第57話 いのちを


 ゆるやかな丘の間にアルスターナの軍は布陣していた。みるみる迫るドゥハールの勢いに圧されたかのように、引き気味になる。


 だがそれは陽動だ。

 敵の中央が突出しかけたのを受け止めるようにいなす。


 そして一部がそのまま突如として速度を上げ騎行、分断にかかった。

 彼らは冬から戦場を駆けめぐっている。もう一糸乱れぬ動きが可能になっていた。



 右翼を中央から切り離すように突入するその一隊の中にタリヤはいた。

 周りの動きが速い。ついていくだけで精一杯かもしれなかった。戦場でも駆けられると啖呵を切ったのを少しだけ後悔した。



 身を低くして馬を走らせながら、魔力で矢を払う。

 それでも列の両脇で打ち合う剣に手出しはできない。至近から射られた矢にもタリヤは無力だ。


 魔術ができることなんて、ほんの少しでしかない。そう痛感しながらタリヤは駆けた。


 カザクも同じだった。

 たとえ付近の敵兵をひと息に殲滅したとしても、そこで魔力がついえてしまえば終わりだ。

 以前から戦場を経験しているから知っていたことだが、魔導師がいたからといって戦局を大きく変えることなど無理だ。結局のところ戦いは肉弾によるのだった。




 それでも戦う。感覚を研ぎ澄まして。


 上空の矢に『収縮キサルマ』を。

 敵の進路の土に『拡散ヤルミシュ』を。


 矢を払い。馬の脚を取り。

 味方に、できるだけの援護を。



 王宮前広場で度々やらされていたのに比べれば、なんてやりがいのあるだろう。

 そして民を守るために戦う騎馬兵達の命の盾となるならば、こんなに披露したいもなかった。




 アルスターナの精鋭部隊はドゥハールの軍を切り分けた。そして伏兵と合わせて、王のいる右翼を潰しにかかる。


 ドゥハールは中央の守りを厚くして見せていたが、カザクにかかれば子ども騙しだった。

 ドゥハール王は正確に包囲されてしまったのだ。





 だが、その反転、包囲の動きにタリヤはついていけなかった。

 馬の操縦が遅れ、隊から弾き出された。

 焦ったタリヤの指示を馬が拒否し、急停止する。タリヤは振り落とされかけ――その前に飛び下りた。


「タリヤ!」


 カザクはそれに気づいたが、隊の流れから出られなかった。中心部にいたからだ。


「大丈夫!」


 遠くに叫び返したタリヤは手綱を放してはいない。すぐに馬の頸にかじりつき飛び乗る。


 だが元の位置からはかなり遅れてしまった。すぐに包囲殲滅戦が始まってしまう。その中に戻るのは無謀だろうか。

 一度陣形を離れてしまうともう、どうしていいかタリヤには判断がつかなかった。



 ここはドゥハール軍のすぐ後背。分断したもう一つの塊も、王を救おうと押し寄せてくるだろう。

 とにかくここにいてはまずい。だが真っ直ぐに追って乱戦に巻き込まれてはひとたまりもないはず。

 タリヤは戦いを避けるために馬首を大きく逸らした。






 戦線から離脱してしまってタリヤは焦っていた。とにかく無事に合流しなくては。カザクが心配しているだろう。


 カザクだって、無理していないだろうか。

 怪我していないだろうか。



 戦場の縁を回って駆けると、前に一頭のはぐれ馬がいた。

 その主は――と思ったのだが、ズルリと背から人が落ちる。

 どちらの兵だろう。

 タリヤは息をのんだが、放っておけずに警戒しながら近づいた。




 草原に倒れた男はドゥハールの者だった。

 横倒しの背には二本の矢が刺さったまま。血まみれで、他の刀傷も無数にある。ヒュウと呼吸が鳴っていた。



 ああ。

 戦えなくなった主を、馬は戦場の外に連れ出したのか。

 タリヤは死にそうな男を震えながら見た。



 男はろくに動かせない目でタリヤを見返して、少し驚きの色を浮かべたようだった。戦場に少女がいるとは信じられまい。

 タリヤを見つめて男は何故か安らかに微笑んだように思えた。



 故郷の妻や恋人のことを思い出したのか。あるいは天からの迎えのようにでも思ったのか。

 いずれにしろ、この男がもう助からないのはタリヤにもわかった。



 ヒュウヒュウと鳴る、風のような息。

 この人は、空の風になって帰れるだろうか。誰かの元へ。


 タリヤは慈しむような笑みを浮かべ、呟いた。


「『収縮キサルマ』」






 戦場となっている所を大きく外れて、タリヤは静かに馬を駆けさせた。

 頬を涙が伝って止まらない。春とはいえ風に吹かれて顔が冷たくなっていく。


「――タリヤ!」


 遠くから呼ばれた。疾駆して来るのはカザクだった。

 探してくれたのかとホッとしたが、この顔を見られてしまうのは嫌だった。

 たぶん、何があったかわかってしまう。



 案の定、近づいたカザクは目を細めてタリヤを見透かそうとした。


「――何があった?」


 その訊き方は、もうわかっているのだろう。タリヤが人を殺したと。

 だからタリヤも素っ気なくうなずいた。


「深手の人に、とどめを刺した」

「――そうか」


 苦しみが長引かないように。ふと微笑んだままで逝けるように。

 そう思ってのことだが、やはり殺したのには変わりない。後悔はしていないが、やるせなかった。


「よくやったな」


 涙を流しているタリヤをカザクはねぎらった。


 こんな時に鞍上だといい。腕を伸ばして抱き寄せずにすむ。

 抱いてなぐさめてしまいたかったが、そうするとタリヤの行為を否定するような気がした。ここは突き放して認めてやるべきだとカザクは思った。

 だって、タリヤが下を向いていないから。



 殺させないと決めていたんだが。

 カザクは苦い思いを噛みしめた。その願いは叶わなかったようだ。

 だがタリヤが選んだ結果だ。それを本人が悔やんでいないのならば、カザクがどうこう言うべきではなかった。

 わけもわからなかったあの時とは違うのだから。





 二人は並んで馬を駆けさせた。

 遠くで勝鬨が上がった。

 何があったのか、もう戦いは魔導師達の手を離れたところで決しようとしていた。





 ***



 ドゥハール王が死んだ。死んだらしい。


 包囲されたドゥハールの本陣が突然総崩れとなり、壊走したのだ。それを見て察したのか、分断された中央と左翼も退却にかかった。

 強い者に従うのは、生きるためだ。

 負けるとなってまで忠義を尽くす兵はいない。それが草原の掟だ。


 草原を北に退いたドゥハールは、兄弟で跡目を争い三つに分裂しているらしい。

 しばらくはアリーの地を窺う余力はないだろう。





 アリーの王は、ジョムルのままだ。

 ジョムルは戦功によりウォルフを太子の地位に戻した。そして新しい泉への移住を指揮させている。

 ずっと泉を守っていたジョチやバトゥは複雑な気分になったが、ウォルフと話して諦めた。ここに旧い宮廷を持ち込む気はない、と名言されたからだ。

 次代の王がそういうならば、まあ様子を見てやろうと思う。


 次第に町となっていくこの泉には、すでに多彩な人々が住み着いている。

 アリー。オシュケム。東西南北の商人。そしてドゥハールの者すら。


 皆が争わずに生きていけるならそれでいい。

 新しい町はバルシュタンと呼ばれるようになった。


 平和の町バルシュタンと。







 ***


 次回、最終話「新しい家」。








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