第4話 セレナの聖骸

 色に沈んでいたステラが再び現実に戻ってきたのは、もうとっくに陽が沈んだ頃だった。ふと横を見るとバゲットが入ったバスケットが置かれていた。

「夕ご飯の時間とっくに過ぎてたんだ。心配かけたかな」

 待ち構えていたかのように、おなかがきゅぅと鳴る。

「おいしい……!」

 添えられたベリージャムのほのかな酸味が空腹に優しくしみていく。濃く淹れられた紅茶も気持ちを整えてくれる。

「よし、気持ちも切り替えたしグリモワールを見よう!」

 ぱちんとほっぺたを叩いて、グリモワールに手を伸ばした途端グリモワールが輝きだした。白い光に包まれたグリモワールはひとりでにページをめくっていく。こんなことあっただろうか。

 今まで何も反応してなかったのに、とステラは手を伸ばした。ステラの手が触れたとたん、グリモワールは一層強い光を発し、あるページを示すように広げて止まる。

私を見つけてトゥルヴェ・モア?」

 まるで子どもじゃないか。今まで解読された文言は堅苦しくてまるで老人のようだったのに。意味の裏を読もうとしたとたん、グリモワールの光は急に減っていき、力を失ったかのように地面に落ちそうになる。

「危ない!」

 あわてて両手を延ばして受け止めると、ステラの魔力がグリモワールと共鳴したかのようにあたりに漂い始めた。ふわふわと小さな光の粒が連なってまるで透明なリボンのようになって部屋の中にのびていく。

「呼んでる?」

 何かがあるのだろうか。この光のリボンの先に、何かが。

「行ってみよう」

 こくり、と喉を鳴らして一歩を踏み出す。夜になった屋敷はしんとしていて、ステラの足音だけがやけに響く。

 コツ、コツ、コツ。

 黒に塗りつぶされた場所だけれど、光のリボンがゆく道を示してくれている。光のリボンは下へ、下へのびていく。行先は予想がついてきた。

「地下には、ハイペリオン家に伝わる剣とか鎧とかしかなかったはず」

 初めて来た日、屋敷の案内の時に見せてもらったことがある。古めかしいものであふれた何の変哲もない場所だった。

「でも、何かがあるのね」

 グリモワールは魔力が込められた本だ。何かのきっかけで目覚め、ステラを導いているに違いない。その証拠にステラの肌にピリピリとした感覚がついて来る。

 これは間違いなく、強大な魔力がそこにある。

「もしかして、この屋敷に魔物が入り込んだとか?」

 ありえなくない。いかに壁一体に魔封じが込められていても、地下は守れない。

「できるわ。この屋敷の守りの魔法を味方にできれば……!」

 ステラはポケットから絵筆を取り出し、両腕に紋様を描きながら歩く。魔力を探り具現化する紋様。屋敷の結界が強いせいで今は効果はない。でも、魔物が現れれば起動できるように紋様に意味を加えていく。


 地下室についてステラは更に下へ下へと進んでいく。こんな場所、あったとは思えない。地下室よりさらに下にあるものと言えば……牢獄か、あるいは墓か。

「なに……あれ……」

 そうステラがすぐに呟いてしまうのも無理はなかった。あまりにも美しく、荘厳で、清らかなものがそこにあるのだから。

 牢獄ではあるだろう、墓でもあるだろう。けれど、これはここにあっていいものではない。叩けば壊れそうな透明なガラスケースに横たわる妙齢の女性。多くの花に包まれ、胸の上で手を重ね眠るように彼女はそこにいた。

 彼女の髪はまるで氷のように滑らかな銀色。額にはステラの杖に似た小さな赤い宝玉がつけられた額飾りフェロニエールが天井から降り注ぐ光に照らされて光っている。リボンは彼女を示すように取り囲むとパリン、と消えた。

 ―――間違いなく、ルーディトの女性だ。

「なんで……ルーディトが、こんなところに」

「それは彼女が私の大切な人だからだよ」

 背後から聞こえた声にステラは慌てて振り返る。鎧をまとったソルは入り込んだステラを責めもせず、問いもせず、いつもの笑顔を浮かべていた。

「どうしてこんな所にルーディトの……聖骸があるの!? 彼女は一体誰!?」

「セレナ。それが彼女の名前だよ。彼女はこのハイペリオン家に仕える優秀なルーディトでね、私が幼い頃はよく遊んでくれたものだよ」

「遊んでくれた?」

「あぁ。私の家は厳格でね、幼い頃から礼儀作法に武芸など多くて息がつまりそうだった。それを彼女は支えてくれたんだ。彼女は死してもなお、この家を守ってくれている。ここは彼女だけの場所だ」

「だとしても、これはおかしいわ! どうしてルーディトをサピエントの方法で弔うの!」

「弔う?」

「そうでしょ! サピエントは人が死ぬとそのまま地面に埋めるでしょ?」

「そうだね、彼女も死の間際燃やしてほしいと言っていたね。故郷の魔法使いを呼んで、灰にしてほしいと」

 ルーディトの魔力は死してなお体に宿り続ける。そのため、ルーディトでは人が死ねば魔物や悪意ある人間に悪用されないように燃やすのだ。

 それでも稀にその魔法すらはねのける強いルーディトが現れることがある。それをルーディトは聖骸と呼び、浄化や癒しの魔力を得るために使う。

 普通は幾重にも重ねられた結界の奥底へと封じられているはずなのだ。

「そうよ! 今ならおばあさまの杖があるからできるわ! 偉大なる神よ―――」

 持ってきた杖を掲げたとたん、ステラの体が宙を舞った。何か大きなものが地面から湧き出たようだった。

「渡すわけないだろう! 私からすべてを奪った神に!」

 宙に投げ出されたステラが見たのは、激昂するソルとその体を渦巻く黒いヘドロのような魔物の群れだった。今まで見た事のないほど怒りに満ち、そしてこの世の全てを呪おうとせんばかりの悪意に呑まれていた。

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