2-7

「死の病……」


 呆然とリュカが復唱する。

 目をこぼれ落ちそうなほどに見開き、浅く唇を開いた彼は、顔色を青くさせていた。

 数秒ほど無言で彼を見つめたのち、シュユは瞼をわずかに落とす。


「この病は発症すると、慢性的な血液の循環障害や呼吸器に関する症状が引き起こされ、時間の経過とともにこれらの症状があらわれます。具体的には咳や肝臓の肥大、腹水、浮腫、喀血――そして血尿や呼吸困難を伴う急性の症状が引き起こされ、最終的に命を落とします」


 感情を抑えた声で、説明を続ける。


「この病のもっとも厄介な点は、感染しても初期のうちは無症状であること。目立った症状が出る頃には症状が進行していることがほとんどで、原因を突き止める前に幻獣が命を落としてしまうことも多々あります」

「……」

「感染しているかどうか明らかにするには、血液検査が有効です。わたしが先ほど行った検査も、フィルアシス症に感染しているかどうか確かめるためのものです」


 そして、その結果で陽性と出た。

 スウォンツェは間違いなく、フィルアシス症に感染している。


「……先ほどの検査の結果は陽性。侯爵様がお答えしてくれた症状に血尿が含まれている辺り、急性症状が出ている可能性があります。……すでに症状が相当進行していると考えてよろしいかと」


 ひゅ、と。リュカの喉が引きつった音をたてた。

 アメジスト色の目が驚愕と不安、そして緊張で細かく揺れる。強く拳を握った手はわなわなと細かく震えていた。

 誰の目から見ても動揺しているとわかる姿。

 だが、さすがは神獣と縁を持つ家門の当主。一度目を伏せて深呼吸をし、もう一度目を開く頃には先ほどまで見せていた動揺の色は消え去っていた。

 あの短時間で波立つ感情を落ち着かせ、立て直してみせたのだろう。

 シュユとしても彼が自力で心を落ち着かせてくれたのはありがたい。動揺したままだと、まともにやり取りができないことも多いからだ。


「……診断は間違っていないんだな?」


 先ほどまでとほぼ変わらない、リュカの落ち着いた声が空気を震わせる。


「フィルアシス症を発症した場合の特徴が揃っています。もっとも特徴的なのが早朝時の乾いた咳、そして血尿。検査でも陽性と出たので、フィルアシス症で間違いありません」


 シュユもまた、感情を抑えた静かな声で答える。


「侯爵様。先ほど挙げてくださった症状は、セティフラム領で命を落とした幻獣たちにもみられましたか?」

「ああ。一致していたからこそ、スウォンツェの様子が少しずつおかしくなっていった際に、例の病に感染したと気づけたからな」

「……ならば、セティフラム領を現在襲っている病は、フィルアシス症で確定したと考えてよさそうですね」


 脳内でパズルのピースがはまる音がした。

 セティフラム領で多くの人々に不安を与え、町全体から活気を奪った謎の病――正体はかつてルミナバウム領で猛威をふるい、病魔災害と名付けられるほどの事件を引き起こした病。フィルアシス症だ。

 セティフラムの地ではこれまで確認されていなかったために十分な対応が取れず、こんなにも被害が広がってしまったのだ。

 ぎゅ、とシュユは一人、強く拳を握る。

 このまま何もせずにいたらどうなるか、一度この病と戦ったことがあるシュユは苦しくなるほどに知っている。


「……エデンガーデン嬢。そのフィルアシス症とやらは、一体どのような病なのだ?」


 少しの空白を置いてから、リュカが問いかけてくる。

 正体不明として扱われ続けていた病は、今シュユの手によって正体が暴かれた。

 領主として、そしてスウォンツェのパートナーとして、次にやるべきことはその病について知ることだと考えたに違いない。

 ちらりと見たリュカの目の奥には、この現実と懸命に向き合おうとする決意の光が見えた。

 リュカが決心し積極的に知ろうとしてくれているのであれば、シュユも彼の思いに答えねばなるまい。

 わずかな時間を置いて、シュユがそっと唇を開く。


「侯爵様方は幻獣の身体を蝕む魔について、ご存知ですか?」


 その言葉に真っ先に答えたのはリュカではない。

 シュユと同じく、幻獣の命と身体を守り、治療するために勉学を重ねてきた人物――ベアトリスだ。


「幻獣を蝕む魔というと、傷魔しょうまと病魔のことでしょう? 幻獣とともに歩む道を選んだ者なら、皆知っているかと」

「……そうだな。幻療士ではないが、俺も幻獣を蝕む魔については心得ている」

「幻獣は連れておりませんが、私も耳にしたことがあります」


 ベアトリスに続いてリュカが答え、最後にジェビネも答えた。

 それぞれの言葉にしっかり耳を傾け、シュユはゆっくりと首を縦に振った。


「ええ、そのとおりです。幻獣の身体を蝕み、命を食らう魔――それが傷魔と病魔です」


 傷魔は外傷や内傷のこと。いわゆる怪我や過度な負担による内臓の損傷のこと。

 病魔はその名のとおり、感染症をはじめとしたありとあらゆる病のこと。

 幻獣相手の医療が発達する前の時代は、神獣や幻獣たちが怪我を負ったり病にかかったりするのは、これらの魔が傷や病を運んでくるからだと考えられていた。

 今の時代は幻獣相手の医療が発達し、あまりされなくなった考え方だが――言い回しだけは今も残っている。


「ですが、幻獣たちを蝕む魔はこれらだけではありません。傷魔や病魔に加えてもう一つ、世界には幻獣を蝕む魔が潜んでいます」


 それこそが、セティフラム領を襲っている病魔の原因。

 人差し指を立て、告げる。


虫魔ちゅうま――寄生虫です」

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