第4話 未練を話し合おう

「……ヒマワリか」


 夏花ちゃんの家を後にして、道を少し歩いてからカイが口を開いた。


「えっ?」

「あの子どもが好きな花だ。さっき話してただろ。聞いてなかったのか?」


 カイの表情が戻り、人を小ばかにするような目つきで言う。


「オレはその時お参りしてたから。後ろの話なんて聞いてなかったよ」


 そう言うと、カイが驚いたようにこっちを見た。


「へぇ、真面目にやってたんだ。おれは数珠なんか渡されて、気分最悪だったけどな」


 口元が小さく笑っている。その顔を見て、胸が冷たく締め付けられる。悪魔、いや、カイのこういうところがオレにはまだ理解できない。


「ちょっと待ってよ! いくらなんでも、それは不謹慎じゃない?」


 オレはカイの肩をつかんで立ち止まった。カイも足を止めてこちらを見る。道の端で、オレたちは向かい合った。


「お母さんの表情を見て、カイはなんとも思わないの? オレたちよりも小さい女の子が亡くなったんだよ? 残されたお母さんの気持ちに、ちょっとでも寄り添ってあげたいって思わないのかよ!」

「生きている者は必ず死ぬ。早かれ遅かれ、それは当たり前の現象だ」


 カイが言った。落ち着いているけれど、低く、胸に響くような声。真っ直ぐな黒い瞳が、揺れるオレの青い瞳を映している。


「おれたちの仕事は、死んだ者の未練を晴らすことだ。生きている者を慰めることじゃない。第一、さっき会ったばかりのおれやお前に、あの家族の何がわかる」

「それは……、そうかもしれないけど……」


 口ごもり、手をぎゅっと握った。カイの言っていることは間違ってはいない。オレはただ、女の子の記憶をちょっとのぞいただけ。赤の他人が土足で踏み入れて、掛ける言葉なんてないのかもしれない。


「でも、だからって悲しんでいる人を放っておくなんて、オレはできない。ましてやそれを見て笑うなんて、そんなカイを見るのも、オレは嫌だよ。確かに未練晴らしの目的は、死んだ者の未練を晴らすことだよ。けど、それをすることで、生きている者の気持ちを救うことにもつながる。オレは、そう信じてるから」


 生きている者は、死んだ者が未練を晴らせたか、三途の川を渡れたかなんて知るよしもない。けれども、せめてオレたちが未練を晴らして見送ってあげられたのなら。夏花ちゃんがこの世に満足して安らかに旅立つことができたのなら。お母さんや残された人たちの痛んだ心を、少しでも救えるかもしれない。

 勝手な妄想と言われるかもしれない。けれどもオレは、そう信じている。


 カイはじっとオレの瞳を睨んでいた。そして、ふっと息を吐く。


「救済か……。天使が好きな言葉だな」

「悪い?」

「別に。お前の考えはわかったし、否定するつもりもない」


 カイはそう言って、手をこっちに伸ばしてきた。


「ただ、いちいち仕事に私情を持ち込んで深入りするのは止めろ。身が持たなくなるぞ」


 額を軽く小突かれる。痛くはないけど、びっくりして一歩後ずさりしてしまう。そんなオレをよそに、カイはまた歩き出した。


「それに、残された人を救いたいなら、まずはあの子どもの未練を晴らして川を渡らせるのが先決だ。今はそれに集中しろ」

「カイ……」


 カイがさっきの言動を反省しているかはわからない。けれども、オレの話をちゃんと聞いてくれた。それに目的は、変わらず同じだから。


「うん!」


 オレはカイの後を追って、駆けて行く。


「それで、今からどこに行くの?」

「病院だ。答えはわかったが、念のため見に行く。ここから近いんだろ?」

「うん、記憶ではそんなに遠くなかったと思うよ」

「なら、早く行くぞ」


 カイが走り出す。速い。


「ちょっと、待ってよ! 道わかんないくせにー!」


 オレもまた後を追って走った。太陽もだいぶ高くまで昇っている。小学生だろうか、元気な声も聞こえてくる。温かい風に背中を押されながら地面を蹴っていった。



   *



「やっと着いた……」


 病院の前までようやくたどり着き、切れた息を整える。

 近くにあると思っていたけど、よくよく考えると行き方がわからずにいて歩くことにした。カイがお母さんから病院の名前を聞いていたから場所はすぐにわかったけど、隣町のしかもはずれにあるとは……。


「お前の近くは飛行一時間も入るのかよ」


 カイからの痛いお言葉。返す言葉が見つからない。


「ご、ごめん……。いやー、車で行く記憶しかなかったからてっきり近くかなと」

「……」


 カイが横目でオレを見る。無言の圧力。また文句を言われるんじゃないかと焦ったけど、カイの目線が玄関へと移る。


「ま、病院も今開いたところみたいだし、ちょうどよかったのかもな」


 ふたりでいったん物陰に隠れて翼を消し、入り口へ行く。自動ドアが開き、いよいよ潜入! というところで。


「お前はここで待ってろ。おれひとりで訊きに行く」

「えっ、なんで? 一緒に行こうよ?」

「黙れ。ついで役のお前がいると怪しまれるんだよ」


 カイがそう言って、ひとりで中に入ってしまった。

 仕方なく、ここで待つ。ガラスの向こうでカイが受付の人と話をしている。


「もしかして、またうそ吐いてるのかな……」


 ぽつりと言葉が漏れた。

 そうしないといけないのはわかっている。さっきだって、カイがいなかったら、家の前で不審者扱いされていただろう。

 何もできなくてカイに頼っているオレ。そのくせ、きれいごとで嘘は良くないと非難しているオレ……。


「あー! 何やってるんだろう、オレ!」


 自動ドアの前でいきなり叫んでしまったせいで、近くにいた人が驚いてこっちを見た。は、恥ずかしい……。何やってんだよ、オレー!


 そこにいるのも気まずくなったから、外へ出て病院の周りを歩くことにした。裏にまわると広い庭があった。夏花ちゃんの記憶にもあった気がする。庭の真ん中に大きな花壇があり、色とりどりのチューリップの花が咲いていた。春だからなぁ。


「あれ、春……?」


 さっきカイが言っていた、夏花ちゃんが見たいのはヒマワリだったよな。


「まだ春じゃん!」


 ヒマワリは夏に咲く。それくらいは知っている。


「しまった! まだ春なのにヒマワリって、どこにも咲いてないよ!? どうしよう!?」 

「うるさい。何ひとりでわめいてんだ」


 頭を抱えてうろたえていると、後ろから声が聞こえた。振り返るとカイだった。両耳をわざとらしくふさいでいる。

 って、大変なんだよカイ!


「まだ、まだ春なんだよー!」

「そうだな……って、バ、バカ、寄るな!」


 詰め寄るオレを手で押さえながらカイが言う。そう冷静にしている場合じゃないんだって!


「どうしようカイ! ヒマワリまだ咲いてないよ! 夏に咲くものでしょ、あれ?」


 頭を抱えるオレをよそに、カイが冷たく言った。


「大きめ花屋だったら、夏の花でも売ってるだろ」


 はっ、そっか。困っていたのはオレだけかよ。は、恥ずかしい……。

 それにしても、さすが人間の科学力。確かこういうの、なんて言うんだっけ?


「品種改良だろ?」

「だから、勝手に心を読むな!」

「悪い、悪い」


 カイが吹き出すように笑った。オレも怒りたかったのに、つられて笑ってしまう。

 カイが建物のほうを見る。そういえば、大きな病院だ。たくさん並んだ窓の一つを、カイは指差した。


「あそこが子どものいた部屋だ。十階の、端から二番目の部屋」


 それからカイが、聞いてきたことを話し出した。


「やっぱりヒマワリが好きだったらしい。『夏になったら大きな花がみたい』ってよく言ってたみたいだ。この病院、生花の持ち込みは禁止らしいから、見舞いに来るやつはみんなプリザーブドフラワーを持ってきていたらしい。ただ、あんまりたくさん持ってくるから、病室が花だらけになってたそうだ」

「そうなんだ。本当に夏花ちゃん、花が好きだったんだね」


 三途の川にいる夏花ちゃんのことを思い出す。花が大好きな女の子は、あの病室でどんな想いで、どんな生活をしていたのだろう。窓を見つめていると、カイが呼んだ。いつの間にか先に行っている。


「おい、行くぞ! 近くに大きめの花屋があるらしい」

「うん! 今行く!」


 そう言ってオレは空を仰いだ。真っ青な空のうえに、点々と白い雲が浮いている。


「もうすぐ持っていくからね。君の大好きなもの」


 温かい風が吹いた。それに乗ってオレはカイを追い駆け、病院を出た。

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