第48話:聖杯記念02


◆◆◆◆


「状況はどうなっている!?」

「かろうじて現在位置は確認できました。こちらです!」


 ボールが転がるようにして駆け寄ったヘンリーに、その事務員は細かな情報が書き込まれた一枚の地図を渡す。


「大幅に航路を外れているな」


 それを一目見て、ヘンリーは苦虫を嚙み潰したような顔になる。


「熱水機関に不備があり、片方のプロペラが不調だそうです。それでも聖杯記念に合わせようとした結果……こうなってしまったのが現状です」


 周囲の人々がざわつき始めた。ライダーもゲストも、ヘンリーと事務員のやり取りに聞き耳を立てているのが分かる。


「公国製の風洞装置はどうなった!? このための装置だぞ!」


 風洞装置。竜に乗るライダーが加護により保護を受けるのと同じ状況を、人工的に作り出す装置だ。大抵の飛行船には備え付けられているが、さすがに竜嵐には通用しない。だが、ヘンリーの話ではアルバトロス号に搭載されているのは最新式で、竜嵐にさえ一定の効果があるような触れ込みだったのだが。


「連続の稼働に問題が見つかったようです。このままでは……」


 事務員の言葉を途中で遮り、ヘンリーは大声を上げて手にした紙束を振り回す。


「私が責任を取る! なりふり構っていられるか! 救助隊を呼べ! 救命ライダーを要請しろ!」

「既に行っています。しかし、竜嵐のせいで通信に異常が……」

「知っている! 使える手段は何でも使え! いくらかかっても構わん! 落ちてからでは遅いんだぞ!」


 激昂寸前で顔を真っ赤にしたヘンリーに、後ろから声をかけた者がいる。


「ヘンリーさん」

「なんだ!? ……あ、いや、エミリア君か。すまない、取り乱した」


 弾かれたように振り返ったヘンリーだが、そこに立っていたのがエミリアであることに気づくと、慌てた様子で額の汗をハンカチで拭う。


「人手が必要ですか?」

「ああ。恥ずかしい話だが、最新のものばかり並べて竜嵐を侮った私が馬鹿だった。悔やむのは後だ。今は一人でも多くの助けが欲しいのは事実だ」


 どうやら、ヘンリーはただの成金ではなかったらしい。状況に当たり散らすのではなくて、自分のミスがあったことを素直に認めている。


「救命ライダーの到着は?」

「遅くなりそうだ。ここには、熟練のメンバーが折悪しく南方の災害の救援に出払っているとある」


 ヘンリーは手にした紙束を指さす。そこには地図以外にも、事務員が先ほど行ったアルバトロス号との通信と、続いて行った救命ライダーの要請についてのやり取りが書かれた紙もあるのだろう。

 普通ならば、この状況において一般の競争ライダーができることは、運を天に任せることくらいだ。災害救助を専門とする救命ライダーと、ドラゴンライディングで空を疾走する競争ライダーとは分野が違う。親切心だけで空に舞い上がっても、竜嵐に巻き込まれて墜落するのが関の山だ。ただ地上で、運よくアルバトロス号が自力で竜嵐から脱出するか、あるいは救命ライダーがなるべく早くアルバトロス号を発見することを祈ることしかできない。それが普通だ。何もおかしくない。何も悪くない。


 ――だがここに。たった一人の例外が存在する。


 ヘンリーの言葉を聞いて、エミリアはしばし瞑目した。一度だけ、深呼吸する。そして目を開けた彼女は、まっすぐに曇りのない瞳で彼を見つめて、こう告げた。


「――私が行きます。行かせてください」


 エミリアの言葉を聞いて、俺はかすかに笑った。

 ああ、君なら。

 そうするだろうな、エミリア。


「ま、待ってくれ、エミリア君。気持ちはありがたいが、君はドラゴンライディングのライダーだ。救命ライダーではないぞ」


 エミリアの提案に、ヘンリーはあっけにとられた顔をした後、当然のように断る。


「私のコーチは元救命ライダーのジャック・グッドフェローです。彼から、竜嵐の中での飛び方は教わりました」


 エミリアは彼の否定を予期していただろう。だからこそ、よどみなくそう答えた。


「しかし……!」

「私が竜症で、長い間レースから遠ざかっていたことはご存じですよね。その間、私はずっとジャックから救命ライダーのフライトを教えてもらいました。私が目指すのは、悪天候でも飛んで冒険者を導く先導者なんです」


 それだけ言うと、エミリアはくるりとヘンリーに背を向けた。


「ジャック、ついてきて。おばあ様、行ってきます」


 ホールの出入り口へと駆け足で向かっていくエミリアの背を俺は一瞥した。その視線がそのまま、静かに椅子に座ったまま事の推移をじっと見ていたエリザベスへと向ける。


「つくづく――血は争えないわね」


 エリザベスはかすかに自嘲するかのように笑った。そして椅子から立ち上がると、俺に向かって丁寧に一礼した。


「ジャック、孫をよろしくお願いします」


◆◆◆◆


「か、考え直しなさい。君の気持はありがたい。本当だ。でも……今君が竜嵐の中を飛んだら、聖杯記念に出られなくなるぞ! 分かっているのかね!?」


 屋外へと駆け足で向かうエミリアに、なおもヘンリーが追いすがる。俺はその後に続く。


「……分かっています」


 エミリアの答えには、一瞬の間があった。それもそうだろう。エミリアはここまで努力に努力を重ねてきた。ようやく彼女は聖杯記念への出場という切符を手にしたのだ。それを自らの意志で破って捨てるという決断は、そうやすやすとできるものではない。


「竜因に満ちた竜嵐の中を飛べば、ライダーの体内に竜因が蓄積される。絶対に大会が定める既定値以上になってしまう。そうしたら、君は聖杯記念にはどんなことがあっても出場できないんだ。頼む、考え直してくれ」


 エミリアのユニフォームの袖をつかみかねない勢いで、ヘンリーは彼女を説得する。


「英雄と隻翼の決着というレースができないと、観客が集まらなくて儲からないからですか?」

「それもある。否定はしない。しかし、何よりも――」


 取り付く島もないエミリアの言葉に、ヘンリーは気圧されたように身を引いた。だが、すぐに彼は言葉を続ける。


「若い君の人生を棒に振ってほしくないんだ。私だってここまでになるのに、途方もない時間と努力を重ねてきた。君を見ていると、若い時のがむしゃらだった自分を思い出して胸が熱くなった。だから、こんな私のミスで君の人生に汚点をつけたくない」


 ヘンリーがエミリアを止める理由は、俺が思っていたものと違った。てっきり、エミリアが聖杯記念に出られなくなれば、大損をするということだけにこだわっていると思っていたのだが。


「私は、自分ができることをしないで人の命が失われることの方が、よほど汚点だと思います」


 エミリアは立ち止まると、ヘンリーの方を見てほほ笑む。


「ありがとうございます、ヘンリーさん。私だって、一時の気の迷いでこんなことを言っていません。冷静に考えて、私が竜嵐の中を飛べるからそうするだけです。心配しないで下さい。本職じゃないんですから、危険と判断したら退避します」


 ふと、俺は気配を感じて後ろを振り返った。いつの間にか、アーサーを筆頭に多くのライダーたちが、俺たちの後を追いかけていた。


◆◆◆◆


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