台本はこれでいくことに決まった

 藍沢さんは桜庭会長に台本を読ませるのを渋った。

 しかし渡さなくても従妹である七尾先輩の手にあるそれを覗き見るだけなのがわかって、結局、残部の一つを渡した。「公演まで口外禁止ですよ」と藍沢さんが釘を刺すと「おいおい、まだ公演できるか決まっていないだろ。うん?」と余裕の笑みを浮かべて受け取る会長だった。

 無表情を貫く藍沢さん。七尾先輩が「刺激するなって言われたでしょ」と睨み付けていた。


 先輩たちが読んでいる間、私は登場人物一覧と彼らを照らし合わせ、誰が誰を演じるのかに思いを巡らせていた。

 そうは言っても、名ありで出番が多い役はハル・ナツ・アキ・フユの四人しかいない。劇中、ハルと死別しているナツは、プロット段階では冒頭部分の雪山のシーンのみであったのが、途中で回想シーンを挟んだことで出番は多くなっている。

 終盤のみ登場する予定だった妖怪の専門家たるアキについても、中盤で一度登場させているようだ。いきなり出すよりはそのほうが自然ということだろう。

 

 中心となるのは、ハルと雪乙女であるユキのやりとりであるのは変わらない。

 でも二人の会話だけで成立させる、より正確に言えば観客を楽しませる、魅了するのは難しい。ユキは、あたたかな心を取り戻したいと求めるハルのために、いくつもアイデアを出す。そこにはたとえばエチュードも含まれている。ユキと再会したときには憤慨し、警戒していたハルであるのに言葉巧みにユキにまんまと乗せられ、あれこれと演じてしまう。それができれば友達ができる、みんなと仲良くなれると言われて。

 

 残りの端役については、ハルのクラスメイトが数名といったところだ。


「雪山、か」


 読み終わって、他の誰の顔色も窺わずに、そう呟いたのは福田先輩だった。


「礼司、まずそれか? まさか最初の場面しか読んでいないってことないよな」

「読んだ。自分が協力できる部分を考えたら、雪山だ。ステージいっぱいに広げて、見栄えのする書割。雪景色。むしろ吹雪か。やりがいのある仕事だな」


 福田先輩の眼光が鋭くなった気がした。獲物を見つけた猛獣みたいだった。

 そんな彼に藍沢さんが声をかけた。私と違って、藍沢さんは最初から読んでいる皆を観察していた。反応をじっくりと眺めていたのだ。


「福田先輩、それはつまりわたしが書いてきたこの台本で、舞台作りに参加してくれるいうことですね」

「他に台本があるなら読ませてくれ。だが、今はもう雪山を描く気になっている」

「他はありません。どうぞ、その腕と筆を存分に揮っていただければ幸いです。大助かりです。紙吹雪でも散らしたい気持ちです」

「なるほど……実際に吹雪かせるのもありか。書割だけでは味気ないかもしれないな」

「いえ、そういう意味では。ん、ん。部長、どうですか」


 今度は、読み終えている部長に問う藍沢さん。部長は「まぁ、そうだな」ともったいつけて腕を組む。


「俺の好みとしては、もっと大勢でしっちゃかめっちゃかやりたいってのはある」

「そんな人数いないですよ」

「わかっている。この『雪乙女』は早い話、少女の再生の物語で、そして出会いと別れの話だ。ハルとフユの演者がいかに心打つ観る者の演技をできるかどうかがほとんどすべてだ」

「でしょうね」

「勝算があるとみていいんだな」


 部長は藍沢さん、そして私を交互に見やった。


「木下部長をはじめとして、みなさんが協力してくだされば充分にあると思います」

「藍沢にしては模範的解答じゃない」


 キャシー先輩が台本から顔を上げる。

 目つきは相変わらずだが、口角は上がっていた。


「プロットでは掴めなかった、台詞回しをどう仕上げてくるのか期待半分、不安半分だったけど、及第点ってところね」

「合格ラインには達しているということですね」


 キャシー先輩の素っ気ない調子に、藍沢さんは何食わぬ顔で返す。すると「ま、そういうことよ」と先輩は心なしか照れたふうに頬を掻いた。


「音として発するのを、ようは観客に聞かせるってのをもっと意識してほしいかなって台詞がいくつかあるわ。いくつか、だけ。あとは悪くない。

 ハルの感情の移り変わりだけじゃなくて、フユの心が揺れているってのがいいわ。ラストシーンにつなげるためには、一貫してつかみどころのないキャラだと困るからね。部長は再生って言葉を使ったけれど、それ、フユにもある意味当てはまるわけだから」


 得意気に話すキャシー先輩に宮尾先輩が「なるほどねぇ~」とにこにこしている。ああ、いつもの穏やかな雰囲気だ。安心する。

 照井さんも私も、先日の段階で台本に納得しており、既に協力するつもりでこの場にいる。


 残るは……七尾先輩、そして桜庭会長の反応。最悪、後者は無視するのだろうか。 

 あの藍沢さんがもし仮に理不尽な批判を受けてそのまま黙殺というのは予想しにくい。ううん、そもそもそんな態度をとられるような台本ではないと思う。

 プロ顔負けなどと手放しで称賛できずとも、でも、この台本は藍沢さんの独りよがりの産物ではない。彼女ができる限り、事細かに舞台を作る面々に道を示そうとしているのが、その文字列からわかる。

 そういう意味で、私がたとえば図書室で独りきりで読む小説とはまるで違う。

 

「七尾先輩、ご意見を聞かせてもらってもよろしいですか」


 藍沢さんのその言葉で他の皆も、七尾先輩へと視線が行く。


「ごめんなさい」

「えっ」


 つい声を出してしまったのは私だった。藍沢さんではない。彼女は七尾先輩の話の続きを待っているだけだ。


「ああ、そうではなく。今、謝ったのは勘違いしていたから。花恋ちゃんは大口叩くだけの小さな女の子だと思っていた。でも、ちゃんと書いてきた。あっと驚くような傑作ではない。字を追うだけで感動が押し寄せるほどの名作ではない。それでも、そうね、素敵だと感じた。本当よ。綺麗なお話ね。皮肉ではないわ。こういうのは好きなの、個人的にも。これを舞台として上演する、ここにいる人たちで力を合わせて、というのは……いいと思う。協力するわ、演劇部員として」


 淡々と言い切ると、七尾先輩が「これからよろしくね」と頭を下げた。上がったその顔に浮かぶはにかみに私は安堵する。これで演劇部全員の支持は得られた。


「今気づいたけど、ナナちゃんってシノちゃんと話し方似ているんだねぇ」

「似て非なるものですよ。篠宮さんのほうには、私にへの愛がありますから」

「言いがかりはよしなさい」

「なるほどねぇ~」

「あ、あのっ!」

「どうした、照井。トイレ?」

「ち、ちがいますっ」


 キャシー先輩のデリカシーの欠片もない問いに、照井さんは否定する。そして皆の注目を受けて恥ずかしそうにしつつも、続きを言う。


「か、会長はどう思われたのかなって」

「ん? ああ、ボク? 言っていいの?」


 とぼけた様子で桜庭会長は自らを指差した。七尾先輩が目を細くしている。


「藍沢、ここは部長として言っておくが、こいつの意見を聞いておいても損はないと思う。むやみやたらに誹謗中傷する人間でないってのは知っている」

「残念美人だけれど、頭がいいし、劇そのものに関心はある人よ」

「木下も海美もそう褒めるなよ、照れるじゃないか」


 そんなに褒めてはいないのでは? とはいえ、信頼はしているふうだった。


「木下部長も七尾先輩もわたしを見縊らないでください。『雪乙女』は既に演劇部の台本です。照井さん含めて、みなさんがそこにいる人の意見も聞いておきたいと言うのなら、それをわたし個人が拒む権利などありません」


 藍沢さんはそう口にして、姿勢を正して座り直した。

 そんなわけで、(美術室に?)帰りたそうにしている福田先輩を以外は、桜庭会長が話しだすのを待った。


「ねぇ、花恋。これアキって男役みたいだけれど木下か福田が演じるのを想定しているのかい?」

「ええ。十中八九、部長でしょうね」

「ああ、そう。でも、もともとのキャラを女性にしてもいいんじゃないか?」


 ありそうでなかった切り口だった。妖怪の専門家アキは、他のキャラと違って年齢設定は高めであるし、その立場というのは学校とは無関係、そういうこともあってハルやナツとは異なる属性、ここでは男性が与えられている。それが合理的であるよう思えた。


「何が言いたいんですか」

「そんな睨むなよ。怖いじゃないか。べつに文句って話じゃなくて。部の男女比率からしても、アキはミステリアスな女性でもいいかなって。そう思ったのさ。たとえば、君以外の一年生のどちらか」


 えっ、と顔をしたのは照井さんだった。自分で会長に話を振っておいて、自分に話が戻ってくるのは想像していなかった彼女だ。


「そうだね、うん。君なんかいいよね。長身で、雰囲気出るし。まぁ、たとえばの話だよ。ボクは演劇部じゃないし。さて、それよりも重要なのは…………海美」

「なに」


 今度は私? と七尾先輩の目が言う。


「ハルって海美にぴったりだね」


 緊張が走った。特に宮尾先輩、照井さん、そして藍沢さんに。

 私は遅れて、会長が言っている意味を理解した。彼女はハルを七尾先輩に演じさせたがっている。たった一言、それだけなら単なる思い付き、フィーリング、台本を読んだ印象で済ませればいい。


 けれど、でも、それでも確かに会長は七尾先輩を選んでいた。

 主人公のハルに。私ではなく。

 会長は私のことを知らないから、というのがどこまで正当性を有するか不明瞭だった。

 

 この場にいる他の誰かも同じふうに考えていたのだろうか?

 不意に、そんな思考に駆られた。

 ハルに相応しいのは、私とは別にいる。そう思って読んでいた?


「オーディションよね」


 そう口にしたのはキャシー先輩だった。


「えっ、で、でも、先輩! だって、ほら、ハルは元々……」


 慌てる照井さんだったが、そんな彼女が目に入っていない、声は聞こえていないように、キャシー先輩が私をまっすぐ見据えてきた。


「篠宮、あんたはどう思う? 配役。あたしはオーディションを行うべきだって思う」

「キャシーちゃん……」

「うん? どうしてこんな妙な空気なんだい? 木下、説明してくれないか」

「ここで俺に振るのかよ。あー、えっとだな、その……藍沢。パス」


 全員が藍沢さんを見た。

 本来、すぐにでも何か言いそうな彼女を沈黙していることに、やっと私たちは気づいた。彼女は私を見る。じっと、見つめてくる。そして微笑んだ。


「篠宮さん、わたしは信じていますから。ですから――――負けないでください」


 かくして配役オーディションの開催が決定した。

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