第2話 犯人の足跡

「お願いします。どうか、あの絵を取り戻してください」

 キュルルたちと共に外に出たイエイヌは、トラクターの前に立つキュルルたちにぺこりとお辞儀をする。

「任せなさい! 絶対に犯人を捕まえてやるんだから!」

 カラカルが得意げに胸を張る。最初にイエイヌに勘違いされ、絵を奪ったフレンズが自分と同じ姿だからか、絵と犯人の捜索に積極的だった。

「でも、イエイヌは本当に一緒に行かないの?」

 サーバルは姿勢を戻したイエイヌに訊ねる。

 さっきお茶を飲みながら話をしていた時、イエイヌはここに残るとキュルルたちに伝えて絵の捜索を託していた。

 サーバルとカラカルは、てっきりイエイヌも一緒に絵を探しに行くと思っていた。だから申し訳なさそうに同行は出来ないと言われたのには心底驚いたのだ。

 しかしイエイヌがこの場所も大事に思っているのを知るキュルルは、彼女の判断をすんなり受け入れて、困惑するサーバルとカラカルを説得する方に回っていた。

 サーバルがイエイヌに訊いたのは、責める訳でも怒っている訳でもなく、大事な絵の捜索を自分たちに任せていいのかという純粋な疑問と、やっぱり一緒に行かないかという確認だった。

「キュルルさんたちと一緒に行きたいですし、自分の手で取り戻さないといけないのは分かってるんです。……でも、あまり長い間ここを離れたくないんです」

 大事な絵なのに自分では何もせず、キュルルたちに押し付けてしまった心苦しさをイエイヌは覚えていたが、それでも同行しない事を選んだ。

 ここにいたヒトたちをこのおうちで待っていたい。そうキュルルたちに告げて。

「あの絵を取り戻すのにどれだけかかるか分かりません。だから、一緒には行けません」

「そっか」

 イエイヌとサーバルの会話を聞いていたキュルルは、イエイヌと初めて会った時の事を思い出す。

 ――あのおうちにいたヒトたちが戻ってくるまで、お留守番を続けます。それが私に課せられた、使命ですから。

「イエイヌさん、絵を取り返して戻ってきたら、ここにあったっていう他の絵も見せてくれるかな?」

「もちろんです。お茶を用意して待ってます」

 嬉しそうに笑ったイエイヌにつられて、キュルルも笑顔で答える。

「じゃあ、またね」

 キュルルはトラクターの運転席に、サーバルとカラカルは荷台に乗り込む。

「どうかご無事で」

 再びお辞儀をしたイエイヌへ、キュルルたちは三者三様に挨拶を返す。

「ありがとう。行ってくるよ」

「イエイヌも元気でね」

「すぐ戻って来るわよ」

 イエイヌが頭を上げると、同時にカラカルと目が合った。しばし彼女を見つめ、イエイヌは小声でささやく。

「……キュルルさんを、お願いします」

 消え入るような声はキュルルの耳には届かない。だがカラカルとサーバルの耳にはしっかりと聞こえていた。

 頼まれるまでもない。カラカルがそう答えようとした時、運転席からラッキービーストの無機質な声が流れて来た。

「出発スルヨ」

 直後にトラクターが低い音を立てて発進して、遅い速度でゆっくり離れていく。キュルルは運転席で後ろ向きに座り、門の前に立つイエイヌに手を振った。

 ゆっくり離れていくトラクターを、イエイヌは大きく手を振って見送っていた。


 以前キュルルたちがお芝居で協力し、ペパプの新曲ライブが行われたライブステージを通り過ぎて、トラクターは茶色い大地を走っていた。

 このエリアを抜ければ、おうち探しの時に出会い、色々とお世話になったヒト、かばんの家だ。

 イエイヌと別れた後、キュルルはラッキービーストの通信機能を使ってかばんに連絡を入れていた。

 イエイヌがフレンズに襲われて絵を奪われ、その犯人はカラカルと同じ姿のフレンズだった事を伝えたところ、すぐ家に来るように言われたのだ。

「ねえ、ちょっと気になってたんだけど」

 小さな丘が点在する荒野を走ってしばらく過ぎた頃、サーバルが運転席のキュルルへ話しかけた。

「キュルルちゃんはもう絵を描かないの?」

 無邪気な質問に、キュルルがびくりと肩を震わせる。

「そういえば、最近全然描いてないわね」

 ぼんやりと景色を眺めていたカラカルは、運転席へ顔を向けた。

 キュルルがパークで目覚めた時、同じ場所に残されていたスケッチブック。おうち探しの旅の時はそれに残された絵を頼りにパークを巡っていた。

 キュルルはそのスケッチブックに出会ったフレンズを描き加えたり、白紙の状態から絵を描いたりしてフレンズに渡していた。

 キュルルに会うまで絵を知らなかったサーバルとカラカルは色んな絵を見るのは楽しかったし、そんな絵を描けるキュルルを凄いと思っていた。

 しかしホテルでの騒動後あたりから絵を描くのを見ていない。おうち探しの旅を終え、新しい旅に出かけていた時にも、スケッチブックを開いてすらいなかった。

 さっきイエイヌの家で何か書いていたが、それはサーバルやカラカルには読めない文字。絵とは違って何が書いてあるのか分からないのだ。

 サーバルとカラカルに背中を向けたまま、キュルルはぽつりと答える。

「……絵は描かないよ。みんなに迷惑をかけちゃうから」

 他のセルリアンよりも強力な、フレンズにそっくりのセルリアン。それは自分の絵を取り込んで生まれたものだった。

 パークの危機ともいえるあの大騒動はみんなのお陰で何とかなった。だけど旅で出会ったフレンズを危険な目に遭わせて、オオミミギツネが大切にしていたホテルは崩壊してしまった。

 あんな事になってしまったのは、全部自分のせいだ。

 キュルルのせいじゃない。サーバルとカラカルをはじめとしたフレンズたちはそう言って、原因になった絵をもう描くなとは言わなかった。落ち着いたらまた絵を描いてほしいと言ってくれた。

 でも、あれから絵を描くのが怖くなった。

 スケッチブックはかばんに頼んで彼女の家に置きっぱなし。鉛筆はバッグに入れているけれど、それは絵を描くためじゃなくて、かばんに勧められてパークを旅して気付いたことや変わったことを書き留めておくためだ。

 海のご機嫌は落ち着いてきたのをカリフォルニアアシカとバンドウイルカから聞き、海のセルリウムが減っているのをかばんから教えてもらって、絵からセルリアンが生まれる危険性は低いだろうと伝えられたけれど、やっぱり絵を描くのが怖い。

「あたしたちは迷惑だなんて思ってないわよ」

「そうだよ。もしセルリアンが出てもみんなで倒しちゃうから!」

 カラカルとサーバルに慰められ、俯くキュルルは努めて普段の口調で返す。

「……うん、ありがとう」

 少しだけ気が楽になる。しかしみんなに迷惑をかけたという思いや、絵を描く事の不安や怖さは消えない。

「あれ……?」

 顔を上げたキュルルは、不意に運転席の屋根を支える棒を掴んで立ち上がる。

「どうしたの? キュルル」

 カラカルが荷台から身を乗り出して、それにつられてサーバルも進行方向に目を凝らした。

 進む先に三つの影が立っている。最初は誰かがいるという事しか分からなかったが、近づくにつれてその姿がはっきりしてくる。

「おーい!」

 キュルルが大きく手を振ると、向こうも気が付いて手を振り返す。道に立つ三人の手前でトラクターが自動的に停車して、キュルルたちはトラクターから降りた。

「久しぶりだな!」

 溌剌とした声をかけて来たのは、湾曲した角を戴くプロングホーン。傍には彼女に付き従うようにG(グレーター)・ロードランナーが、二人とは少し離れた位置にはチーターが立っている。

「またかけっこしてたの?」

 初めて会った時にリレーで競争した事を思い出してサーバルが訊ねる。

「いいや。今度フレンズが集まってリレーをやるから、それの話し合いをしてたんだ」

「リレーの話し合い?」

 プロングホーンの返答にキュルルが首を傾げると、ロードランナーが得意げに答えた。

「この前ホテルからこっちに戻って来る時、プロングホーン様がリレーの事を色んなフレンズに話したんだよ」

「そうしたら噂になっちゃったみたいでね……。リレーをやってみたいって子が集まって来たのよ」

 プロングホーンを見やり、チーターは肩をすくめる。

「それでプロングホーンがみんなでかけっこしようって言い出したの。……ルールの説明とかチーム分けとか大変だったわ」

 まさかあんなに集まるなんてとぼやく彼女とは対照的に、プロングホーンは心から楽しそうな顔をしていた。

「参加するフレンズは結構多いんだ。一緒に走れれば最高だろうな」

「でも、勝つのはやっぱりプロングホーン様かチーターの姉御ですよ!」

「いや姉御って」

 カラカルが思わず口を挟むが、プロングホーンとチーターの勝利を信じて疑わないロードランナーには聞こえていなかった。

「この前から私をそう呼ぶようになったのよ、全く……」

 以前とはまるで違う態度のロードランナーに苦笑してはいるものの、チーターはまんざらでもないようだった。

「チーター、なんか嬉しそう」

「はあ!? 別にそんなんじゃないわよ!」

 チーターは顔を赤くしてサーバルに言い返すと、照れ隠しをするようにカラカルに話しかける。

「それにしても、あなた随分のんびりしてるわね。まだこんなところにいるなんて」

「まだって何の事よ?」

 カラカルが怪訝な顔になる。チーターたちと会うのはホテルでの騒動以来だ。イエイヌの家へ行く時にこのエリアを通ったが、チーターたちには会っていない。

「少し前に一人でここを通って行っただろう?」

 確認するように言ってから、プロングホーンはロードランナーを見やる。

「そうそう。私が空から声をかけたら、逃げるみたいに走って行ったじゃねーか」

 思わぬ情報を聞いたキュルルたちは顔色を変える。ロードランナーが見たというのは、ここにいるカラカルじゃない。

「そいつどこに行った!?」

「うお!? 何だよ急に!?」

 カラカルに詰め寄られ、ロードランナーが飛び上がりそうなほど驚く。

「あなたここにいるじゃない。何を言ってるのよ?」

 チーターは本人の行方を訊くカラカルに困惑し、プロングホーンも訝るような表情をしている。

「実は……」

 キュルルたちがイエイヌの家で起きた事件を伝えると、三人は一様に驚愕する。

「同じ種類のフレンズか。興味深いな」

「本当にいたんだ……」

「たまに生まれる事があるのは知ってたけど、実際に見たっていうのは始めてよ」

 にわかには信じられないらしく、三人は半信半疑でカラカルを見ている。見定めるような視線を向けられて、カラカルはいたたまれない表情を浮かべていた。

「カラカルは僕たちとずっと一緒にいたから、ロードランナーさんが見たのはもう一人のカラカルだと思う」

「そうだよ。そのカラカルはどこに行ったの?」

 カラカルを助けるようにキュルルとサーバルが言うと、ロードランナーはキュルルたちが向かう先と同じ方向を指差した。

「あっちだ。急げば追いつけるんじゃねーか?」

「かばんさんの家の方だ……。ありがとう。助かったよ」

 キュルルは軽く頭を下げ、プロングホーンたちに別れを告げてトラクターに乗り込んだ。サーバルとカラカルが荷台にいるのを確認し、ラッキービーストに頼んでトラクターを発進させる。

「……あれで追いつくのか?」

 プロングホーンとチーターと共にキュルルたちを見送るロードランナーは、急いでいるようには見えないトラクターにぽつりと呟いた。

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