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「――で、これが当たったと」

 夕食中、京介はあとりから差し出されたチケットを見ながら呟いた。紙面には陽気なレタリングで『景山けいざん温泉宿泊券~一泊二日の旅~』とある。当てた彼女は満面の笑みだ。

「ね! すごくないですか!? 一等ですよ一等!」

 彼女の運の良さには目を見張るところがある。京介はチケットを返しながら、出来立てのロールキャベツを口に運んだ。

「あ、それ美味しいでしょ? 結構自信作です」

 ふふん、と得意げに胸を張るあとり。確かに彼女の言う通り、柔らかいキャベツに包まれた肉の旨味がじゅわりと滲み出した。京介は何も言わずに食べ進める。

 夕餉ゆうげは自分が作ると言い出し、台所に立った時はどうなることかと思っていたが。彼女が探偵事務所に転がり込んできた時に炊事が得意だと宣言したのは、自意識過剰ではなく本当だったな、と彼は感心したが、

「本採用する気になりました?」

 褒める気は失せた。

「食い物で釣るな」

 眉根を寄せて皿の中身を平らげる。あとりはちぇ、とうそぶきながら自分のロールキャベツをつついた。

「試用期間はあと三日。それが終わったら出て行けよ」

 ストーカーも居なくなった事だし、と京介はほうじ茶を啜る。少女は不満顔だ。

「えー! 空き巣問題は解決してないじゃないですか! 人でなしー」

「それこそもう一度警察にでも相談しろ。どうせここにいても解決しないだろ」

 ストーカーのような常に追ってくる相手は待っていれば自ずと姿を見せるだろうが、空き巣の場合は一度入った家や家主の前に再び現れるとは考えにくかった。彼女に対する意地悪ではなく、正直本当にこれ以上ここにいても事態が好転することは無い。彼は溜息を吐いてマグカップを置いた。

「良いですもん。三日間の内に空き巣が尻尾を見せないとも限りませんし」

 完食し箸を置くあとり。可能性としては限りなくゼロだろ、と京介は思ったが、これ以上言い返してもああ言えばこう言うやりとりが長くなりそうだったので、口には出さなかった。黙って平穏に残り三日間を過ごせばいなくなる相手だ、と自分に言い聞かせることにした。

 彼の思惑に反して、あとりはチケットを再びまじまじと見ながら呟く。

「それにしてもこの券、ペア券なんですよ。一緒に行きません?」

「……正気で言ってんのか」

「やだなあ、当たった話をしといて置いていくなんて、そんな鬼みたいなことしませんよ」

 ね、せっかくですし、と楽しそうに話す彼女に、京介は頭が痛くなった。引いてることに気づけ。何故出会って間もない小娘と旅行に行かねばならないのか。最早もはや何から指摘すれば良いやら、と黒手袋が額を抑える。

「……勝手にひとりで行ってきたら良いだろ」

 彼はほうじ茶をぬるく感じながら傾けた。彼女はチケットの下部に小さく書いてある文字を指差して反論する。

「えー、試用期間中なのにですか? それにほらここ見て下さいよ。『ご参加はペア限定です』って書いてありますよ」

「友達でも誘えば良いだろ……何で俺が」

 むー、と唸るあとり。

「だってこれ、明日から一泊二日券ですもん。さすがに急すぎて誘えないですよー」

「それはいくら何でも急だろ。相手が俺でも」

 疲れを感じながら、探偵はミルクセーキを流し込んだ。

 チケットには確かに、米印付きで明日から一泊二日の日程が記載されている。チケットを作成した商店街側も、無計画にも程があるだろと彼は辟易へきえきしていた。

「えー行きましょうよ温泉! せっかく当たったんですから! どうせ何の依頼も入ってないじゃないですか」

「断る」

 ほうじ茶のマグカップにミルクセーキの残りを注ぎながらぴしゃりと言い放つ京介。

「もう! そんな小学生みたいな混ぜ混ぜドリンクやってないで! 行きましょうよおんせーん!」

 おーんせん! おーんせん! とあとりのコールが始まる。

 眉間に皺を寄せた彼は聴覚をシャットアウトするように、ほうじ茶ミルクセーキを一気に呷った。



「ふふふーおーんせーん!」

 翌日。結局根負けした京介は、あとりと共に温泉へ向かう貸切バスに揺られていた。彼は頑として断るつもりだったが、行くと言うまで夜通し温泉コールが続くとは思わなかったのだ。

「ね! 楽しみですね!」

「…………」

 彼女の榛色の瞳は百万ドルの夜景の如く輝いている。対して京介はぐったりしていた。せめて目的地まで寝かせてくれと思いながら、腕を組んで目を閉じる。

 最寄り駅を出発した貸切バスは、他にも乗客を抱えていた。京介とあとりは真ん中辺りの座席に座り、前方には三十代くらいの夫婦と思しき男女が仲睦まじく座っている。

 最後尾には若い男性三人組が座っていた。

「やーべテンション上がるー!」

「ビール買ってきたぜー!」

「ちょ、お前らマジうるせえ!」

 学生旅行だろうか、小型のカメラで自分達を撮影しながら騒いでいる。

「…………」

 探偵は眠れず、しぶしぶ起きてバスの車窓に目を遣る。窓際が良いと主張したあとりが、今しがた開けたばかりのバームクーヘンにかじりつこうとしているところだった。

「あ、起きた。バームクーヘン半分食べます?」

「……いや、結構」

 美味しいのに、という彼女を無視する。彼は肘掛に頬杖をつき、早く解放してくれと切に願いながら進行方向を黙って見つめることにした。

 バスは温泉を目指し山道をひた走る。期待に胸を膨らませる人々と、ひとりのただ眠たい男を揺らしながら、新緑の中へ吸い込まれていった。

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