うつろいの社

文月 郁

月見の宴

第1話 月見の宴 宴の報せ

 月の光が冴えている。

 宮杜町の北東に建つ卯月神社。

 社の軒下で、主の卯月は白い月輪がちりんを見上げていた。

 艶やかな緑の黒髪を二つに分けて赤い髪紐でまとめ、白い小袖に緋色の袴、淡い黄色に染めた衣を羽織る娘――巫女にも思える――に見えるが、そのたおやかな見た目とは裏腹に、力のある祭神である。

 卯月の金の瞳は、じっと月の面に注がれている。

「月を見ると、命が縮まるそうだよ」

 かけられた声に、ゆるりとふりかえる。

 空色の狩衣を着た青年が歩いてくるところだった。

 頭に茶色い犬耳を生やし、背後にくるりと丸まった尻尾が見えるところから考えて、青年が人間でないことは明らかだった。

 事実、この青年は宮杜町の南にある月葉神社の祭神・月葉であった。

「それは、人の言い伝えでしょう」

 今の私には、もう関わりのない話です、と卯月は静かに答える。

「何か、御用でしたか?」

「そういうわけではないんだけど……月見の宴のことは聞いたかい?」

「今朝聞きましたよ。それを聞きに来たのですか? 毎年のことですし、何か変わったことがあるわけではないでしょう」

「そうだね。五宮では今年も盛大に宴をやるみたいだし」

「五宮で盛大に宴をするのも、いつものことでしょう。あそこは体面もありますし。……わざわざそれを言いに来たのですか?」

「そういうわけでもないんだけどね」

「……さては、またお忍びですか?」

 卯月が呆れ混じりの視線を月葉に向ける。

 月葉は否定するでもなく、ばつが悪そうに眉を下げて頬をかいた。

「そういえば、がくはどうしたんだい?」

 樂――卯月の神使である。

「見回りですよ。この時期は物騒ですから。それはともかく、少し休んだら、戻ったほうがいいですよ。今ごろかずらが怒っているでしょうから」

 そうだろうね、と呟く月葉の頭を見ると、耳がぺたりと倒れていた。

 葛は月葉の神使だが、おっとりした主と違い、非常に生真面目な性格である。

 そのためのんびりしている月葉を叱ることが多く、神使としては葛を信用している月葉も、その小言だけはわずらわしく思っているらしい。

「月葉様!」

 ちょうど、卯月が出した茶を月葉が飲み終えたところで、後ろ髪の先端だけが黒い、茶色い髪をひとつにまとめた少女が、怒気もあらわに走ってきた。

 その後を、黒髪をまとめた赤い目の青年が困惑しきった表情でついてくる。

「月葉様! あれほど申し上げましたのに、また抜け出して!」

「お帰りなさい、樂。異常はありませんでしたか」

「あ、はい。ありませんでしたが……」

 青年――樂がちらりと隣を見る。

 普段は隠れている耳を反らし、尻尾を左右に振って小言を言う葛と、手をあわせて謝っている月葉。

「葛、月葉様に言いたいことがあるのはわかりますが、自分の神社に帰ってからになさい。他の者の眼があるところで、主を叱るものではありませんよ」

 卯月にたしなめられ、葛が渋々矛をおさめる。

 帰っていく月葉と葛を見送って、卯月はほっと息を吐いた。

「樂、明日から月見の宴ですから、遊んできていいですよ」

「え? でも……」

「特別な準備が必要というわけではありませんし、勝手はわかっていますから」

「……なら、準備が終わったら遊びに行きます」

「わかりました。それなら準備の手伝いだけはお願いしますね」

 さらさらと衣擦れの音を立てて、卯月の姿が社の奥へ消える。樂も後に続いて、奥へ入っていった。

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