3.夜の入口

 この二人の友人(と呼ぶべきかは若干疑問だが)にも良いところはある。

 ハルキにとって優先されるべきものは明確で、友情などはアルミ箔のように便利で軽いものなのだ。そしてそれを隠そうともしない誠実な男だ。本人がどう考えているかは知らないが、もしあれで隠せていると思っているのなら、零点の答案用紙をベッドの下に隠す子供のほうがずっと賢い。

 コウタはというと、謎のある人物ではあるが、この手の活動には必ずくっついてくる。別な動物が追い込んだ獲物のおこぼれを頂くという、生態系にしっかり順応した男だ。自分にあるもの、例えば金、をよく知っているし、自分にないもの、例えば裁量、は他人のものを前提にするという、潔さもある。

 では自分はどうなのかと考える。

 持っているものは? いや、探すのが面倒だ。持っていないものは? 数え上げるのが面倒だ。では欲しいものは?

 自分という人間を考えてみる時、脳裏に一つの光景が浮かぶ。今まで何度も見てきた光景。何年も見続ける同じシーンが、自分の意志とは無関係に回り始め、映写される。

 柔らかい陽射しが差し込む教室。風に揺れるカーテン。陽だまりに集まるクラスメート。

 音は何も聞こえないが、明るい笑い声を感じる。音のない教室の中をスローモーションで流れていく時間。まぶたの上を風が通り過ぎる。

 クラスメートが作る輪の中へと向かっていくが、見えるのはみんなの背中だけで誰一人顔が見えない。輪の中に体をねじ込もうと肩を押しのける。だがびくともしない。声をかけても音がしないから気づかれない。

 あそこに、輪の真ん中に。

 俺はあそこにいたいんだ。

 しかしクラスメートの肩を揺らすことすら出来ない。何度も音のない声を上げる。やがてあきらめ後ずさり、一人外縁に立つ。いつも同じだった。そこが自分の指定席で、そこ以外に場所はなかった。それでも誰かの輪ができればそこに身を寄せ、外から遠い真ん中を眺めていた。


 不意に車が揺れて左車線に入った。サービスエリアの入口を伝える標識が後方に流れていった。

「休憩?」

 カナがコウタに聞いた。コウタは音楽のボリュームを下げた。

「次のインターで降りるから、その前にトイレ休憩」

「もう着くの?」

「そう。降りたらすぐに花火の会場に向かうから、今のうちに絞り出しておいて」

「下品!」カナがコウタの頭を叩いた「でも意外と早かったね」

 そう言ったあと、カナは何かを思い出したようにユリを振り返った。

「ねえ、お腹すかない?」

 ハルキの肩に寄り添いながら一緒にスマホを見ていたユリは、弾かれたように体を起こした。

「すいたすいた」

「でしょう? なにか食べちゃおうよ」

「うん、食べる」それからユリは頬に手を当てた。「でも、こういうところって何を売っているのかしら」

「なんだろうね。せっかくだからこの辺りの名物がいいなあ」

 思案するカナにコウタが言った。

「あるよ」

「え、なになに?」

「なんか、大きな団子みたいのものを焼いたやつ」

「なんていう名前?」

 カナはポケットからスマホを取り出しながら聞いた。

「えっと、あれ、あれだよ、なんだっけ」

 人差し指でハンドルを叩きながらミラー越しにカナを見る。カナは検索の準備を整えて待っていたが、コウタの指は動き続けたままだった。

 孝明は窓の外に目をやりながら口元に拳を当て、笑いを押さえた。事前調査の結果を披露する機会が転がりこんできたにも関わらず、ただ指を打つだけの姿は滑稽だった。

「詰めが甘いなあ」

 同じく事情を分かっているハルキが油を注いだ。

「はあ? なに言ってんの? 前に何かで読んだんだよ。ここら辺で有名な食べ物」

 道中の段取りをしたのはコウタだ。その時にあれこれと豆知識を仕入れたことは分かっている。そうしたものを自分の雑学として披露することが彼の武器なのだが、どうやら刃こぼれがひどいようだ。

「いやいや、よく調べたよ。ちょっと残念だったけど」

 そう言ったハルキの横でユリが笑っている。

 よせよ、聞き流せばいい話だろう。

「冗談だよ。コウタはドライブが好きだからサービスエリアの名物くらい軽く知っているよ」

 ハルキの言葉には反応せず、コウタは黙ってハンドルを握りなおした。

 サービスエリアへの進入路に入り運転に集中したコウタを見て、孝明はほっとした。仲間内で足をひっぱり合うのは気分が悪い。ましてコウタは自分がネタにされることを嫌がるタイプなのに、ハルキはこういう場面では見境がない。こういうのは非常に面倒だ。

 カナが孝明を見た。

「タッくん知ってる?」

「えっ?」孝明は自分でも驚くほど甲高い声を出し、カナと目が合った。自分の無様さに内心で悪態をついた。

「名物のことだよ」

 エアコンの空気にのって、さっきと同じ匂いがした。

「ああ、さあ?」孝明は精一杯の返事を返した。

 なんの情報も得られなかったことを気に留める様子もなく「そっか」と、カナはまた孝明の膝を叩いた。


 外は日没を迎え、風景は紺青から墨色にその色を変えた。


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