第11話 恋を知らない二人


「待って下さい。太子殿下ですか」


 王妃の息子ウォルフとタリヤの結婚はどうだろう、などと言われても。

 カザクがさすがに鋭い声を上げ、ミュリスは困り顔になった。


「ウォルフは十五です。そろそろお相手を考えなければならない年頃ですけど、選ぶのが難しいのはおわかりでしょう? タリヤ殿ならその力で身を立てた方、誰も文句が言えませんわ」


 妃をどこから迎えるかはアルスターナの貴族の勢力争いに直結することだ。

 ミュリスのように他氏族から迎えるにしても、どこと結ぶかという政治的な案件になる。


「タリヤ殿は可愛らしい方だもの。あの子をふんわり支えてくださらないかしら、と思ってしまったの。考えてみていただける?」

「いや、ですからそれについて、陛下は?」


 カザクは眉間を押さえてしまった。


「申し上げていないわねえ。だって今、お会いして思いついたのよ。とても綺麗な女性になられたわ」


 ミュリスはおっとりと微笑んだ。

 カザクは苛々した。そういう案件は思いつきで口にしていいものではない。

 タリヤは貴族ではないし後ろ楯になる家もない。故に臣下の中の軋轢は生まないが、背後がないからこその困難も面倒も、太子妃などになればあるはずだ。

 だいたいカザクには、タリヤを手放すことなど考えられない。



 そのタリヤの方は呆然としていた。太子妃どころか、そもそも結婚を考えたことがない。

 自分はずっと、カザクと暮らすような気がしていたのだ。


 助けを求める目でカザクを見つめたが、視線が合うと今度は慌てて逸らしてしまった。

 なんだか動悸がする。カザクをまともに見られなかった。



「ああ、でもカザク殿の嫁取りの方が先かしら?」


 二人の戸惑いをよそにミュリスは手を叩き、パアッと顔を輝かせた。


「兄妹のように育ったお二人ですもの、お兄様が心配ではお嫁にいけませんわね」


 ニコニコ笑う王妃にカザクは軽い殺意を抱いたが、表には出さなかった。



 ***



 王妃の申し出は庶民出身のタリヤにとっては破格だ。だがそれをありがたいと思えない二人は、やんわりと断り気味にして王宮を辞した。


 緊張から解放されたシルは、ケリに手を引かれてフワフワと歩いている。

 普段なら主のタリヤが肩を引き寄せて可愛がってきそうなものだが、今日は手を出してこない。一人うつむいて、黙ったままだった。



 結婚なんて思いもしない話だ。カザク以外の人と暮らすなんて。

 それに王宮に閉じ込められたら草原に遊びに行けないかも。そんなのは嫌だ。

 タリヤは動揺し、うろたえていた。


 カザクもまた黙りこくっていた。

 王妃ミュリスには以前から好意など持っていなかったが、今日で決定的に嫌いになった。タリヤを息子の嫁にとはふざけている。

 とはいえカザクが嫌っていない人物など王宮にはほとんどいない。悪感情の名簿に一人の名が追加されただけだった。




 タリヤとカザクは恋仲というわけではない。結婚してもいない。

 だがになるのは自分だと、互いに思っていた。


 黒と白。引力と斥力。女と男。


 正反対の自分達は、二人でいることでやっと完全だ。

 出会って、共に寄り添って、持て余す力をなんとかやり過ごしながら育ったのだから。




 タリヤは横のカザクをチラリと見た。するとカザクと目が合って、揃ってドキリとして視線を外す。

 なんだか落ち着かなかった。



 カザクは太子ウォルフの姿ぐらいしか知らない。だがあんな少年がタリヤを受けとめきれるわけがない、と内心で吐き捨てた。


 カザクの想いはタリヤに向かっている。それをカザクは自覚した。


 だがカザクもタリヤに恋や愛という感情を持っているかというと自信がなかった。そんな気持ちは誰に対しても抱いたことがないのかもしれない。

 タリヤに対してのこれは、たぶん執着というものなのだ。


 タリヤが誰かに恋をしたら。結婚したいと言い出したら。

 祝福してやることなど、きっとできない。



 ***



 王宮の敷地の端に建つ、なつめの館。

 そこに大魔導師ジャニベグを訪ねたタリヤは、可愛いシルを師匠に引き合わせた。


 恥ずかしそうに挨拶する小間使いのシルは確かに愛らしい。そしてタリヤに全幅の信頼を寄せているのがはっきりと見てとれ――ジャニベグは納得して微笑んだ。

 この二人もまた、互いに必要としているのだろう。愛したがりのタリヤは、愛されることに飢えていたシルとぴったりだ。

 一目で気に入ったのはきっと呼び合うものでもあったのだ。




 タリヤには、まだ赤ん坊だった妹がいた。シルはきっとその代わりだ。


 可愛がっていた妹を殺してしまったのは暴走したタリヤだった。我に返りそのことに気づいたタリヤは、しばらく心を閉ざした。

 じっと寄り添うカザクによってなんとかこの世に戻ってきたタリヤの心だが、そうして想われてもまだ足りない。


 愛することが、生きるためには不可欠だから。




「ねえ、お師さま。王妃さまがね、私にお嫁に来てって言うの」


 シルを回廊の日陰に休ませておいて、タリヤは棗の木の下でジャニベグの隣に椅子を寄せた。

 膝の上で木洩れ日がゆらゆらと揺れるのを手のひらに受けて遊ぶ。そんなタリヤをジャニベグはじっと見つめた。


「ウォルフ太子は悪い少年ではない。おまえはどう思うかな?」


 ウォルフ本人の性格などに問題はないとジャニベグは考える。だが彼を取り巻く諸々は非常に面倒なものだった。

 太子という立場。半分引いている東の氏族の血。


「私、その人に会ったことある?」

「王族など、会ってもいない者同士で結婚するのが普通だよ」

「嫌ぁよ、そんなの。それに――私、ずっとカザクといるものだと思ってたのに」


 タリヤはポテン、とジャニベグの肩に頭を乗せた。

 この頼りない娘に太子妃や王妃など務まるわけがない。ジャニベグはタリヤを撫でてやりながら笑った。


「カザクが妻を娶ったらどうするんだ。それとも、おまえがそうなるのか?」

「そんなの――わからない。でもカザクと離れるなんて考えられない。夫婦になるってどういうこと? 家族でしょ? 今までと何が違うの」

「おまえはまあ……」


 ジャニベグは頭を抱えたくなった。

 共に育てた分、男女の仲になるのは難しいと思う。だが互いに必要な存在なのは一目瞭然。それでも恋心とはならないものか。



 シルのためにしっかりしなきゃ。

 カザクばかりに頼っては駄目。

 そう思い始めたタリヤだが、前を見つめようとするタリヤの瞳は、恋を知るにはまだ幼い。














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