第45話「謎の女、アナベラ・ニトー」
”最近はなんなんだ! 抗議の電話が来たからあれを直せこれを止めろって。クライアントは俺たちを守る気ねーのかよ!”
”とある劇作家の愚痴”
Starring:ウリウス・オッター
同時刻、ランカスター南地区、正門
一台の高級車が、城壁を越えた。大通りを進むタウゼント製蒸気自動車の姿に、人々は羨望を抱くのだろうか?
バックミラーに映る”彼女”は、そんな市民たちを誇らしげに一瞥した。もちろん市民が誇らしいのではなく、彼らが羨む自分が誇らしいのだろう。
「ランカスターよ、私は帰って来たわ」
彼女はそう言うが、ウリウス・オッターが秘書になってからこの街に訪れた記憶は無い。
「以前に来られたことがあるのですか?」
ハンドルを握りつつ、試しに問うてみる。彼女はその言葉に気分を害したようで、吐き捨てるように返事をする。
「あんた何言ってんの? あるわけないじゃない。こんな薄暗い街」
「はぁ、なるほど」
彼の雇い主はいつもこんな感じである。いちいちつっこんでもどやされるし、かと言って過度に聞き流すと溜まった分が10倍になって返って来る。要はバランスである。
秘書として彼女に仕えるウリウスは、その呼吸をマスターしていた。悲しい事に。
「ブレイブ・ラビッツだっけ? 私が来たからには、
そのまなざしなんちゃらは、「創作物に性的なまなざしを向ける気持ち悪い連中」と言う意味らしい。そのミームがどの程度の範囲で使われているものなのか、ウリウスには分からない。
彼女は30代後半。十分に美形と言えるが、いかんせん言動がおかしすぎる。おっと、彼女の容姿を口に出して褒めて良いのは、
「表現の自由? 意気込みは良し。でもそれを言うのがクソオスではね」
表現の自由。それは尊いものらしいが、彼女曰く「クソオス」と呼ばれる人間のそれは保証しなくていいらしい。それでいいのかとはと思うが、面と向かって言えば自分もクソオスにカテゴライズされる。沈黙は金である。
「しかし、彼らには女性メンバーもいるようですが」
余計な事を言ったと思うかも知れないが、時々こうしてガス抜きは必要なので、適度に怒られる必要がある。こんなノウハウも人材の付加価値と言うものである。転職には絶対役に立たないが。
「はぁ? そんな名誉男性なんてどうでも良いだろ! 頭悪りぃな!」
案の定彼女は罵倒で応えたが、こちらが上手くやりさえすれば尊厳を傷つけられることは無い。上手くやれば。なお、「名誉男性」とは、「クソオス」に味方する不届きな女性を言うらしい。アタマガイタイ。
「このまま監査室本部に向かいますか? それとも教会へ?」
「こんな車で教会なんか行けるわけねーだろ? このハゲ!」
我慢だ。この仕事、お給料は良いのだから。あと別にハゲてはいない。
「あの看板は?」
横断歩道で止まった時、バックミラーに映る彼女が何かを指さした。その先を追うと、ビルに掲げられた大きな看板。その一杯に目の大きな女の子が描かれていた。
「どうやら、アニメ映画の宣伝らしいですね。どうかされました?」
「”皆”にお願いしてあの看板に抗議してもらいなさい。まったく、公衆の面前であんなキモいものを」
特に何も思わない。いちいち考えていては彼女の仕事はできない。やっとこの国に連れてくることができた妻子の方が、表現の自由とやらより百万倍大事だ。
「まったく、この国はまだまだ多様性も価値観のアップデートが足りないわ。私が責任を持って、全部消してあげる」
吐き捨てるように言って、彼女はほくそ笑んだ。
「さあ、仕事を始めましょう。女性たちの真実の戦いを、のちの世に伝えるために」
彼女の名は、アナベラ・ニトー。あらゆる抑圧から女性を救うため、フェミニズムとポリコレを広げるエージェントである。かつて多くの表現物を燃やしてきた彼女が、次に目を付けたのはこのリパブリック共和国であった。
「フェミニズムの理想を掲げるために、女性だけの街建設成就の為に、ランカスターよ、私は帰って来たわ!」
車内にニトーの哄笑が響き渡る。
ウリウスは思った。そう言えば、胃薬を切らしていた、と。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その翌日。
看板で宣伝を行った劇団、スポンサー、看板所有者に抗議の電話が殺到した。今までもこんな事があったが、今回は異常だった。電話を受けた社員を長時間拘束し、怒鳴り続ける。上司に取り告げと要求し、それに従おうものなら今度はそちらにも怒鳴り散らした。
相手の要求は判で押したかの如く、「差別的な看板を撤去せよ」であった。
業務を妨害された広告主のK社は、午後の経営会議で看板の撤去を決定。すぐにそれは実行された。
情熱をかけて看板を製作した絵師たちのプライドを踏みにじり、この件は解決した……わけでは無かった。相変わらずの電話が続き、今度は映画の上映を中止せよと言ってきたのである。
慌てふためく上層部をよそに、仕事を取り上げられた創作家たちは思っていた。
「あんたらが理不尽なクレームを、最初から毅然とはねつけていれば」と。
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