第2話 調査開始

| 戸滝はこれまで話したことをノートにまとめ終えると、まるでマイクでも持っているかのように俺の方へシャーペンの先を向けた。


「とりあえず、私の方で気づいたことはこの程度なんだけど、藍川は二号について何かわかったことある?」

「……いや、特に何も思いつかないけど」

「そう。なら、次は二号の中心にいた私たち以外の人間が花瓶についてどう認識してるのか確かめないとね。年齢や性別みたいなわかりやすい要素の影響くらいは調べときたいし、できれば先生の他にも男女別で最低一人ずつは六組の人間に話を聞いてみたいところだけど」


 こんな異常極まる状況下でも冷静に今後の方針を立てる戸滝の姿は、俺の目には頼もしく映る。


 けれど、それと同時に疑問にも思う。

 同じ状況に身を置いているからこそ断言できるが、彼女の落ち着きようはちょっと普通じゃない。


 自分の不甲斐なさを言い訳するようでなんだが、なぜ彼女は普通なら混乱してパニックになってもおかしくないこの状況でこんなにも冷静なのだろう。


「なあ、戸滝。一つ聞きたいことがあるんだけど、いいか?」

「どうしたの? 何か気づいたことがあるなら遠慮なく――」

「いや、そういうわけじゃなくて。ただ、その、何というか、お前何でそんなに落ち着いてるんだ? 正直、俺なんかさっきから頭の中疑問符で一杯だし、二号についてあれこれ考える余裕なんてないんだが」


 俺の言っていることが正しく伝わらなかった、というわけではないのだろうけど。


 戸滝はなぜそんなことを聞いているのかわからないとでも言いたげに目を瞬かせながら暫し黙り込んだ後、至極どうでもよさそうに口を開いた。


「そりゃ、二号が私たちの常識を超えた異常事態だってのは確かだけどさ。現実として、私たちの前で起きたことなんだよ? なら、確かめたいと思わないの? 少なくとも私は、下らない常識に縛られてあたふたする暇があったら二号についてもっと知りたいと思うけど」


 戸滝の言うことが、間違いだとは思わない。

 

 確かに、混乱して木偶の坊と化すよりは彼女のように二号の解明のため力を注いだ方が遥かに建設的だろう。


 けど、やっぱり言うは易く行うは難しだ。

 頭ではわかっていても、そう簡単に今まで信じてきた常識を捨てて目の前の異常事態と向き合うことはできない。


「というか、藍川だって口で言う程混乱してるわけじゃないんじゃない?」

「そりゃどうも。けど、生憎と俺はお前が思ってる程切り替えの早い人間じゃないぞ」

「ほら、現に今だってそのくらいの軽口は言えてるじゃん。本当に切羽詰まってパニックに陥った人間は、そんな台詞は言わないよ」


 正直、戸滝からこんな風に評価されるのは悪い気はしないけれど。


 実際のところ、俺は戸滝の冷静さに引っ張られて何とか最低限の平静を保っているだけだ。


 戸滝なら仮に一人でも落ち着いているのだろうが、俺の場合は戸滝がいなければ間違いなくパニックになっている。


「それに、これまでがどうであれ、今の藍川は自分の理解を越えた超常的な現象を頭ごなしに否定したりはしないでしょ?」

「そりゃまあ、あんなもの見た後だと流石にな」

「なら、私は藍川にそれ以上のことは求めないよ。そもそも、藍川に余裕がないって言うんなら私が藍川の分まで考えればいいだけだし、そんなこと気にしなくていい」


 戸滝がこんな風に言ってくれるのありがたいし、俺の心持ちも少しばかり軽くなりはしたのだけれど。


 二号が発生するまでの険悪なやり取りが嘘のように友好的な態度を見せる戸滝を前に、今度は別の意味で落ち着かなくなってくる。


「戸滝、お前悪いものでも食べたのか?」

「何それ。私だって、まともに会話が成立する相手となら普通に話すっての」


 言外に二号発生前の俺は会話の成り立たない相手だと言われているような気はするが、少なくとも今の俺に関しては最低限話し相手としては認めてくれているらしい。


 ここら辺の心変わりに関しては、やっぱり二号という異常事態を共に経験したのが大きいのだろうか。


 二号のことをこの場にいない人間に話したってまともに取り合ってくれるとは思えないし、戸滝としても二号について情報共有する相手は俺しかいないのだろう。


 まあ、現状では俺が役に立っているとは言い難いが、そもそもの発端は俺が花瓶の後始末を強引に手伝おうとしたことにあるのだし、少しくらいは役に立てるよう頑張ってみるとしよう。


「とりあえず、次は白辻先生に話を聞くんだよな?」


 戸滝が頷いたのを確認してから、床に置きっぱなしになっていた日誌を拾うべく立ち上がる。


 何だか、当初の予定から随分と遠回りをした気がするけれど、二号に関する調査のおまけとしてようやく日直の仕事を終えられそうだ。


 

 ◇



「白辻先生、今ちょっと時間もらえますか?」


 職員室の中から見慣れた後ろ姿を見つけ声をかけると、二十七歳にして教師陣の中でも随一のくたびれぶりを発揮している我らが担任、白辻利典しらつじとしのりは気だるげな様子でこちらへ振り返った。


「おお、藍川、ようやく日誌持ってきたのか……って、戸滝も一緒なのか? なんつーか、また随分と珍しい組み合わせだな」


 俺の隣に戸滝の姿を認め、白辻先生の眠たげな目が見開かれる。


 やはりというか、白辻先生から見てもあの戸滝が俺と共にいる姿は大いに違和感を抱くものらしい。


「えっと、変なこと聞きますけど、教室に飾ってあるマーガレットの花のこと、先生は覚えてますか?」


 俺の問を聞いて、白辻先生が怪訝そうな顔を浮かべる。


「は? マーガレット? そんなもん、見た覚えはねえけど。……あー、もしかして、教室が殺風景だから花でも飾らないかって話か? まあ、こう見えて俺の実家は花屋だからな。別に教室に花を飾っちゃダメなんて決まりもねえし、どうしてもって言うなら何かてきとうに持ってきてやろうか?」


 白辻先生のまるで見当違いな返答を聞いて、彼が二年六組の教室にいた人間なら誰もが目にしていたあの花瓶について何一つ覚えていないことを確信する。 

 

 まるで現実味がないけれど、事ここに至っては認めざるを得ない。


 白辻先生の……いや、恐らくは俺と戸滝以外の全ての人間から、あの花瓶に関する記憶は失われてしまったのだ。

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