client.2‐9

「ふあ……おはようございます!気持ちいい朝ですね!」

「……」

 布団の上で元気良く伸びをするあとりに、京介は椅子に座ったまま、青白い顔で目線を遣った。目の下には薄く隈ができている。結局あれから一睡も出来なかったのだ。

「秋月さん、ちょっと眠そうですか?椅子なんかで寝るからですよ」

 髪を櫛で梳かしながら言う彼女に、京介は現実に戻った気がして内心安堵したが、何を返す気力も湧かなかった。

「朝ごはん食べて元気出しましょ――」

 そこまで言ったところで、彼女の言葉は玄関の戸を叩く音で遮られた。

「お、お客様! 恐れ入ります!」

 慌ただしく女中が襖を開き、畳の縁に膝を折る。緊迫感と焦りを伴うその様子に、二人は何事かと視線を向けた。次に発せられた言葉に耳を疑う。

「実は先程、他のお客様がお亡くなりになっているのが見つかりまして……」

「えええ!?」

 予想外のことに驚き、あとりは思わず京介を見る。険しく眉根を寄せた彼は、

「……どうやら本当のようだ」

 女中を真っ直ぐに見つめて断定した。嘘に反応する探偵の胸の内は水を打ったように静かだった。詳細を話さぬまま何かを納得した彼の様子に、何の事か分からない女中は困惑しつつも続ける。

「大変お手数おかけしますが、これから事情のご説明のため大広間にお集まり頂けないでしょうか……」

 かしずき、二人の返事を聞く間もなく部屋を後にした。鶯の間に、静寂が訪れる。

「こんなことって……何があったんでしょう」

 布団の上であたふたするあとり。何がどうなっている? と思案し腕を組んだ京介に、

「と、とにかく行ってみましょうか」

 彼女はそう言って浴衣の裾を直し、取る物もとりあえず立ち上がった。



 大広間兼食事処に客と従業員の全員が集合したのは、それから間もなくの事だった。訪れた客は京介達二人と眠そうな老夫婦、どこか落ち着かない学生三人組、俯きがちな浴衣姿の女性が、グループごとに席に着いた。

 京介は会場を見回したが、深夜の露天風呂で見た軽薄そうな黒髪の男の姿はなかった。まさか、と目を細める。

「皆様、早朝よりお集まり下さりありがとうございます……件のご説明ですが……」

 懸念の通り、明け方家族湯にて三十代くらいの男性客が亡くなっていた、という趣旨の話だった。状況を見るに、事故か自殺か他殺かは分からないのだと言う。

「何だか大変なことになりましたね……」

 あとりは説明を聞きながら温かいほうじ茶のマグカップを両手で包み、呟いた。朝食の準備どころではなくなってしまい、客にはひとまずドリンクバーが提供されていたのだ。

「――現在、警察に通報して到着を待っているのですが……なにぶんこの山奥なのと、麓の方で崖崩れが起こっているようで到着が遅れそうだと」

 現場保管と事情聴取を待つため、宿泊客と従業員にはしばらくこの宿で待機していて欲しいとの事だった。待機か、まあそうなるだろうな、と京介はコーヒーを傾けたが、

「冗談じゃない! 無関係な人間は早く解放してくれ」

 年配の男性客がクレームを付けた。食事処の空気が固まる。周囲の従業員は何とか理解を得ようとなだめるが、まあそういう反応も致し方無しだろうとも予想はできた。

 もし見つかった死体が他殺だった場合、ここにいる人間は全員、警察が来るまで殺人犯とひとつ屋根の下にいなければいけないのだから。

 さてどうしたものか、と京介はオニオンスープを啜りながら考える。全員を目の前に並ばせ、ひとりひとりに『お前が殺したか?』と尋問し嘘を吐いた奴を炙り出せば、自ずと犯人が誰かは分かる。全員嘘を吐いていなければ、病死か事故か自殺だろう。

 だが――彼は口を出すつもりはなかった。何より目立ちたくなかった。嘘が分かるなどという、誰の目にも信じ難い能力を披露したところで理解を得られないだろう。ましてや京介自身が疑われ、吊し上げられかねない。

「あとり」

 小声で向かいの少女を呼び、手元の紙ナプキンに『お前が殺したか?』と書いて見せた。彼女はぶんぶんと両手を振って全力で否定する。

「い、いえまさか!」

 嘘は吐いていない。彼も元より、あとりのことを殺人を犯して正気でいるような胆力の持ち主だとは思っていなかったが。今しがた書いた紙ナプキンを黒い手が丸めてポケットに捨てた。

 京介にとってはそれでもう良かった。

 このまま待っていれば警察が来て、勝手に真相究明をやってくれるはずだ。自分に火の粉が降りかからなければ、この後も危害が及ばないよう人目のある所でじっとしているのが良い。

 そうひとり結論付けてコーヒーにオニオンスープの残りを注ぎ、あとりをドン引きさせたその時。

「そ、そういえば! そこに探偵さんがいるじゃないですか!」

 奥の席から声が上がった。その場の耳目が、声を発した眼鏡の大学生に集中する。

「そうだった!」

「事件といえば……探偵だよな」

 茶髪頭と坊主頭の学生らも追従する。京介を指差し、視線は彼に寄せられた。コーヒーオニオンスープに口を付けていた探偵はせそうになった。たった今無関係でいようと決めたのに、槍玉に上げられるのは御免だった。

「いや、俺は――」

 断ろうと開いた口を、

「お任せ下さい!」

 向かいの少女が立ち上がり、その手で塞いだ。は? と苛立ちを滲ませ、彼はあとりを睨む。彼女は意に介さず、続ける。

「ここは乗りかかった船! 古小烏探偵事務所が真相を探ります!」

 榛色の瞳は窓越しの朝日を浴びて輝いている。その高らかな宣言に、人々は歓喜のどよめきを上げた。

「おお、これなら安心だな」

「確かに、どうせすぐには警察は来ないしな」

「事情聴取がスムーズに済むかも」

「頼んだよお嬢さん!」

 宿泊客や従業員一同は口々に各々の希望的観測を述べていた。どいつもこいつも好き勝手言いやがって、と京介は口を覆っていたあとりの手を黒手袋で払い除ける。今更彼が何を言っても、受注決定はくつがえりそうになかった。

「……こうなった責任は取れよ」

 黒い双眸が、事の発端になった少女を射抜く。あとりはその剣幕にえへへ、と笑って誤魔化し、

「一緒に頑張りましょう?」

 協力を仰いだ。無策かよ。どの面下げて言ってんだ、と言いたいことは山ほどあったが、京介は苛々とそっぽを向いて溜息を吐き、コーヒーオニオンスープを飲み下した。

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