観賞会のシーンはカット

 土曜日に照井家にてアニメ観賞会を開いた。

 私と藍沢さん、そしてもちろん照井さんの三人で。  

 

 話は昨日に遡る。前回までのあらすじってやつね。


 私たちは不登校である照井歌織さんの自宅にお邪魔して、彼女に登校してもらえるように説得を試みた。少なくとも私の考えでは、教師たちが私に求めた役割はそういうものだった。それに対して、ついてきてくれた藍沢さんとしては、初めから演劇部の公演に彼女を協力させようとしていたのだった。照井さんはもともと演劇部に席を置いている人間なのだから、それは間違っていない。その理屈もわかるのだが、そうは言ってもああいう話し方は私にはできない。

 

 理路整然としていなくても、いわゆる「藍沢節」には不思議な力があると認めてあげてもいいのかもしれない。現に照井さんは、藍沢さんの作戦によって彼女が好きなアニメを語りはじめるという結果をまんまと誘発されたのだった。

 

 照井さんの周りには――――それが合唱部の部員たちであるのが彼女の話しぶりからわかった―――――彼女が好きなアニメを視聴している人はおらず、むしろそうしたアニメに嫌悪感を抱いている人がいたそうだ。それが揉め事に繋がった。

 揉めるも何も、一方的に照井さんが傷ついてしまったみたいだが、その詳細を語りはしない彼女だった。私たちの側としても、誰々が照井さんの趣味を嘲笑い、拒絶したかなど知らなくていいと思っている。彼女が話したくなったとき、聞いてあげればいい。

 

 そんなわけで、水を得た魚が如く、私たちにアニメの話をこれでもかとし始めた彼女であったが、話し終えるとその顔に絶望が浮かんだのも確かであった。

 気持ち悪がられたらどうしよう、とその顔に書いてあった。けれど藍沢さんは「好きなものについて話している照井さんは素敵ですね」とまっすぐに言った。

 私では、ああも誠実な調子で口にできるか怪しい。

 

 藍沢さんの言葉に照井さんは赤面し、涙目にさえなって感謝の意を述べた。そうして、昨日は夜遅くなるまで主として藍沢さんと照井さんの間でそのアニメに関する話がなされた。私はというと、適当に相槌を打ちつつ、紅茶を啜って、形だけでも二人の話に耳を傾けていたのだった。

 だから、と繋いでいいかわからないが、藍沢さんが「よければ、明日にでも観賞会を開きませんか。いいですよね、篠宮さん」と提案したとき、よく考えもせずに肯いていたのだった。照井さんはぱっと笑顔になって、それならと彼女の家で観賞会を開く段取りになったのである。


 照井さんにではなく、まず私に同意を求めたあたり、藍沢さんは私が話半分で聞いているのを察していたのだろう。

 

 そうして照井家から出て、駅へと歩きながら私たちは話した。


「わたしも照井さんも、篠宮さんに『セブンスディーヴァ』の魅力を知ってほしいんです」

「そんなに面白いの、それ」

「今年の冬に第三シーズンが放送開始される予定がある程度には人気コンテンツですね。わたしはしていませんが、ソシャゲもリリースされていますし。コミカライズ展開も」


 中学一年生のときに第一シーズンを視聴して、それに感化されて台本を書こうとした経験もあるのだという。思い返してみれば、例の六つのプロット。そのうちの一つは、歌姫が登場する物語だった。そのアニメから発想を得た部分もあるのだろう。


「詳しくは明日のお楽しみですね。改めて確認しますけれど、明日来てくれますよね」

「ええ、行くわよ。照井さん、楽しみにしているって笑っていてくれていたし」


 ああいう色白の幸薄顔の女の子が興奮で顔を赤くして、マシンガントークをするのを見聞きするのは、私にとっては初めてで新鮮だった。当分、忘れられないな。


「山を張った甲斐があったというものです」

「山?」

「川」

「合言葉じゃないわよ。ん? もしかしなくてもあのときの台詞の件よね」


 藍沢さんが長々とした引用したあの台詞。


「夜の女王の台詞です。事前に照井さんがどのアニメをどれだけ好きかって知りませんでしたから、調べ直して覚えるの大変でした」


 得意気に藍沢さんは。駅はもうすぐそこだった。


「いくつか候補があったってこと?」

「それはそうですよ。今日日、演劇や歌劇、オペラ、アイドルその他諸々、夢見る女の子が大舞台に憧れるようなジャンルのアニメなんてたくさんありますから。照井さんと話した四月のことをどうにか思い出して、三つまで絞り込みましたけれど、わたしが視聴したことがあるのは『セブンスディーヴァ』だけだったんです。彼女はわたしの何倍も入れ込んでいるようですが」


 藍沢さんはグッズを買っていないし、なんだったらブルーレイディスクだってもっていないらしかった。よって、明日のアニメ鑑賞は専ら照井家の設備を利用する。


「運がよかったのね。あの時、私だけじゃなく彼女も何の台詞かわからなかったら、変な空気になっていたもの」

「いえ、あの時点では確信していました」

「そうなの? どうして」


 私が察知不可能な、そのアニメを知る人間であれば気づくサインがあったのだろうか。思いつかない。彼女の部屋に入っていたら、たとえばポスターでも貼ってあればわかる。でも、藍沢さんはずっと私の隣にいた。お手洗いにも行っていない。玄関にもリビングにも、アニメグッズらしきそれはなかった。


「ふっふっふ、篠宮さん、悩んでいますね」

「いいから、答えを早くいいなさいよ」

「ずばりティーカップですよ。調べ直したときに、『セブンスディーヴァ』のコラボ商品としてティーカップが発売されていたのを知ったんです」

「えっ? じゃあ、あのティーカップがそうだったの?」


 あの印象的な模様の入ったティーカップ。なるほど。そういうのもあるのね。

 紅茶は美味しかった。ベリー系のフレーバーティーで、上品な味わいかつ飲みやすかった。


「あのティーカップに気づいたから、あの台詞を言うのに踏み切ったんですよ。あ、篠宮さん、ひょっとしてアニメのコラボグッズって全部キャラクターやロゴがでかでかとプリントされているイメージないですか? 偏見ですよ、それ」

「そう言われても……」

 

 彼女に無知をなじられようとは。少女漫画原作のアニメを観ることもあるんだけれど、基本的にアニメを観ない。中学生の時は、恋愛ドラマを観ていないことで友人たちの話に加われないときもあったが、アニメを観ていないでというのはなかった。


「しかたありませんね。今度、ええ、今度こそ時間を見つけてアクセサリーショップでも行きましょう」

「は? どうしてそうなるのよ」

「そうですね、たとえばネックレスやブレスレットがいいですね。藍色の何かを身につけてください。藍沢コラボグッズです」

「えぇ……?」

「篠宮さんにいつもわたしを感じていてほしい……ってのは、さすがに気持ちが悪かったですね。忘れてください。わたしはそうします。さて、わたしはこのあたりで」


 自分で言ったくせに無恥とはいかなかったのか、さっさと改札へ向かっていく彼女を「待ちなさいよ」と呼び止める。ぴたりと足を止め、振り向いて数歩戻ってくる。


「今日はありがとね。私一人だと、うまくいかなかったわ。ぜったい」

「そうでしょうか。まだ彼女が登校できるかどうかわかりませんよ」

「まぁ、それはそうだけれど……」

「真面目な篠宮さんだったら、彼女の家に何日か通って、ようは正攻法で彼女を学校に来させていた気がします」

「時間をかけて対応していたとは思うわ。誰かさんみたいに、いきなり長々とトラがどうだの、なんだのと話はできないし」

「ん、ん。それはそれとして、このわたしに感謝してやまないということであれば――――」


 また藍沢さんは私に近寄った。この子は間合いの詰め方を心得ている。避けられない。あまりに自然と、距離を詰めてくる。小柄だからこそできる芸当なのか。


「どうぞ」

「いや、なにがよ」

「撫でてください、頭」

「いいの? 子供っぽくて嫌じゃない?」

「いいんです。篠宮さんにだったら」

「…………馬鹿」


 なによそれ、と私は思いながらも藍沢さんの頭を撫でた。軽く。その髪を整えるかのように。周りからはそう見えるように。どうして彼女がそれを求め、私はそれに従ってしまったのか。前に観劇の終わりに、軽く撫でた。それは事実だけれど、そのときは衝動的で、ただそこに頭があったからで、だから今とは違う。

 彼女が私に頭を撫でられるのを求めて、それに応える。親しい友人間であれば、なんてことない一場面。わかっているけれど。なぜだか、変にドキドキしてしまった。そんなわけで、馬鹿なのは私で彼女ではないのだ。深い意味なんてないのだから。ドキドキしてんじゃないわよ、と自分に言い聞かせた。


「勘違いしないでいただきたいのですが、子供扱いしてほしくはないですよ」

「へぇ」

「興味なさげですね」

「顔、緩んでいるわよ。珍しく」

「篠宮さんのせいですよ。嫌よって断られるかと思いきや、撫でてくれるんですから」

「あんたが言ったんでしょ。押しに弱いって」

「他の子にはしないでくださいね。えっと、キャシー先輩とか」

「しないわよ。できないって。どんなシチュエーションよ」

「劇中かもしれません」

「え?」


 すっと藍沢さんが私から離れる。


「台本は順調に書き進められています。何度も言うのもあれですが、この台本が仕上がってからが本当のスタート地点です。けれど、篠宮さん以外の配役というのも、わたしの中では決まりつつあります。あったのですが……照井さんという伏兵によって、良くも悪くも選択肢の幅が広まりました」

「つまり?」

「篠宮さんとしては、雪乙女役は誰がいいと思いますか。あなたの相方となる役です」

「相方、ね」

「ええ、そうです。キャシー先輩か、照井さん。はたまたあの人か」

「あの人?」

「台本早く書き上げないとですね。そして全員で作るんです。舞台を。引き続き、体幹トレーニングやボイストレーニングお願いしますね」

「う、うん」


 そして藍沢さんは改札の向こう側へと消えた。何秒間か立ち止まっていた私もそこをくぐる。彼女とは違うホーム。

 

 どっちなのだろう。

 まだ見ぬ演劇部員は二人。一人は名前を聞いている。美術部兼部の福田先輩。そしてもう一人、生徒会所属の部員。でも「二人のうちのどちら?」という意味ではない。だって福田先輩は男子で雪乙女の候補に入らないだろう。美少年と呼ばれる子ならともかく、藍沢さん曰く筋骨隆々なのであるし。

 そうではなく、意味深な態度をとってみせた藍沢さんだが、それが冗談や誇張なのか、それとも真に素性を隠す意味のある人物なのかどうかということだった。


 私は電車内で文庫本を取り出し、文字に目を滑らせつつ考えた。

 もしもこの展開が小説だったらと。

 最後に登場する部員は波乱を巻き起こすだろうなって。

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