2-9

 先ほどからリュカたちは何も言わない。

 ……否、何も言えないのだ。彼らは今、フィルアシス症という病をはじめて知ったのだから。

 正体がわからない敵ほど恐ろしいものはないが、正体がわかった結果、どれだけ恐ろしいものであるかを理解してしまったときもまた恐ろしい。

 重苦しい沈黙の中、リュカが肺の中に溜まっている空気を重く吐き出す音がひどく大きく聞こえた。


「……エデンガーデン嬢、一つ聞きたい」

「なんでしょうか」

「あなたは、俺たちが知らないフィルアシス症という病を知っていた。こうして診断ができるほどの知識も持っている。何故だ?」


 ゆらりとリュカの目がシュユの姿を捉えた。

 強い光を宿したアメジスト色の目がシュユを射抜く。

 目をあわせただけで相手を威圧する鋭い眼光は――星炎の神獣の地を守り、領主としてこの地の頂点に君臨する者としてふさわしい。


「あなたは何故、他の幻療士も知らなかった病について、こんなにも詳しい?」


 こちらを飲み込んでしまいそうな眼光。

 それに負けないよう自分自身を鼓舞し、シュユは少しずつ色濃くなっていく緊張をはねのけた。

 どうしてフィルアシス症について詳しいのかだなんて、そんなの決まっている。


「……侯爵様。スウォンツェ様の診察の許可をいただく際にお話しましたよね。現在のセティフラム領の状況は、昔のルミナバウム領とよく似ていると」

「……ああ。確かにそういっていたな」


 まだ覚えてくれているのなら話が早い。

 冷ややかにも感じられるアメジスト色の目を見つめ、答える。


「あのときははっきりと申し上げませんでしたが……病魔災害と名付けられるほどの被害を出した病こそ、フィルアシス症なのです」


 息をつまらせたのは、さて誰か。

 リュカか、それともこの場にいるシュユとメディレニアを除いた全員か。

 すぐ傍でわずかに表情を曇らせたメディレニアの頭を優しく撫で、シュユは己の相棒を慰める。


「当時、我々エデンガーデン辺境伯家はフィルアシス症に対して無力でした。全ての対策が後手に回り、簡単に十を超える数の幻獣が命を落としてしまいました」


 全てが終わったときにどれくらいの犠牲が出てしまったのか調べたとき、シュユは絶句してしまった。

 犠牲になった幻獣の数はあっという間に十を超え、二十三十という数に至った。


「――その中には、メディレニアのお母様……エデンガーデン辺境伯家と代々ともに生き続けてくれている先代の一角狼も含まれていました」

「な……」


 リュカが何かを言おうとして、けれど先の言葉が紡がれることはない。

 呆然とした、意味を持たない言葉がこぼれ落ちて、空気に溶けて消えていく。

 シュユも当時のことを思い出し、ぎゅっと唇を真横に引き結び、淀んだ空気を吐いた。


 覚えている。忘れることができない。

 先代の一角狼――メディレニアの母を看取ったのは他の誰でもない、シュユなのだから。

 あの日味わった悲しみも、無力感も、そしてこの病魔災害が他の領地――他の場所でも起きないようにすると誓ったのも、全て鮮明に思い出せる。


「わたしはそのときに誓いました。同じ病魔災害が他領でも起きてしまわないようにするのだと。その誓いを守るため、ルミナバウムで行われたフィルアシス症の研究にも積極的に参加しました」


 シュユがフィルアシス症について詳しいのは、それが理由だ。

 適当にでっち上げたから詳しいのではない。過去に同じ病に苦しめられ、研究を重ねてきたからこそ詳細に知っている。

 リュカは無言で何も話さず、ただ静かにシュユとメディレニアを見つめている。

 やがて、ゆっくりとその唇が開かれた。


「……ならば、エデンガーデン嬢。あなたはこの病の治し方も知っているのか?」


 フィルアシス症を治せるか、だなんて。

 そんなの、答えは決まっている。


「知っていますし、治療も可能です」


 ――知っているし、治せるに決まっている。


「わたしはフィルアシス症の存在を多くの方々に知らせ、治療するためにここにいます」


 胸に手を当て、宣言する。


「スウォンツェ様は大変危険な状態です。フィルアシス症が進行し、いつ命を落としてもおかしくない。早急な治療が必要です」


 リュカから目をそらすことなく告げる。


「条件を一つ飲んでくれるのであれば、フィルアシス症を治療するとお約束いたします」


 リュカとシュユ、二人の目線が絡む。

 重く、長く続きそうな沈黙ののち、リュカが誰よりも早く沈黙を破った。


「……いいだろう」

「侯爵様!」


 ベアトリスが目を丸く見開き、大声をあげる。

 リュカは片手でそんな彼女を制してから、真っ直ぐにシュユを見据えたまま言葉を続けた。


「ただし、少しでも治療に失敗してみろ。そのときは、それなりの処罰を考えさせてもらう」


 ごくり。シュユの喉が上下に動く。

 他領を守る幻獣を相手にするのだ、治療に失敗した際に処罰を受けるのも覚悟できている。

 リュカから放たれる威圧感にも負けず、しゃんと背筋を伸ばし、シュユは口元に薄く笑みを浮かべた。


「もちろんです。シュユ・エデンガーデン・ルミナバウム。覚悟を持ってスウォンツェ様の治療にあたらせてもらいます」

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