第5話 私は、あなたを選びたい その4

 ケビンさんは、私にハンドタオルを差し出した。ハンカチよりもずっと、私にはお似合いだ。

「君は……イツキにワガママを言ったことはあるか?」

「ワガママ……ですか?」

「そうだ」

 そもそも、彼に対してワガママなんか……誰が言えるのだろうか。

「君は、自分の気持ちを素直に出すことが、とても苦手なようだね。イツキが悩むのも、仕方がないのかもしれないな」

「どういうことですか?」

「彼女の心が分からない。イツキは私にそんなことを言っていたよ」

「私の心なんて……樹さんへの感謝でいっぱいで……」

「それだよ」

「え?」

 ケビンさんは、力強い目で私を見ながら、こう言った。

「イツキは、他の誰でもない……君に、関心を持って欲しいと思っているんだ」

「関心……ですか?」

「君は、あまり樹の過去を聞かないようだね」

「それ……は……」

「どうしてか、聞いてもいいかな?」

「……私が、聞いてほしくないからです」

「ほう?」

「人は、誇れる過去があるならば、聞かなくとも勝手に話します。でも、そうじゃない人は、自分から過去を話すことは……ないです。だから私は……」

 秘密は、秘密のままでいい。これは私が傷ついてきた歴史から生み出した、私の心を守るおまじない。

「なるほど。君も……辛い想いをしてきたんだね」

「いえ、私なんか大したこと……」

「君は、いつも自分を見下す事ばかり言うんだね」

「え?」

「自分なんか、私なんか。今日会ったばかりの私でも、それが君の口癖だと分かってしまったよ」

「あ……」

「それを聞かされ続けたイツキが悩むのも、無理はないな」

「え?」

「自分がどうしようもなく好きな初恋の女性が、自分で自分を傷つけている姿を間近で見ていたのだから」

 そんな事、ちっとも考えた事がなかった。ケビンさんは、そんな私の手を、再度掴んできた。

「どうして、自分以外の女と子供を作ったんだ」

「え?」

「君は、イツキにそう言ってあげて」

 それは、樹さんを責めろ、と言っていることと同じではないか、と思った。

「さすがにそれは、ワガママすぎる気がするのですが……」

 そんな事を言う資格、私なんかにあるのだろうか?

「私は、イツキにマナをくれたこと……感謝している。もちろん、イツキには知らせるつもりはなかった。結果的には知られてしまったが……」

 私は、何も言えなかった。言うべきではないと、思ったから。

「それからイツキは真摯に、マナと向き合ってくれた。彼には……私たちを拒絶できる権利があったと言うのに」

「樹さんは……とても優しい人ですから」

「ユーカさん?」

「優しくて、温かくて……まっすぐな人だから、マナちゃんを拒絶なんてできるはずないですよ」

「そうか……ちゃんとイツキを理解してくれてるんだな」

「理解してるかどうかは……分かりませんが……」

「それならば、重ねてお願いするよ」

「お願い、ですか……?」

「どうか……君の本当の気持ちを、素直にイツキにぶつけて欲しい」

 急にそんなことを言われても、どうしたらいいか分からない。そう考えてしまったことが、ケビンさんに伝わってしまったのだろう。

「すまない。……ついお節介を焼いてしまった」

 謝られてしまった。

「いえ……」

「時差も辛いだろう。ゆっくり休みなさい、イツキには、私から言っておくから」

 通された部屋は、白い壁と、可愛らしい家具がおしゃれだった。この部屋の持ち主が、この家に愛されていたことを感じた。

 部屋に案内されながら、ケビンさんと樹さんの関係が、かつての上司と部下であったことも教えてもらった。でも、ケビンさんからは、樹さんの過去についてはほとんど語られなかった。

「君が、イツキに聞いてあげて」

 ケビンさんは、私に大きな釘を刺してきた。

 時差のせいもあるのか、私はなかなか寝付くことができず、朝を迎えた。まだ7時だったが、窓から差し込む太陽が眩しかった。

 シャワーを浴びたかったので、ケビンさんを探した。場所を

 リビングに降りると、ケビンさんはいなかったが、その代わりに樹さんがソファで眠っていた。

 樹さんの寝顔をちゃんと見たのは、初めてだった。窓から差し込む朝日に照らされた樹さんは、やっぱりとても綺麗だった。でも、私はそれを堪能するどころか、逃げ出してしまった。

 今は、樹さんと何を話して良いか分からなかった。


「すごいなぁ……」

 私は、大きなショッピングモールの横を通り過ぎ、ハワイの道を真っ直ぐ歩いていた。

まだ朝7時ちょっとすぎなので人はそんなにいないだろうと思っていたが、意外とたくさんの人が散歩やランニングを楽しんでいた。私は、いつものように写真を撮ろうと考え、ポケットを弄って気がついた。スマホを忘れていたことを。

 本当は取りに戻った方がいいのかもしれないが、何となくこのまま歩きたい気分だった。

 真っ直ぐ歩けば、道にも迷わない。今は、歩みを止めたくなかった。樹さんとのことを、ちゃんと考えるために。

 ケビンさんは言っていた。もう少し、樹さんに関心を持てと。怒っても良いと。

 樹さんは、私に言っていた。私には、樹さんを捨てる権利があるのだと。

 そして私はいつも考えていた。選ばれるには、努力が必要。どうすれば私は他人に選ばれるのだろうかと。

 そうして、繰り返し考えて考えて、考えて続けた。たくさんのランナーや観光客たちとすれ違ってからようやくふと1つ、気づいたことがあった。もう間も無く40歳というタイミングで。

 私はいつも「選ばれる」という受け身を行動の軸にしていた。

 選ばれる、ということは……待つということだ。陳列棚に並べられた商品のように。

選ばれるために、自分を磨く。見た目か中身かは、それぞれの戦略に委ねられる。私がしてきた努力は、まさに選ばれるための改良戦略だった。

 だから、怒るという発想がなかった。消費者がどんな過去を背負っていようと、今このタイミングで選ばれる。そのことに、私と言う商品は、喜びを感じていたのだから。

 それが、私、森山優花の生き方だったのだ。

 私は、私が選ぶということをしたことがあっただろうか?選ばれるための選択ではなくて。ただ選びたい、という欲のみで。

 スマホのゲームも、美味しいものも、自分主体ではなく、誰かのおすすめ……広告や口コミを見て選んできた。

 じゃあ、樹さんの場合はどうだろう?今までは、選ばれなかったら、簡単に諦めることはできていた。そうやって、心をトレーニングしたから。

 でも……本当に?私は、樹さんを諦められる?樹さんに選ばれなくなったら……?

 そんなことを考えていると、急に目の前に白い鳥居が見えた。

「あっ……!ここ……!」

 ハワイ出雲大社。樹さんが家に来た時に話をした、縁結びの神社の名前。

 意外と小さいんだな……。そんなことを考えながら、鳥居をくぐろうとした時だった。

「優花!!」

「えっ!?」

 急に背後から樹さんの声がした。振り向くと同時に、樹さんに私は抱きしめられていた。

色々などうして、が頭をよぎる中、もっとも大きいどうしてだけはスルーできなかった。

「何で、アロハシャツ着てるんですか!?」

 尋ねても、樹さんは答えてはくれず、ただ私を抱きしめるだけ。

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