスの背中から背負子を外して、それを軽々と自分の背中に担いだ。そして僅かばかりしわになった執事服の裾を、ピンと伸ばして見せる。
「アイネス、城の中でこのくそガキの相手をしていると、息がつまるでしょう。今日はこのガキの存在は忘れて、外の空気を楽しみなさい」
「は、はい」
「ちょっと待つのです。どうして息がつまるのです」
「世界の常識ですよ」
「何が常識なのです。まあいいのです。もう少しなので、特別に許してやるのです」
そう告げると、ニタリと笑って見せた。
「何がもう少しなのです?」
少女はセドリックの問いかけを無視すると、セドリックがアイネスから受け取ろうとした籠を奪い取った。
「なんでもないのです! それよりも、弁当は私が持つのです。セドリックが持つと、嫌みがうつってまずくなるのです!」
「私としてはお嬢様の間抜けがうつって、せっかくマルセルが用意してくれた弁当が、まずくなりそうですが……。まあいいでしょう。たまには人の役に立ちなさい」
「それはこっちのセリフなのです!」
「あ、あのお嬢様、セドリック様。アイネスは何も持っておりませんが?」
「アイネスも、今日は一緒にピクニックを楽しむのです!」
「はい。お嬢さま!」
「お嬢様、ちょうど日陰ですし、この辺りでもういいのではないでしょうか?」
アイネスの呼びかけに、少女は首を大きく横に振って見せた。
「何を言うのです。ピクニックは水辺でするものなのです」
「誰もそんな事を決めてはいないですよ。くそガキの頭の中だけにある妄想を、さも常識であるかの様に語るのはやめなさい」
「おのれセドリック、やはり首――。まあ今日はいいのです。特別に、特別に、許してやるのです。ククク……」
少女の口から不気味な含み笑いが漏れる。
「もともといかれていた頭が、よりおかしくなっている様ですね」
セドリックは何が楽しいのか、スキップしながら前を行く少女に向かって呟いた。アイネスは二人の後ろを歩きながら、辺りをそっと窺った。進むにつれ森はより深く、そして不気味になっていくようにしか思えない。
「あの〜、お嬢様。本当にこちらでよろしいのでしょうか? 少し不気味な感じになってきた気がするのですが……」
耐え切れなくなったアイネスが、少女にそう声を掛けた。
「そんなことはないのです。やっとピクニック向きの場所に近づいてきたのです」
前を行く少女がそう無邪気に答えた。
「そうでしょうか?」
先ほどまで見えていたのどかな草原は何処にもなく、うっそうとした森が続いている。木の幹には赤い血の色をしたツタが絡み、巨大な生き物みたいに見えた。
それだけではない。ここに入る前は雲雀の高鳴きが聞こえていたのに、この森の中ではキュエ、キュエとか、ギュア、ギュアといった、とても鳥とは思えない鳴き声が響いている。
それでも先頭を進む少女は、手にした籠を前後に大きく揺らしながら、前へ前へと進んでいく。それは散策というより、小走りに駆けていると言った方が近い。何も荷物を持っていないにも関わらず、それを追いかけるアイネスの息は今にも上がりそうだった。
やがて真っ黒な茨が三人の行く手を塞いだ。だが少女はアーチ状にぽっかりと空いたトンネルをくぐると、さらに奥へと進んで行く。アイネスも身を屈めながら、どこか禍々しい感じがする茨のアーチを潜り抜けた。
すると急に視界が開けて、小さな沼が顔を出す。けれどもその沼はとても美しいとは言えないもので、茶色く濁っている上に、水面のあちらこちらからはブクブクと泡が沸き立ってもいた。それに生臭い独特な臭気も辺りに漂っている。
「あれ?」
アイネスはその風景に思わず小首を傾げた。
「アイネス、どうした?」
「いえ、なんでもありません」
アイネスはセドリックの問いかけに、首を横に振った。だが再び小さく小首を傾げて見せる。
「フフフ、やっとついたのです。お弁当の準備なのです!」
「はい、お嬢様!」
アイネスはもってきた箱から大きな敷布を広げた。だが大きすぎて、中々うまく広がろうとしない。
「アイネス、手伝おう」
木陰で涼んでいたセドリックは立ち上がると、反対側の端を掴んだ。アイネスのすぐ目の前に、セドリックの顔がくる。それを見た瞬間、アイネスは耳の後ろが燃えているのかと思うぐらいに熱くなった。
「あの、セドリック様……」
「いつもお慕いしております」と言いたいのだが、口から言葉が出ていかない。だがセドリックはアイネスの方ではなく、箱の中身を見つめていた。そして少し怪訝そうな顔をして見せる。
「アイネス――」
「は、はい。なんでしょうか?」
「もしかして、食器など全て持ってきたのか?」
「はい!」
「この大量の服はなんだ?」
「お嬢様の事ですから、絶対に服を汚すと思いまして、予備を何点かお持ちしました」
「まあ、それはそうだろうな。でもそのまま歩かせればいいだけの話だ。それにどうして、アイロンと火鉢まで入っているのだ?」
「はい。畳むとどうしても皴になりますので、それを伸ばすために持ってきました」
「アイネス」
「はい、セドリック様」
「今度荷物を持ってくる時は、事前に相談しなさい」
「はい、セドリック様!」
セドリック様と荷物の相談をする。なんてもったいない時間なのだろう。そのまま時が止まって欲しいぐらいだ。アイネスは再び耳の後ろに灼熱を感じながら、食器を敷布の上に乗せようとして、その手を止めた。
「セドリック様?」
「なんだ」
「お嬢様がいらっしゃいません!」
「あのクソガキ、何を勝手なことをしているんだ!」
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