(6)南の果ての受付嬢と、小さな冒険者の女の子

 あたしが育ったのは、中央山脈を背後に背負うドルバルール晶越しょうえつ国の南方、煌びやかな宮廷様式に彩られたディルドマ領主の館だった。


「明日はドドマ卿との晩餐会だ。しっかりと気を惹くことだな」


 こんな生まれ変わりが当たり前の世界で、貴族がどうのと心から信じている父親が、堪らなく厭だった。

 ランク十二にもなれば成人と見なされる。成人になれば、何処でどう生きていこうと、それは本人の自由。――そんな神々との契約とも言える決まり事さえ反故にする、この国はもう駄目だと思っていた。


「そうですか、お父様。それでは私は、明日に備えて今日は休ませていただきますわ」


 国境を跨いだラゼリア王国。そこは貴種の嗜みを理解しない蛮族の国などという噂だけは聞いていた。

 それはつまり、神々の契約に従い、個々の技量に重きを置いているのだと、それは殆ど確証の無い希望でしか無かったけれど、あたしはそう理解した。


 嗚呼、前世が何かも分からない世の中で、血筋の尊さにどんな意味が有るというのだろう。

 嗚呼、ただその血統にのみ重きを置いて、幾人もの妾を囲った肥え太った豚に娘を差し出す父親の、何が尊いというのだろう。


 全てを悟ったあの日から、ダンスのステップを武術の足運びに、護身術を数少ない実践の訓練に、胸の内で置き換えてこの身を研ぎ澄ませて生きてきた。


 ランクを十二に上げれば成人と見なされる。ランクを八まで上げれば、自由に旅も許される。冒険者協会に所属していなくても、ランクは神々による格付だから、腕を磨けばランクは上がる。『人物識別』が出来る様になれば、ランクの値も知る事が出来る。


 念願のランク八に上がったのは一年前。それを今まで待ったのは、たった一人の大切な妹が、ランク十二に上がるのを待っていたからだ。あたしがランク八だから、成人した妹があたしを保護者と指定すれば、一緒に旅をする事に問題は無かった。


 あたしと比べて運動が苦手で要領も余り良くない妹は、料理や刺繍の腕でランクを上げるしか方法が無くて、それで今まで掛かったのだ。


 でも、そんな日々ももう終わり。幾ら形骸化していようと、この国にも神々との約束事は、法として残っている。

 貴族には別の法があったとしても、市井の冒険者協会に行けば、ランクさえ条件を満たしていれば、冒険者としての身分証が手に入る。


 お忍び用と称して手に入れた、上質ながらも一般民衆が着ていておかしく無さそうな服を着て、妹と一緒に冒険者協会を訪ねたのが、僅かに本の二日前。のらりくらりと躱していたが、本当にギリギリのタイミングだった。


「ディー、本当にいいの? ここにいれば、少なくとも危険な目に遭う事は無いよ。少し我慢をすれば、貴族としてちやほやもしてくれる。でも、付いて来れば引き返す事は出来ないよ」

「いや! 私は、お姉ちゃんと一緒がいいの!」


 斥候に重きを置いて鍛えた技能で、夜中に屋敷を抜け出した。

 でも、ただ居なくなったという事なら、きっと後々面倒な事になる。取るべき手続きを取って、全てを終わらせて国を出なければいけないと、あたしはそう信じていた。


 役場は駄目だ。喩え法が許していても、貴族社会がきっと出奔を許さない。

 駄目元で訪れた冒険者協会では、きっと事情も分かっただろうに、驚く程スムーズに国を出て旅をする為の手続きを調ととのえてくれた。

 後になって冒険者協会で働く様になり、その辺りの事情も知る事になったが、結局のところ、あたし達はこの時、冒険者協会に返し切れない恩が出来たと言えるだろう。

 格安で譲ってくれた冒険者としての旅装や、国境までの馬車の手配、然り気無く伝えられた国境からの道程や、手渡された手紙等、報いなければならない事は枚挙に暇が無い。

 そうして不安に駆られながらも辿り着いた小さな町で、妹は食堂の手伝いをしながら、あたしは冒険者として町の雑用をこなしながら、二人で新しい生活を始めたのだ。


 知っている事は殆ど無くて、出会う事は知らない事ばかり。

 持っている技能の違いから、別々の現場で働く事になったあたし達は、夜、抱き締め合って眠るその時まで、ずっと緊張に包まれて生きていた。

 それでも温かく迎えてくれた宿屋のおかみさんや、想像と違って気の良い冒険者達に支えられて、暫くする内に自然と笑う事も出来る様になっていた。妹も、食堂の老夫婦が励ましてくれたと言って、幸せそうな顔を浮かべる事が出来る様になっていた。


 どんなに気を張っていても、十五と十三の小娘だったのだ。きっと心配を懸けたのだろう。もしかしたら娘の様に思ってくれていたのかも知れない。


 それでもそこはまだ生国にほど近くて、いつも何処か怯えの様な物を感じながら暮らしていた。それを分かってくれていたのか、私達がまた旅立つ時には、涙を滲ませて名残惜しまれながらも引き留められずに旅立つ事が出来たのだ。

 あの温かな人達も、あたし達の心を救ってくれた恩人だ。


 それから二年。あたし達は王都へと進路を決めて、町を渡りながら旅を続けた。

 妹と一緒に冒険者をする事も有れば、逆にあたしが食堂で働く事も有った。

 畑仕事、家畜の世話、町の掃除、どぶ浚いと何でもした。

 何処へ行っても冒険者協会は親切で、あたし達の味方だった。

 王都へと向かうその中で、あたしは心に決めたのだ。


「冒険者協会で、働かせて下さい!」


 王都の冒険者協会の窓口で訴えてみたが、冒険者協会の職員は、ランク六以上が必須だと知って、暫くは討伐依頼に明け暮れた。

 晴れて研修を受けられる様になって一年。職員資格を手に入れたあたしは、生国からも遠く離れた王国の南の端、デリリア領の領都デリラで、冒険者協会の職員として働く事にしたのだ。


「……ディーも付いて来てくれるかなー?」

「もちのろん!」


 妹は王都でも随分人気の看板娘をしていたが、離れるなんて考える事は出来なかった。

 生来の性格が出たのか、生国にいた時とは随分口調も変わっていたが、妹は却って親しみ易いとよく甘える様になっていた。でも、本当に甘えていたのは、あたしの方だったのかも知れない。そう思わせる、親愛の籠もった笑顔だった。


 そうして辿り着いたデリリア領はデリラの街。

 賑やかながら乱暴な喧噪とは縁遠い田舎の街は、不思議と心が落ち着いた。

 妹も同じ様に感じていたらしく、酒場で働き始めてからは随分と自然な表情で生き生きとしている。それで初めて、明るく見せていても王都の食堂では気が休まらなかったのだと気が付いた。


 この街で生きていくのも悪くないと、そう思える様になった頃、あたしはあの子と出会った。


「冒険者に成りに来ました! 何をすればいいのですか?」


 その子が冒険者協会の受付に来た時に思ったのは、ああ、これが噂の子かという、そういった想いだけだった。


 随分昔から、街のあちこちで廃材を集めたり、端切れの素材を貰ったりして、冒険者に成るのだと駆け回っていると評判の子だ。

 住人の数が五桁に届こうという街でも、目立つ人物はしっかり噂になるものだ。特に、冒険者協会の受付をしていたり、酒場で働く妹がいたりすれば、耳に入ってくる噂話も相当なものになる。


 だから、噂の子だ、と、そう思った。


 あたしは子供は嫌いだった。

 真っ直ぐに未来を夢見るその眼差しも、自由を当たり前のものとして謳歌するその振る舞いも、見ているあたしの中に苛立ちばかりが募った。

 嫉妬なのだとは自分でも分かっている。

 羨ましくて妬ましいそれらは、あたし達には無かったものなのだから。


 そんなあたしの子供への態度が素っ気なくなってしまうのも、まぁ、容赦して貰いたいものだと思っていたら、後になってその子供から、いつもやる気の無さげなお姉さん扱いされていると知って、何とも言えない気持ちになったものだ。


 いつも瞳の中に星でも飛んでいそうな様子だったその子は、どうした事か愛想の無いあたしに懐くようになった。

 素っ気なく突き放しても、冷たくあしらっても、まるで堪えずに突撃してくる小さな子供。

 仕方が無しに乱暴に頭を掻き混ぜてやれば、こちらがどきりとする様な笑顔で笑う女の子。


 複雑な気分ながら、いつまでも意地を張れるものでも無く、いつの間にかあたしはその子の担当窓口の様になっていた。


 そんな子供の様子がおかしくなってきたのは、春真っ盛りの花の頃。表情から、いつもの楽しげな様子が抜けているのが見られる様になったあの時。街でも一部で有名な熱血な防衛小隊長さんが冒険者協会に怒鳴り込んできた頃からの事だったろうか。

 尤もその時は、子供を心配する父親というのはこういうものなのかという、どこか達観した思いで眺めているだけだったけれども。


「あらー。あんた、いいところのお嬢さんだと思ってたら、隊長さんところの子供だったのねー」


 そんな軽口を叩けたのも、極最初の頃だけ。

 気が付けば、あたしの『識別』が通らなくなっていた事に、背筋がぞわりとする程の動揺を受けていた。


 あたしの『識別』は、あたし達が生きていく為に、頼みの綱とした大切な技能ちからだ。派生した『看破』も、誰にも負けない自負が有る。妹とあたしを守り続けてきたその力が、通じないなんて事は有りはしなかった。


 それを、まだ十一かそこらの子供が凌ぐのだ。

 『看破』を防ぐには、『隠蔽』系の技能が必要になる。そんな技能は持っていなかった筈なのに。


 まだ『看破』も『識別』も通ったあの頃、くもりも無い眼差しで街を駆け回っていたあの子に、一度だけこっそりと『識別』を掛けてみた事が有る。

 その時でランクは十三。持っていた技能は『集中』と『鍛冶』と『魔力知覚』と『運足』。

 『識別』自体は鍛えていなかったから、発現未満の技能や、『識別』の様な基本的でありながら見え難い技能は分からなかったとしても、『隠蔽』が無かった事は確かだ。

 それが一年にもならない内に、いや、恐らくは様子がおかしくなり始めてからの僅かな期間であたしの『看破』を超えてくる?

 才能が有ったとしても、有り得ない話だった。


 十歳やそこらの、職人の家に生まれた訳でも無い子供が『鍛冶』なんて持っている。その時点で恐らくは記憶持ち。あたしと同じく、確かな記憶は持っていないだろうけれど、それにしても異常な事だ。

 『隠蔽』の発現は、魔力の操作も関わると言われているが、最も影響するのは拒絶する心だという。前世で『隠蔽』を持っていたとしても、今世でこれだけ急激に開花させるには、どれだけの絶望をその心に秘めていたというのだろうか。


 小さな子供は苦手だった。

 辛い事なんて何も知らないという顔で、お気楽に生きている子供が嫌いだった。

 でも、それは自分の妬ましく薄汚れた気持ちからのものと自覚していて、そしてそんなお気楽に見えていた子供もその小さな体に深く深く悩みを抱えていると知ってしまったなら……。


 大した事が無い悩みだとはあたしには言えない。そんなもので、あたしの『看破』を覆す事は出来ない。

 ならば、同じだ。この子は、国も家も捨てて逃げ延びてきたあたし達と同じなのだ。


 そう思う様になって、不思議とすんなりと納得出来た。

 ならば、妹と同じ様に、この子も守ってやらなければ、と。


 それは、もしかすると、国を出て未だにあたしの心を縛り付けていた、得体の知れない鎖の様な物が、解けて落ちた瞬間だったのかも知れない。


 後に、あるいはそれが、あたし達を助けてくれた冒険者協会への恩返しにもなるのだと考えたが、そんな事に関係なく、その時、その子供――ディジーリア――は、あたし達の妹の様なものになったのだ。


 とは言っても、ディジーにあたしがしてやれる事は殆ど無かったのだけれど。


 匿ってあげようかと思っても、既にディジーは隠れ家的なものを確保していて、何かの際に庇う事を考えても、そもそももうその頃のディジーの『隠形』や『隠蔽』は尋常では無く、ディジーがそう意識しない限り、あたしの他に気が付く人は殆ど居なかったのだから。


「全く、子供を魔の領域に送り出すなんて、冒険者協会は何を考えているんだ!」

「あらー、少年騎士っていうのも、結構居たと思うんだけどねー?」

「馬鹿を言うな、騎士と冒険者は違う! 冒険者は訓練などしないではないか!」

「冒険者は毎日が実践だからねー。実践も経ないで魔物との戦いに送り出そうなんて、騎士っていうのも随分と無謀ねー」

「馬鹿な! 当然初戦には熟練の騎士が付くわ! これだから冒険者は何も分かっとらんのだ!」

「ふーん、そうなの? でも、頭ごなしに駄目なんて言っても、駄目ねー。あーあ、かわいそー。大嫌いなんて言われちゃうようになっちゃうんだー」

「そんな馬鹿な事が有るか! 私は娘の為を思って言っているのだぞ!」

「あはははは、まるで望まない結婚を子供に強いる親と変わらない言いぐさねー。まー、そんな戦う事しか出来ない騎士なんて、冒険者としては使いものにならないから、冒険者協会としても要らないかなー?」

「何だとっ!!」

「だって、すぐ死んじゃうからねー。冒険者は何でも出来ないとやっていけないんだからー」


「あはははは! 子供だからって、大人になっても許してあげるつもりなんて無いのに馬っ鹿みたい!」

「ふん! 大人になって、心配しないだけの腕前を身に付けたなら、何も言わんわ!」

「はー、その時はその時で、女が冒険者に成るのがどうのとごねるのが目に見えるわねー。でもー、それで行くと娘さんはもう資格有りなんじゃ無いのー?」

「……何?」

「だって、娘さんが身を眩ませたら、隊長さんには見つけられないんでしょー? それって、或る意味娘さんの方が、隊長さんより上手うわてって事よねー」

「くっ……そ……その気になれば、リアを見つける事など訳無いわ!」

「あら、そー? じゃー、頑張ってねー」


「ええい! お前には子供を思う親の気持ちが分からんのだ!」

「そーねー。子供は心配よねー。子供の冒険者なんて、家を飛び出してきたのばっかりだもんねー。でも、冒険者って皆そんなもんよねー」

「……冒険者は親不孝者共の巣窟か!?」

「あたしとしてはー、子供に甘えている親の方が問題なんだけどー? でー、隊長さんはー、娘さんを見付けられたのかなー?」

「く、くそぅっ! また来るぞっ!」

「来なくていいわよー?」


「あら? また来たの? 毎日毎日愚痴を言いに来て、娘さんに嫌われるだけじゃ無くて、暇人の上に面倒臭いと評判だなんて、隊長さんも大変ねー」


 毎日の様に訪れる噂の小隊長と、そんな会話をしている横にもディジーは居たのだ。隊長さんが帰った後は、いつも微妙な目付きでディジーを眺めてしまって、寧ろどう返せばいいのか悩んでしまう程だった。

 熟々つくづく世の中には面倒な親が多いものだとどこか達観しながら、いつも冒険者協会の暗がりで膝を抱えているディジーに言ったのは、いつの事だっただろう。


「そんな所でうじうじされちゃー、営業妨害よー? 立ち直りの早さってのも冒険者に必要な事だからー、まー、今はやれる事をやることねー」


 そう言って、ガシガシと乱暴に頭を撫でた頃から、少しずつ目の輝きを取り戻していったのだから、少しはディジーの救いになったのだと思いたいものである。


 状況が変わったのは、冬が深まりつつあるあの日のこと。

 漸くにして折れたと言えばいいのか、ディジーの粘り勝ちと言えばいいのか。

 結局隊長さんは、何処か逃げる様に去って行ったが、これが最後の機会とあたしはディジーに言ったのだ。


「外の依頼を受けたければ、自分の口でしっかり伝えてくるこったね」


 それは、あたし達には出来なかった事だ。

 家を飛び出した多くの冒険者達にも、出来なかった事だろう。

 それでも、帰る家を失うというのは不幸であるに違いない。

 そんな想いで口にした言葉だったが、まさか季節を跨ぐ迄時間を掛けるとは思ってもみなかった。

 事有る毎に報告に来る為に、安心はしていたとは言え、


「今日は居間まで潜入してきましたよ! ふぃ~~、これはなかなか手強い任務なのです」


 丸で違う難関に挑んでいる様子のディジーには、苦笑ばかりが漏れてしまうのも仕方が無いのでは無かろうか。

 まあ、あの隊長さんには、色々な意味でいい薬だ。


 とまれ、あたし達の可愛い妹分は、見事に任務を成し遂げて、誰憚る事は無く冒険者としての道を歩み出す。

 本当に貴族として育てられていたあたし達ですら、思わず目を奪われる様な、そんな不思議な優雅さをも併せ持った妹分が、どんな冒険者に成っていくのか。

 他の若い冒険者達の反発は予想外ではあったが、そんなものがディジーを阻む事なんて出来やしない。

 何とも楽しみなばかりじゃないか、と、今日もあたしは冒険者協会の受付から送り出すのだ。






 甘かったと、頭を抱える事になる未来を知らないままに。

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