第1話 人生最後のデートだと思っていたのに その7

 今日は、日曜日。私は待ち合わせの喫茶店で、紅茶を待っている。

 氷室さんから『急に仕事が入ってしまった、予定より1時間程遅れる、申し訳ない』と、喫茶店に入ってすぐメッセージが送られた。

 私は、氷室さんの遅刻に嫌な気分にならなかった。それどころか、待ち合わせでドキドキすることはいつぶりだろうかと、心が躍っていた。

 この年にもなると、誰かと待ち合わせをするとなると、ごく限られた人物だけになる。気心知れた家族か友人。もしくは、緊張が走る仕事の関係者。

 どちらも、対処法は身に付けた。けれど、氷室さんはどちらでもない。早く会いたい気もするし、心の準備が整わないから会いたくない気もする。ふわふわグラグラ、心が揺れ動く、そんな待ち合わせは生まれて初めてだ。こんな時、どうやって気持ちを紛らわせればいいのだろうか。私は答えを持っていなかった。

 一方で、私はこの気持ちに危機感を覚えてもいた。

 仲良くなった後で、急に離れた後の虚しさを、私は嫌というほど経験してきた。

だから、その虚しさや苦しさから逃れるために、スキルという武器を手に入れたのだから。

 私は、氷室さんと親しくなればなるほど、必死で念じるようになった。氷室さんの事は、好きになってはダメだと。氷室さんは、お友達である、と。これ以上、望んで傷つきたくなかったから。

 だから今日もあえて、おしゃれを意識しない服を、わざと着てきた。先に防御線を張っておくために。

 そうだ。雑誌でも読んでようか。

 取り出したのは、普段私が買わないような女性向けのおしゃれな雑誌。コンビニで、風鈴と浴衣の女性の写真で作られた表紙に惹かれてつい手に取ってしまった。

縁結びで有名なそのお祭りには、天の川に恋の願いが届くように、という願いが込められているらしい。

「綺麗だなぁ……」

 きっと、私なんかよりずーっとそういう縁が似合う、若い子達が大勢いるのだろう。そこに行くだけの勇気、私にはない。

 こうして、雑誌を眺めているだけで私は満足できる。

 そんなことを考えている時だった。

「お待たせしました、森山さん」

 背後から、急いでやってきたのか汗だくな氷室さんが走ってきた。

「走ってきたんですか!?早く座ってください!すみません、飲み物頼んでおけば良かったですね」

 私は、偶然口をつけてなかったお冷を渡しながら、氷室さんに座るのを促した。

「大丈夫です。森山さんをお待たせしてしまうのは申し訳ないので」

「そんなそんな、私なんて置物みたいなものだと思っていただければ」

 それから氷室さんは、私の前の席に座り、水を一気飲みしてから私の手元の雑誌に気づいた。

「その雑誌は?」

「コンビニで買ったんです」

「いえ、そうではなくて」

「え?」

「……お祭りですか?」

「はい。川越の。縁結びで有名みたいですよ」

「いつやってるんですか?」

「い、いつって……」

 私が雑誌の中から情報を探し出す前に、氷室さんが、スマホを操作した。

「ああ……もうすぐ終わってしまうか……」

「そうなんですね」

 話は、それで終わると思っていた。

 ちょうどこのタイミングで店員さんが来てくれた。氷室さんはアイスティーを注文した。

 そこからは、いつものように、友達としてのおしゃべりが始まると思った。私は。

 ところが。

「いつがいいですか?」

「……いつが良い……とは?」

 私が首をかしげた。

「そろそろ特別な日になると思いますので……」

 特別な日、とは?

 言葉の意味は、検討すらつかなかった。

「俺は、ギリギリ最終日なら大丈夫そうです」

 氷室さんは、スマホを見ながらそう言った。

「え?最終日?」

 一体何を言っているんだろう。

 私は、氷室さんの話についていけず呆然とした。

「あ、森山さんは、まずかったですか」

「いえいえ!私は土日暇なので……」

 つい、反射程に答えてしまった。

「特別な日にするなら、こういうイベントの方が良いかと、思いまして」

 氷室さんは、矢継ぎ早に言葉を重ねる。

「あの、氷室さん?1つ、宜しいでしょうか?」

「何ですか?」

「氷室さん……本当に、風鈴祭りに行きたいんですか?」

「森山さんは、行きたくないんですか?」

「……行きたい……です」

風鈴は、とても見たい。SNS映えする写真も撮れそうだから。

「それなら、決まりですね」

「き、決まりって……」

 氷室さんは、お祭りの意味を分かっているのだろうか。

「森山さんは浴衣、持ってますか?」

「た……たぶん……」

「そうですか。俺は持ってなかったんですが……1着くらい持っておいても良さそうですね。買っておきます」

「あの……氷室さん?」

 気がつけば、話がどんどん進んでいた。

 確かに、浴衣を着て小江戸と呼ばれる川越を歩くことに憧れはあった。

 だけど、それはおひとりさまの想定だった。

「せっかく特別な日にするのであれば、特別な服というのも悪くないですからね」

「あの、特別な日ってどういう」

 ことですか、と私が言う前に「失礼、一瞬スマホ、見ます」と氷室さんは自身のスマホに目を落とす。

 「申し訳ありません森山さん」

「え?」

「仕事で、トラブルがあったみたいでして」

「病院ですか?」

「まあ……そんなところです」

 氷室さんはつい先日、病院を開業したばかりで、院長として忙しい日々を過ごしていると、先日聞いたばかりだった。

「大変、それなら早く行かないと」

「すみません、このお詫びはまた……」

 そう言いながら、氷室さんはスマートに伝票を取った。

「森山さんも、ぜひ浴衣で一緒に行きましょう。あとでメッセージで待ち合わせ場所決めましょう」

 それだけ早口で言うと、氷室さんは風のように去った。

「特別な日って、どう言うこと?」

 残された私には、たくさんの疑問だけが残った。

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