最終話 ホワイトレディの治療術

4-1

「――以上が、スウォンツェ様をお救いするために施した治療です」


 シュユの声が執務室の空気を震わせる。

 屋敷内の雰囲気に合うようにまとめられた室内は、しゃんと背筋が伸びるような、独特の緊張感に満ちていた。

 それなりの広さがある部屋である。左右の壁には大きな本棚が一つずつ設置されており、どの段にも本が綺麗に収まっている。


 部屋の中央には大きなガラステーブルが置かれ、テーブルを挟んで向かい合えるよう大きめのソファーが一つずつ置かれている。

 傍には大きめの執務室が設置されており、眼前にあるテーブルやソファーはもちろん、部屋全体を見渡せるようになっていた。

 その執務机の前にベアトリスと並んで立ち、シュユは執務机にいるリュカへ治療の結果を報告していた。


「現在、スウォンツェ様は麻酔から目覚めております。全ての糸状虫の摘出にも成功しておりますので、これから容態は回復していくかと思われます」


 その言葉で一度報告を終え、ちらりとリュカの様子を見る。

 こちらを見つめているリュカの表情は凪いでおり、何を考えているのかいまいちわかりにくい。

 けれど、目の奥では確かに安堵の色が浮かんでいるのがうっすらと読み取れた。


「……心臓から直接糸状虫を取り出すとは、ずいぶんと思い切った治療を行ったのだな」


 はつり。リュカの唇からそんな言葉がこぼれ落ちる。

 冷たさを感じてしまいそうな声だが、ほんのかすかな安堵の色が滲み出ていた。


「エデンガーデン様によれば治療薬を用いる方法もあるそうです。しかし、今回の場合は治療薬の投与だとかえって危険な状態に陥ると判断し、手術による治療を選択されました」


 すぐ横でベアトリスが答える。

 治療法について疑問を覚えたのは彼女も同じだ、きっと答えねばならないと思ったのだろう。

 詳細な説明をする必要があるかと思ったが、ベアトリスの説明だけでもリュカは納得してくれたようだ。

 リュカが小さく頷いてからシュユに目線を送り、話の続きを促す。


「手術に成功しましたので、あとは専用の内服薬で血液中に残っていると思われる小糸状虫を弱らせて死滅を待ちながら経過を観察していこうと計画しております。……それから、相当数の糸状虫が摘出されたため、心臓がかなりのダメージを受けていると予想されます」


 ぴくり。執務机に乗せられたリュカの指先がわずかに反応した。


「糸状虫の摘出には成功しておりますので、フィルアシス症が進行することも悪化することもありませんが……今後、心臓に関する症状が新たに出現することが予想されます。なので、その警戒もしながら、ピスタシェ様とともに様子を見ていきたいと考えております」

「……そんなに大量に寄生していたのか?」

「術式完了後、全てが落ち着いてから数えてみたのですが、総数は三十七匹はいましたね」


 シュユが告げた瞬間、リュカが顔をしかめた。

 うえっという心の声が聞こえてきそうな顔は、最初に出会ったときに抱いたクールな印象からは程遠い。

 ベアトリスも手術中に目にしたトレイの中の糸状虫を思い出し、苦く顔を歪めた。

 侯爵様もピスタシェ様も冷静な方という印象があったけど、こんな顔もするんだな――頭の片隅で、シュユは呑気にそんなことを考えた。


「ひとまず、今後の方針はそのように考えていますので……可能であれば数日ほどここに滞在して様子を見ていきたいのですが、滞在の許可をいただけますか?」


 最後のほうは少し勢いが失われ、おずおずとした声色になってしまった。

 再度ちらりとリュカへ目を向けると、彼もシュユへ視線を返し、ゆるりとした動きで頷いた。


「構わない。エデンガーデン嬢の腕は今回の治療で証明された。それに、スウォンツェがもう一度危険な状態に陥るのは避けたい。エデンガーデン嬢がもう大丈夫だと思うまで診てくれ」


 つぃ、と。リュカの視線がベアトリスにも向けられる。


「ベアトリスも構わないな?」


 シュユもリュカの声に誘われるかのように、ちらりと彼女へ目を向けた。

 手術中は協力してくれていたが、事あるごとに面白くなさそうな反応をしていた。治療後も関わってくるのはさすがに拒否反応を覚えてしまうのではないか。

 もし、ベアトリスが拒絶の意思を示してきたら、そのときはフィルアシス症の治療や対処法をまとめた書類を作成して渡そうか――。

 頭の中で考えるが、ベアトリスが返事をした瞬間、その必要性はなくなった。


「フィルアシス症は私もはじめて目にした病です。フィルアシス症に詳しいエデンガーデン様がお傍にいらっしゃってくださるのであれば、私も安心できます」


 おや、とシュユは目をむいた。

 これでもかというほど歓迎されていなかったため、シュユはてっきり首を横に振られると思っていた。

 フィルアシス症がどのような病であるか説明している際にも、フィルアシス症の存在そのものをすぐに信じず、噛みつくかのように否定してきていた。

 また噛みつかれるかと思っていたのに――。


 はたり、はたり。数回ほどゆっくりと瞬きをし、ベアトリスを凝視する。

 その視線に気づいたベアトリスがこちらへ目を向け、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。

 そして。


「あなた様の腕を疑い、申し訳ありませんでした。エデンガーデン様」


 深々と頭を下げられ、シュユは思わずぽかんとした顔になってしまった。

 数秒ほどほうけた顔でベアトリスのつむじを見つめていたが、はっと我に返り、慌てて首を左右に振る。


「だ、大丈夫です! どうか顔をあげてくださいませ、ピスタシェ様」

「ですが……」


 シュユに促され、ベアトリスがおずおずと顔をあげる。

 初対面のときの刺々しさはどこへやら。とても気まずそうな顔をしており、シュユと目を合わせようとしない。


「ピスタシェ様がわたしのことを信用できないと判断したのは当然のことです。わたしはぽっと出の、本当に幻療士なのかも疑わしい人間という立場だったんですから。本当に信頼できる人物なのか警戒し、接するのは正しい判断です」


 スウォンツェの本来の主治医はベアトリスだ。

 リュカの大切なパートナーの命を預かっている立場にあるのは彼女のほうだ。

 スウォンツェの命を預かる者として、信頼性に欠ける幻療士を遠ざけようとするのは当然の判断だ。

 むしろ、神獣と縁を持つ家門に仕え、その当主のパートナーである幻獣の命を預かっておきながら無警戒で接されたら、そちらのほうが心配になってしまう。


「ですので、ピスタシェ様はどうかお気になさらないでくださいませ。あなた様の判断と警戒心は間違っていなかったと思いますから」

「しかし……。……いえ……はい。寛大なお心に感謝いたします」


 まだ少し何か言いたげな様子だったが、ひとまずは納得してくれたようだ。

 小さく頷いたあと、もう一度お辞儀をしてきたベアトリスへ微笑みかけてから、シュユは再度リュカへと視線を向けた。


「侯爵様も、滞在の許可を感謝します。スウォンツェ様の容態が安定したと判断できるまで、ピスタシェ様と連携して治療を継続することをお約束いたします」

「ああ。レディに任せよう」


 リュカの口元が緩み、目も柔らかく細められる。

 誰もが見入りそうな優しい顔を見せ、彼は片手でシュユを示した。


「それで? エデンガーデン嬢。あなたは俺に何を望む?」

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