第4話  水と油の邂逅

「どうせすぐに出ていくから私がここにいる理由なんて気にしなくていい。それよりも、この中に白辻先生の実家がお花屋さんだってこと、知ってる人いる?」


 俺を押しのけて前に出た戸滝はいきなり部室を訪れた部外者でありながら自身がここにいる理由についての説明を早々に放棄し、自分が聞ききたいことだけを真剣な表情で口にした。


 白辻先生の実家が花屋を営んでいる。

 それは、本来なら最初のホームルームで先生自身が口にしていた情報だ。


 彼は教室が殺風景な気がしたので実家の花屋から自分の好きなマーガレットの花をもらってきて飾ることにしたのだと言っていた。


 当然、二年六組の生徒である朱乃と悠がそれを知らないはずはないのだけれど。


「戸滝さんは気にならないかもしれないけど、普通はいきなり部室に部外者が入ってきたら驚くのよ。出ていけとは言わないから、せめて理由くらいちゃんと――」

「いいから、答えて」

「……知らないわよ、そんなこと」


 戸滝に言い募ろうとしたところで台詞を遮られた朱乃が、渋々といった様子で質問に答える。


 朱乃は明らかに不満そうで、途中から戸滝じゃなく彼女を連れてきた俺の方を睨んでいるのだが、そんな顔をされても俺だって本当の理由を説明することはできない。


 この場でてきとうにでっち上げた作り話では納得してもらえないというのなら、もはや俺に残された手段は他力本願だけだ。


「悠、お前はどうだ。白辻先生の実家のこと、知ってたか?」

「いや、知らなかったよ。それにしても、花屋さんか。こう言うと失礼かもしれないけど、白辻先生のイメージにはあんまり合わない気がするね」


 これ以上朱乃と戸滝の会話を続けさせても空気が悪くなるだけだと判断した俺が悠に話を振ると、彼は俺の意図を察して会話を引き継ぎ戸滝へ軽く笑いかけた。


 まあ、戸滝のやつは悠の笑みを見ても完全に無反応で愛想の欠片もないけれど、悠はこれくらいで気を悪くするやつじゃない。


 少なくとも、あのまま朱乃に喋らせるよりは幾らかマシだろう。


「じゃあ、次の質問。白辻先生の好きな花が何かはわかる?」

「ごめん。それも知らないな」


 朱乃は黙ったまま戸滝の質問に答えなくなってしまったので、代わりと言わんばかりに悠が殊更に愛想よく答えを口にする。


 完璧には程遠いが、ひとまず朱乃からの追及を逃れることはできたし戸滝にバトンを渡したのは正解だったな。


「それじゃあ最後に、二年六組の教室に飾ってある切り花を一度でも見たことは?」

「……えっと、戸滝さん? 俺の勘違いだったら申し訳ないんだけど、教室には花なんて飾ってないと思うよ」


 困惑した様子の悠と特に突っ込みを入れてこない朱乃を見て二人にも白辻先生と同じ記憶の改変が起きていると判断したのか、戸滝は質問を終えると満足そうに頷いた。


「ありがと、参考になった。藍川、とりあえずファミレスにでも寄って今後の方針を――」

「戸滝さん。悪いけど、この後真夏は私の家に寄ることになってるから。急用じゃないなら、明日にしてくれる?」


 戸滝の台詞を遮った朱乃の顔には敵意が見え隠れしており、このまま俺が戸滝について行けば本気で怒りかねない様相を呈している。


 戸滝の態度に問題があるのは事実なので朱乃が気分を害するのも無理はないけれど、こうなると俺は彼女を宥めるのに専念しなければ後が怖そうだ。


「あー、戸滝。悪いけど、今日はこれくらいでお開きにしないか?」


 俺が朱乃を横目に見ながら恐る恐る提案すると、戸滝は暫し顎に手を添え考え込んでからゆっくりと頷いた。


「わかった。どのみち、今日中に終わるようなものでもないだろうしね。変に無理して明日以降の活動に差し障りが出ても困るし、今日はこのくらいにしとこうか」


 俺の提案を了承する旨の発言をしてから、戸滝は鞄を漁ってケースに入ってすらいないスマホを取り出し俺に手渡してきた。


「今後必要になるだろうから、藍川の連絡先登録しといて」

「一応聞くけど、これ俺が操作していいのか?」

「そこら辺は気にしなくていいよ。元々、お母さんに言われたから持ち歩いているだけであんまり使ってないし、見られて困るようなデータは入ってないから」


 本人がいいと言っている以上気後れする理由もないので、藍川のスマホを操作し俺の連絡先とメッセージアプリのアカウントを登録しておく。


 というか、別に他人がとやかく言うようなことじゃないが、戸滝のスマホに登録されている連絡先が俺を除けば母親のものしかないのは流石というか。

 スマホのホーム画面もデフォルトのまま変更されてないし、本気でこの手のコミュニケーションに興味ないんだろうな。


「お邪魔しました」


 最後に京香さんへ軽く会釈してから、戸滝が早足に文芸部の部室を去っていく。


 京香さんと悠はそんな戸滝の背中をいつも通りの表情で見送っているが、案の定というか朱乃だけは戸滝へ親の仇でも見るかのような視線を向けている。


「真夏! 何なの、あれ! いきなり来たくせに、自分の言いたいことだけ言ってさっさと帰るとかあり得なくない?」


 戸滝の姿が完全に見えなくなるのと同時に、部室へ朱乃の叫びが響く。


 助けを求めるために他の部員の方を見ても、京香さんは触らぬ神に祟りなしとばかりに見物の構えを決め込んでいるし、悠は顔の前で軽く手を合わせ謝るような仕草をするだけだ。


 正直そんな気はしていたが、二人とも朱乃のことで俺を助ける気はないらしい。


「まあ確かに、戸滝の態度は俺もちょっとどうかと思うが。さっきのに限って言えば、戸滝なりに大切な用事があったんだよ。あいつの代わりに迷惑料としてアイスでも買ってやるから、それくらいで――」

「それ!」


 小学生時代から続く朱乃を宥めるための十八番戦法、もとい単なる買収によってこの場を収めようとした俺の声が朱乃の鋭い一喝によって遮られる。


「それが一番気に入らない。何でさっきから戸滝さんの肩持つのよ。真夏は私と戸滝さん、どっちの味方なわけ?」

「そう言われても、そもそも俺はどっちの敵でもないんだが……」


 俺の発言に朱乃は眉を釣り上げ、大股で目の前まで歩み寄ってきた。


「ごちゃごちゃ言ってないで、私の味方って言え!」

「わかった。……別に今さら言うようなことでもないが、俺は最初からお前の味方だ」


 有無を言わさぬ朱乃の勢いを前に僅かばかりの気恥ずかしさをごまかしつつ彼女の要求に応えると、朱乃はようやく表情を緩めた。


「よろしい。じゃ、帰るわよ」


 朱乃が机の上に置いてあった自分の鞄を手に取り、俺に帰るよう促してくる。


 一応、部活が終わるにはまだ時間があるんだが、まあ残ったところで大した活動をするわけでもないし今日は大人しく朱乃に従っておくか。


「えっと、そういうわけなんで俺と朱乃は先に帰ります」


 俺が朱乃と帰宅する旨を伝えると、京香さんは楽しそうにニヤニヤと笑い、悠は少し気の抜けた様子で苦笑いを浮かべてから軽く右手を上げた。


「じゃあね。真夏、これ以上朱乃を怒らせちゃダメだよ」

「二人とも、また明日」


 京香さんの別れ際の挨拶を真に受けたというわけでもないのだけれど。


 俺がついてくるのを確認してから歩き出した朱乃の背を小走りで追いかけ横に並ぶまでの間に、俺はこの幼馴染の機嫌を取るため帰りにコンビニでアイスを買うことを心に決めた。

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