(1)私は冒険者に成るのです

 デリラの街の南壁に幾つも在る南門の内、冒険者協会からコルリスの酒場、ラルクの鍛冶場と辿った先に在る六番目の門から街の外に出ました。


「今日は何処だい?」

「いつもの所さ」


 顔見知りとなった門兵のお兄さんと、いつものやりとりをして軽く手を振り歩き始めます。

 暫くしてから振り返ると、呆れた様に苦笑して、肩をすくめるその姿が目に映ります。

 これもいつもの事とはいえ、どうにもならない想いに深く深く溜め息を吐くのもまたいつもの事でした。


 腕を覆うのは、鉄片と黒革を編み上げた籠手こてです。鍛えた鋼の板を使った、見た目以上に頑丈な逸品です。

 胴を守るのも、同じく黒革と鉄片による革鎧です。頭から被って、パチリと脇の下で留め金を留めるだけで身に着けられる、工夫を凝らしたこれも逸品なのです。

 その下に身に着けるのは、苦労して鉄線を編み上げた鉄布の胴着。駆け出しの冒険者には勿体無い程の装備です。

 頭を守る黒革の帽子も、鉄布で補強した見事な品なのです。


 でも、情けないのは腰から下のその有り様。

 折角作った鉄布のズボンは、重くずり下がって穿き続ける事は出来ませんでした。なら、黒革で作ればと思っても、黒革はとても硬くてズボンにするには合いません。仕方が無いから膝上までのブーツを黒革と鉄板で作って、スパッツのみでほぼ剥き出しの腿には鉄布の胴着の裾を長めに垂らしました。

 鉄布は全て艶消しの黒染めをしていますから、光って目立つ事は有りませんが、それがまた見た目の印象を加速させてしまうのです。


 革鎧を着て背伸びをした、黒いワンピースの女の子。


 黒いワンピーススカートの様にしか見えない鉄布の胴着の下から、元々着ていたワンピースの裾が見えて、それがまたペチコートの様で遣る瀬無いのです。

 これでは一人前の冒険者として見てくれる筈が有りません。


 ずっと昔から、冒険者になりたいと思っていたのです。

 生まれた時からその気持ちは胸の中にあって、六歳の時からこの装備品の材料を集め始めて、十歳になって冒険者協会に登録して、装備の材料を集めながら街中の依頼をこなしていって、鍛冶場や酒場にも顔を出して、養豚場でも手伝いをしました。そうやって手に入れた鉄屑や黒岩豚の革、黒染め液や色んな廃材、依頼の報酬を使って、一年近く掛けて私がこの手で作り上げたのが、この自慢の装備なのです。

 そしていよいよ街の外に出て、冒険者として活躍するのですとその第一歩を踏み出すその時になって、待ったが掛けられてしまったのです。


『父様も私が冒険者に成りたがっているのを知っていたのに、どうして今になって反対するのですか!?』

『馬鹿を言うんじゃない! 大人になってからならともかく、リアはまだ子供じゃないか!』

『私ぐらいの冒険者なんて一杯居ます!!』

『男と女では体の造りが違う!』

『私くらいなら、女の子の方が体も大きくて力も強いです!!』

『そんな細い腕で何を馬鹿な事を言っているんだ!! いい加減にしなさい!! 私が毎日どれだけの訓練をしているのか分かっているのか!!』

『父様の分からず屋!!』


 滅多にしない大喧嘩のあげく、父様は冒険者協会まで出向いて、私が受けられる依頼に制限まで付けてしまいました。

 街の中だけ。街の外に出るのは禁止。


『あらー。あんた、いいところのお嬢さんだと思ってたら、隊長さんところの子供だったのねー』


 気のない様子で話し掛けてきた受付のお姉さんに、当時は大分苛立ちました。でも、今街の外に出られるのはお姉さんのお陰なのです。リダお姉さんは大恩人なのです。


『ふーん、そうなの? でも、頭ごなしに駄目なんて言っても、駄目ねー。あーあ、かわいそー。大嫌いなんて言われちゃうようになっちゃうんだー』


『あはははは! 子供だからって、大人になっても許してあげるつもりなんて無いのに馬っ鹿みたい!』


『そーねー。子供は心配よねー。子供の冒険者なんて、家を飛び出してきたのばっかりだもんねー。でも、冒険者って皆そんなもんよねー』


『あら? また来たの? 毎日毎日愚痴を言いに来て、娘さんに嫌われるだけじゃ無くて、暇人の上に面倒臭いと評判だなんて、隊長さんも大変ねー』


 砦に勤める小隊長をしている父様は、私とはいつも行き違いになっていたみたいですが、それまでも冒険者協会には度々顔を見せていたようです。軽い調子で遣り込められているのを、受付の隅の暗がりから、何度も見上げる事になりました。

 でも、それからも、私の作った宝物である装備品を取り上げようとする父様との決死の攻防が有ったり、誰も訪れない街壁の中の小部屋を秘密基地にして宝物を隠しては、家に帰るのは夜寝る時とご飯を食べる時だけになったり、それもずっと会話もしなくなっていた父様に家の中に閉じ込められそうになってからは、家に寄り付く事も無くなったりして、結局それからまた一年近く、私は街の外には出られなかったのです。

 冬も深まりつつあるあの日、随分とやつれた様子の父様が、冒険者協会を訪れたあの時までは。


『人捜しを頼みたい。……うちの娘のディジーリア、ディジーリア=ジール=クラウナー。歳は十一。赤毛で瞳は青味掛かった黄色だ。……もう三ヶ月、家に帰って来ない』


 父様は、冒険者協会に入って直ぐ、辺りを見渡していたというのにそんな事を言いました。

 こっそり後ろを抜けて外に出ようと思ったのですが、受付のリダお姉さんが指先と視線でここに居るように告げてくるので、隅に隠れる様に身を縮めたのです。


『あらー……どうしてぇ? 追い出しておきながら、今更よねー?』


 いつもの通りの気の無い様子に見えて、お姉さんの言葉には、何だか見えない棘が有りました。


『追い出してなどおらん! ふざけてないで、依頼を受け付けないか!』


 父様は相変わらずです。暗がりの隅に押しつける様に身を縮めたのです。


『えー? 意味の無い依頼は受けられないなー。迷子でも無ければ人攫いに遭った訳でも無いのよねー?』


 でも、逃げ出さなかったのは、いつも興味の無い様子のお姉さんが、今だけは私の味方で居てくれている様に感じたからでした。


『家出娘の捜索だ!!』


 家出……家出……家出娘……。それは、どうしても受け入れたくない言葉でした。


『違うでしょ? いらないから、捨てたのよねー』

『なにをっ!?』

『冒険者に成らない娘なら居てもいいけど、冒険者に成りたい娘は要らなかったのよねー。……でも、残念。冒険者に成りたがらない娘さんの心当たりは無いから、探せと言われても見つけられないわー、ご愁傷様ー』


 はっとして、見上げた先のお姉さんは、いつになく冷たい視線で父様を射貫いていました。


『前にも言ったと思うけどねー、あたしを含めて冒険者なんてのは、子供の頃に家を飛び出てきた奴らばかりさー。いんや、飛び出てくるしか無かった奴らばっかりだねー。……ま、そんな普通だと裏道に堕ちるしか無い様な奴らに、居場所と仕事を用意するのも冒険者協会の役目って奴さ。ねぇ、隊長さん。一年前ならいざ知らず、今は娘さんは一人で生きていける立派な冒険者さ。下らない要請を受けるのももうここまで。それでも娘さんに帰ってきて欲しいと言うのなら、あんたの家が冒険者に成った娘さんが帰っても安らげる場所なんだっていう事を、明らかにしちゃくれないかねぇ?』


 お姉さんが随分と喧嘩腰だと思いましたけれど、周りの協会員さん達は、誰も気にした様子を見せてはいませんでした。

 黙認? 信頼? 興味が無いというのとは違って、気にしていない風を装っていても、意識はお姉さんと父様の遣り取りに傾注している、そんな気配がしていたのです。

 もしかしたら、お姉さんが言ったみたいに、みんな冒険者は子供の頃に家を飛び出すしか無かったのなら、私が気が付かなかっただけで、皆、私の味方でいてくれたのかも知れません。


『ち、違う! 私はリアを心配して――』

『隊長さん、駄目だねぇ。何を言っても冒険者に成る娘は要らなかったと言っている様にしか聞こえない。心配なら、街の外の事を教えるなり、戦い方を見てやるなり、隊長さんなんだから一度一緒に森の浅いところに行ってみるなり有っただろうに、あんたのやったのは娘さんを否定する事だけだろう?』


 私にとっても泣きたくなる様な辛辣な言葉に、言葉も無い父様。


『さぁ、やり直しだ。隊長さん、あんたにとって娘さんは何だい?』

『む……娘は、私の宝だ』


『じゃー、冒険者に成る娘は?』

『冒険者でも……娘は、私の宝、だ』


『じゃー、何でその娘の望みを否定する事なんてしたんだい?』


 父様は答えられませんでした。

 でも、冒険者協会の扉を開けた時の様な、歯軋りしそうな苛立ちはもう感じられませんでした。

 どこか、戸惑う様に手を彷徨わせていました。


『まー、考え違いしてましたってんならそれでもいいさ。謝り倒したところで許して貰えるもんでも無いだろうがね、精々なだすかして機嫌を取ってやれば、帰って来る事も有るんじゃないかねー。――ほら、そんな風に』


 じっと見つめるお姉さんの目と指は、いつの間にか隅の暗がりから出て父様に近付いていた私に向けられていました。

 振り返った父様と目が合います。手を伸ばされて、さっと飛び退すさって、近くで様子を眺めていた冒険者の小父さんの後ろに隠れました。


『リア? ……リア!? ど、どこだっ!?』


 父様は、何故かあたふたと辺りを見回していました。

 笑い転げていたお姉さんが、涙を拭いながら言いました。


『ははは……娘さんは、まだ帰りたくないとさ。――見ての通り、一年捜索の手を逃れた実力は本物。冒険者のランクで言えば、依頼達成の実績込みで十二番目の神泉ルルカリス。王国法でも一人前扱いの地位さ。元よりもう何処へ行こうとどんな依頼を受けようと制限なんて出来ないんだから、早いところ心を改めるのがいいかもねー』


 と最後はいつもの通りのやる気の無さげなそんな遣り取りで、お姉さんはこんがらがった私と父様の間の事柄を、少しほぐしてくれたのでした。


 結局の所、『いつでも帰ってきていいのだからな』と多分冒険者協会に来た時に思っていただろう事とは違う事を誰にとも無く口にしてから父様は帰っていきました。


『父様は、どうしたのでしょうか』

『ははは、ディジーが見事に隠れたから、見つけられなかったのさ。ほんと、隠れん坊の天才だねー』


 そう言って、いつになく優しい感じで、リダお姉さんは私の頭をがしがしと撫でくるのでした。


『まー、ああは言ったけど、自分の口から街の外に出る事を伝えられない様な子を外にだすのもねー。……外の依頼を受けたければ、自分の口でしっかり伝えてくるこったね』


 それから、家にいる時には大きな家だと思っていたのに、忍び込むとなると小さな家の偵察に二日。居もしない私の為の食事が今も並べられていて、少し泣きそうになりました。三日目のお昼ご飯の席にこっそりと潜り込んで、ただいまといただきますをして、母様と一緒にぽろぽろと泣きました。何度かそういうことをして、父様の居ない日にお風呂に入って皆の寝室で母様に抱えられながら二人の兄様に挟まれて寝て、そうして父様の前で街の外の依頼を受けると宣言出来たのは、もう春の足音が聞こえ始めていた頃でした。


『ふーん、そう。良かったんじゃない? でも、依頼は採集系からよ。講習も忘れず受けること。…………あと、ディジー、記憶持ちでしょ。記憶持ちは真っ先に死んでいくんだから、慎重に慎重を重ねないと駄目よー』


 お姉さんに報告に来た冒険者協会の受付で、ついでの様に付け加えられた言葉に戸惑いました。


『記憶持ちって……冒険者に成りたいっていう事と、鉄の打ち方ぐらいしか分かりませんよ?』

『それだけで充分よー。寧ろ当てに出来ない記憶なのに、無意味な自信を持って突っ走っちゃったりして、一番危険かなー。……お願いだから、お姉さんのお仕事増やさないでねー』


 誰しも神々が司る輪廻の営みの内に生まれてきますが、前世を憶えている人は多くは有りません。しかしそれでも或る程度記憶を残している人が居て、そういうのは記憶持ちと言われていました。

 冒険者協会ではそんなことは一言も言った覚えは無いのに、やっぱりお姉さんには敵わないのです。

 でも、うっすらと残る記憶は、冒険者に成りたがっていた女の子だったということくらい。鉄の打ち方も誰かに教わっていた様に思いますけれど、間に人間以外の一生が一つ挟まっているかの様に、酷く遠い印象でしかないのです。

 ですが、お姉さんは私の大恩人なのです。


『はい! 分かりました!!』


 さっ、と右手を上に挙げて、しっかりと返事をしたのでした。


 そうして本当の冒険者としての一歩を踏み出す様になった私ですが、『低ランク者は森の深部には入らず、何か異変を感じたら直ぐに森を出て逃げろ』なんていう身も蓋もない講習を終えた私を待っていたのは、誰もパーティメンバーになってくれないという厳しい現実でした。

 街の中の依頼では時々一緒に行動していた同じ年頃の冒険者仲間にも、既に面倒な紐付きの道楽者と認識されてしまっていて、年上の冒険者からは子守扱いされてしまうのです。それだけならまだしも、巡回の兵まで使って私を捜していたらしい父様が、冒険者に投げ付けていたらしい酷い言葉の数々の所為で、どうにも私を巡っては微妙な雰囲気が漂ってしまっていました。父様への恨みが募るばかりなのです。


『あー……ディジーはソロでいいんじゃない? パーティとか、ディジーの持ち味を殺してしまいそうだし。ディジーは隠れん坊の天才だから、隠れていたらどうとでも出来るわねー。…………目の前に居ても見失う『隠形』とか『隠蔽』とかどんだけよー……』


 後の方で何を言っているのか分からない、リダお姉さんにしては珍しい死んだぼそぼそ声でしたが、お姉さんのお墨付きを貰ったので私は暫くソロで活動する事にしたのです。

 パーティを組んで、ソロでは出来ない難局を乗り越えるなんていうのに憧れは有りましたけれど、一人の方が気楽だと思っていたのも確かなのですから。


 そうして街外の活動を始める様になって数日、周りから向けられる視線のおかしさに気が付くのは直ぐでした。

 その頃の私は、可愛らしいワンピースを普段着にしていました。父様から強要されてだったなら拒否していたと思いますけれど、涙を目に溜めた母様に迫られては否とは言えませんでした。それに、鉄布の胴着の下になれば何を着ても同じと考えてしまったのも、一因と言えなくも有りません。

 父様から暴言を吐かれた人からの悪意も混じっていたのかも知れませんが、本の数日で私は何の事情も知らない人からも、『冒険者|(ごっこ)の女の子』との認識を持たれる様になってしまっていたのです。


 そうなってしまうと、今更ワンピースをズボンにしたところで意味は有りません。今までもワンピースの下にスパッツを身に着けていて、装備を着込めばスカートだろうとズボンだろうと見た目は変わらないのですから。

 私は母様の気持ちを優先して、ワンピースを着続ける事にしたのです。


 それにしても、門兵のあの生暖かい様子や、街の人の微笑ましいものを見る様子は、何とかならないのでしょうか。冒険者の多くからは見守ってくれている様な気配を感じますが、一部の冒険者や同年代の仲間からは苦々しい視線を感じるのです。そういうのには出来るだけ近寄らない様にしていたのですが、もしかしたらお姉さんの言う隠れん坊の才能が利いていたのかも知れません。


 苦い気持ちを呑み込んで、私は南へ顔を上げました。

 さぁ、これからは楽しい冒険者の時間なのです! と。

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