第1話 人生最後のデートだと思っていたのに その5

「恥ずかしい話ですが、俺はあそこが婚活の会場だと知ったのは、ついさっきだったんです」

「え!?じゃあ何だと思って……」

「実はここに来る前、古い友人から連絡を受けたんです。知り合いがあのタワマンに住んでいるが、体調を崩して動けなくなったと」

「な、なるほど?」

 確かに、医者を引っ張り出すには、確かに1番確実な方法だ。

「まさか婚活の参加者としてあの場に呼ばれたなんて……」

 氷室さんはそう言い切ると、はぁ……と深いため息をついた。

 さしずめ、用意周到に仕組まれた罠に引っかかった希少動物と言っても過言ではないのかもしれない。

「受付でその事を知り、すぐに帰ろうと思いましたが、受付にいた友人の知り合いという方から『大事な取引先が来ているから、どうにか残って欲しい』と言われまして」

 すみません。その取引先、メチャクチャ心当たりあります。

「ですので、あの会場で、明らかに病人だと分かる程、顔色が悪い森山さんを見つけた時は正直、天の助けだとすら思ってしまいました」

「あ、明らかに……病人……」

 そんなに酷かったのか、私は。

「もちろん、診察に偽りはありません。あなたは確かに熱中症で、あと一歩で病院に行かなくてはいけない状態ではありましたから」

「そうだったんですか……」

「ただ、どうもあなたに、変な形で迷惑をかけてしまったようで」

 それは、あの、佐野般若のことを言っているのだろう。

「今思えば、もう少しあなたに配慮した方法をとるべきでした。本当に、申し訳ない」

 氷室さんは、前髪がパンケーキの皿についたメイプルシロップにくっつきそうなほど、頭を下げた。

「いえいえ!事情は十分にわかりましたから!頭をあげてください!私なんかが、氷室さんのような方のお役に立てたのならすごく嬉しいですから」

 あのエントランスでの出来事から時間が経った今、ようやく分かった事が1つだけある。

 氷室さんが何故あの時、私を引き留め、この喫茶店まで連れてきたのか、ということ。

 ここでかき氷を食べ、氷室さんと少し会話をしている内に、さっきまでの怠さが、いつの間にか消えていたのだ。

 もしも、あのまま1人で帰っていたとしたら今頃、無事に帰れていなかったかもしれない。下手したら、途中で倒れていたかもしれない。

 私の方こそ、氷室さんにお礼言わなければならない。そう思いながら、氷室さんを見ると、氷室さんはメニューをじっと見ていた。

 何を見ているんだろう?

 そっと、覗き込んでみると、写真映えしそうな、2種類の可愛いクリームソーダの写真が載っていた。

 透明なガラスに、キラキラ光るグリーンのソーダ水が注がれている。白くて丸っこいアイスがちょこんと浮かび、チェリーが飾られるだけという、一般的に知られているものでさえ、フォトジェニック的な可愛さがクリームソーダにはある。それが、この店のものは、なんとアイスが動物の形になっていた。

 ソーダ水はグリーンとブルーの2種類。それはまるで沖縄の海の色。

 浮かぶアイスは、くまさんとパンダさんの2種類。もちろん、チェリーはついている。

 私は、それを写真に収め、SNS用に加工して載せたいという欲が湧き上がってきた。

 最初は、WEBデザイナーの勉強の一環として写真加工ソフトの使い方を覚えただけだった。けれどもすぐに、写真加工の魅力に私は夢中になった。特に、おしゃれなスイーツがあるカフェやレストランでの食べ物を撮影し、家で加工してからSNSでアップすることは、いつしかかけがえのない趣味になっていた。

 自分で楽しむためだけに写真投稿メインのSNSアカウントも作った。特に親や友人に知らせていたわけではないが、作った写真をコツコツアップロードしていく内にに、いつの間にか見知らぬフォローが増えていた。

「楽しみにしてます」

 そんなメッセージまで貰うようになった。

 先ほど食べたかき氷は、緊張のあまり写真を撮り忘れしまった。緊張していたから。

 だが、私のクリームソーダ1杯分の時間まで、この人の時間を拘束するのは申し訳ないと、氷室さんを見ながら考えた。

 また、別の日に来ようと、諦めようとした。

 でも、気になった。氷室さんがまだ、じっとメニューを見ているから。

「どうしました?」

「……え?」

 私は勇気を出して尋ねてみた。

「氷室さん、ずっとメニューを見ていらっしゃるから……」

「……何でも、ないです」

 何でもないのに、あんなにメニューを凝視するだろうか。

「森山さん、最後ドリンク頼みますか?」

 氷室さんの方から提案をしてくれた。

「はい!クリームソーダが飲みたいと思っていたんです」

「そうですか。では頼みましょう」

「氷室さんは、何飲みますか?」

「俺は……ブラックで……」

「え……?」

 氷室さんはずっとクリームソーダのページばかりを見ていた。

 本当は、クリームソーダを頼みたいのではないだろうか。

「あの、氷室さん。実はお願いが……」

「お願いですか?」

「実は私、グラフィックとかWEBのデザイナーで、SNS用写真加工の勉強してるんですけど……」

 これは本当。嘘に本物を混ぜれば、限りなく本当になる。

「このクリームソーダ2つある様子、写真撮りたいんですよ」

 これは、半分は嘘。2種類並べると綺麗だろうな、と思うけれど無理に頼まなくてもいい。

「でも、私さすがに2つは飲めないかなと……」

 これは、嘘。普通に飲み切れると思う。

「なので、よければ1つ、貰ってくれませんか?」

 それから間も無く、2種類のクリームソーダが運ばれてきた。

 私はくまさんで、氷室さんはパンダさん。

 さまざまな角度での撮影をそれぞれ楽しんでから、私と氷室さんはそれぞれクリームソーダに口つけた。

 氷室さんは、クールな表情で、パンダさんをうまくよけながらソーダ水を飲んでいた。その仕草が可愛かった。

 やっぱり、これで良かったんだ。

 もし違っていても、これなら変に気遣われることもない。

 婚活やった頃に少し読んだ、プライドが高い男性とのデートのコツが、まさかこんなところで役立つなんて思わなかった。

 当時は無駄だ、と思っていたものが、後になって生きるなんて、人生は何があるか分からない。

 こういう男性とは、もう2度と喫茶店になんてこないだろう。そう考えた私は、思い切って気になる事を色々聞いてみることにした。

「氷室さんは、甘いものお好きなんですか?」

「変ですか?」

「何故そう思うんです?」

「女性の方々は、俺が甘いものを食べることに違和感を感じるみたいで」

「確かに氷室さん、意識高い系の食事してそう。医者だし」

「職業も、関係あるんですか?」

「イメージの押し付けじゃないですか?あとはゲームとか漫画でのキャラ付けとか。でも氷室さんのような男性が甘いもの好きだなんて、ギャップ萌えでいいと思いますけど」

「ギャップ萌えとは?」

「それはですね……」

 このように、私と氷室さんはソーダ水の氷が完全に溶けきってしまうまで、たわいもないおしゃべりを楽しんだ。

「そういえば、先ほどの写真はどうするんですか?」

「見ます?」

 私はSNSの画面を氷室さんに見せた。

「こんな風にSNSに投稿する予定です」

「そうなんですか……」

 まじまじと、氷室さんは不思議そうに画面を眺めながら「素敵ですね」と褒めてくれた。

「あ、ありがとうございます」

 私は何事もない風に装ってはみたけれど、内心はこう思っていた。

 別に、自分の容姿とかが褒められたわけじゃないのに、何照れてんの、と。

「これは?」

 氷室さんは、1枚の画像を指差した。

「私の最寄駅にあるカフェなんですけど、メルヘンな雰囲気が人気なんですよね。私も気分転換にここでラテを飲みながら、読書することもあるんですよ」

「へえ……」

「興味があるなら連れていきましょうか?」

 なんてね。言ってみたかっただけ。

 むしろ、氷室さんには恋人がすでにいる確率の方が圧倒的に高い。今日の婚活を嫌がった理由も、そうであれば説明できる。

「場所なんですけど……」

 私は、自分のメモ帳に住所と行き方を書いて、それを氷室さんに渡そうとした。

 ところが。 

「連れて行ってください」

「……へ?」

 こうして、何故か氷室さんと私はこの日、メッセージ友達になってしまってた。

 連絡をするのは、2日に1回、夜に1〜2往復程度。

 実は甘いものと可愛いものが好き。

 カフェで読書をするのが休日の過ごし方で、新しく開拓をしたいと思っていた。

 氷室さんがメッセージで私に教えてくれた。

 ちなみに、最初のメッセージは私からだった。求められた、オススメのカフェの情報を送るだけの簡単なメッセージ。まるで、業務連絡のような、つまらないものしか送れなかった。それが精一杯だし、それ以外いらないと思っていたから。

 ところが、その後の氷室さんからの返事に、私は衝撃を受けた。

『ありがとだぴょん』

「……え?」

 可愛いうさぎのキャラクターと吹き出しのスタンプだったのだ。

 返事すら返ってくるのが怪しいと思っていただけに、それを見た時盛大に茶を吹いた。

 最初に会った日は、表情がほとんど変わらず、笑顔もあまりなかった氷室さん。けれど、メッセージを送る時に欠かさずかわいい動物もののスタンプを送ってくる。それも1つだけかと思えば、意外と種類が豊富だった。猫、うさぎ、くま、パンダは制覇していた。そのスタンプチョイスと、氷室さんのクールな表情が全く合わない。

「本当に氷室さんですか?」

「実は別人じゃないんですか?」

 何度も本人確認した

 その度に、氷室さんはこんなスタンプを送ってくる。

『信じてほしいにゃん』

 この流れは、もはやお決まりのギャグのようになった。

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