人欲-4

 毎朝、タブレットで新聞のチェックをする。前は紙がかさばって捨てるのが大変だったが、全部電子で済んでよい。


経済面よりも悩み相談の記事を楽しみに読んでしまう。これをハガキで書くとき、どんな気持ちなのだろう。



 身支度をしてリビングに設置しているデスクに向かい、ノートパソコンを広げ、HDMIケーブルに接続し、モニターに出力する。



「ウェビナーに参加されていない方は今週中に動画を視聴し、テストを受講してください」



総務部前沢から「全体」というグループにリマインドチャットが送られてきた。すっかり記憶から飛んでいた。



 指定のサイトにログインし、映像視聴をする。わたしの会社は「ダイバーシティ推進」に取り組んでいる。なかでも「LGBTフレンドリー」な会社を目指しているそうだ。



 わたしはおそらくレズビアンだと思う。だからと言ってLGBTQ界隈のことに関して関心があるかと言えば実際はそんなにない。


この間、訪問先の会社には「ジェンダーフリートイレ」があった。外国では、男女の分かれていない更衣室があるときいた。性差別があっていいはずがない。


わたしだって「女だから」と言われるたびに胸が爛れる。でも、男と同じトイレは嫌だし、更衣室なんてもってのほか。


認識している性別と、体の性別が違う辛さや、苦労はあるだろうが、認識している性を尊重することが当然な社会になればいいだけの話じゃないのか。というか、なっていないことが悔しい。差別やいじめをしたり嫌味を言ったりする人間に己が低能であるということを知らしめたほうがいい。罰を与えるべきだ。



 性別違和もだが、自分の性別を定められないひとの苦しさもはかりしれない。「無い」ものを「有る」とされ、「有る」としながら生きるのはしんどいだろう。


たとえば女性として生まれ、女性としての自覚がないが、自分が男性とも思えないひとがいる。そういうひとがわたしのように「女だから」「女のくせに」「女なのに」とケチをつけられたら、きっとわたし以上に辛い思いをする。想像だけで涙腺を引っかかれる。



 わたしはそういうひとたちのことを想像することができても実際に自分は「女性」であることを自覚し、違和感なく生きている。想像ができても、そのすべてを知ることはできない。そう思ったとき、自分は物凄くちっぽけな存在に思える。



 セクション2の「パートナーシップ制度について」を観てさらに気持ちが沈んだ。


こんなもの、同性婚が認められていれば済む話だ。なぜ、同性愛者だからといって、当たり前にあるべきことが当たり前ではないのだろう。わたしは特定のパートナーが欲しいとか、誰かと一緒に暮らしたいという気持ちがないので少々他人事のような目線で怒りが募っていた。



 同性愛を認めたところで、異性愛者のほうが圧倒的多数だ。認めることで国が不利益を被ることなんてないだろう。あまりにもケチくさすぎる。



 映像を視聴していたらイライラが最高潮に達し、観るのをやめた。理解度を測るテストは気が向いたときでいい。



 いくらダイバーシティ推進に取り組み、LGBTフレンドリーな会社になったとしても、わたしは自分の性的指向を会社のひとに言うつもりはない。


恥ずべきことだからではない。わたしに関する情報を気安く落としたくないだけだ。

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