第30話:グレイゴースト02


◆◆◆◆


 グレイゴースト。それはライダーたちの間で語り継がれる空の伝承だ。灰色の竜を駆る正体不明のライダー。彼(?)はどこからともなく空の彼方から現れ、人々を助けてまた飛び去っていく。

 ただの幻じゃない。グレイゴーストに助けられた証言は確かに存在する。嵐に見舞われた飛行船を導き、難破した船の位置を救命ライダーに教え、道に迷った先導者のライダーを安全な場所まで連れて行った。いつしかライダーたちの間では、こんな噂が立つようになった。「灰色の竜に乗った単騎のライダーを見たら、周りに気を配れ。助けを求めている奴がきっといる」と。


「あれは、ニーベルング社の大型飛行船で開かれたパーティーに出席していた時だったわ」


 庭のベンチに俺たちは腰かけていた。エミリアはゆっくりと、過去を懐かしむようにして話し始める。


「ずいぶん昔のような口調だな」

「七歳の頃よ。あの時から、空を飛ぶのは好きだったの。パーティーそっちのけで飛行船のあちこちを見て回って、父と母に叱られたわ。おばあ様にかばっていただいたけど」

「目に浮かぶ」


 俺は笑った。どうやらエミリアのギャロッピングレディとしての片鱗は、もう七歳の頃にはあったようだ。


「お年寄りの機関士と仲良くなって、普通のお客様では見られない船の内側をたくさん見せてもらったの。操舵室には入れなかったけど、その近くで窓から雲海を見ていた時だったわ。一匹の竜が、満月の月明かりに照らされてぐんぐんと空に向かってのぼっていくのが見えたの。『見て! ドラゴンよ! こんな夜になんで飛んでるのかしら?』って私が機関士を呼んだら、彼は外をじっと見てつぶやいたわ。『あんまり見るなよ。ありゃ、グレイゴーストだ』って」


 目を閉じれば、容易に想像できる光景だ。飛行船の窓にかじりつく幼いころのエミリア。きっと今以上におてんばだったんだろう。彼女の視線の先。雲海を切り裂いて、月夜に放たれた矢となって上昇していく灰色の竜と名も無きライダー。彼女が興奮した様子で、ひげ面の機関士を呼ぶ。機関士はそろそろ見にくくなった目を凝らして窓の外を見た後、神妙な顔で首を左右に振るのだ。


「『あいつは空の亡霊でな。誰にも知られずに、困っている人を助けるために空を飛んでる彼岸のライダーだ。俺たちが見ていいもんじゃない』。そんな風に彼は言っていたわ。私はずっと、そのフライトを見ていた。まるで、月を目指しているかのような、素敵なフライトだったわ」


 グレイゴーストの存在については、ライダーたちはあれこれ言っているが結論は出ていない。信心深いライダーは「あれは大罪を犯した昔の騎士で、今も贖罪をしつつ世界の終末までさ迷っているんだ」なんて言う奴もいる。恐らく機関士も、グレイゴーストに対してあまりいい感情は持っていなかったんだろう。でも、エミリアは全く正反対の感情を抱いたようだ。


「私にはグレイゴーストが亡霊には見えなかった。人を助けるために、空をずっとさ迷っているようには思えなかったわ。だって、飛行船の旅は順調で何も問題はなかったもの。私はその時思ったの。『ああ、あんな風に飛んでみたいな』って」


 過去を語るエミリアは饒舌だった。自分の原点を思い返すのだ。それは今、飛べないでいる彼女にとって苦痛でもあるはずなのに。


「それが、私とグレイゴーストの出会いと、私がライダーを目指すようになったきっかけ。おばあさまに話したら『血は争えないわね』って笑ってた。おばあ様はグレイゴーストを見たことはないけど、私は両親じゃなくて自分に似たんだって言ってたわ」


 エミリア・スターリング。竜に愛された空の申し子。彼女のライダーとしてのルーツは、この世のものではない幻想と相まみえたことによって始まったのか。幻想に招かれ、彼女は空を目指した。


「グレイゴーストのフライトになぜか憧れたわ。私が欲しいのはライダーとしての栄光でも、騎士としての名誉でも、花形としての賞金でもなく、私が欲しいのはグレイゴーストのあのフライトのような――きっとジャックが教えてくれた『自由』なのよ」


 エミリアはそう言って自分の胸に手を当てる。心臓が送り出す熱い血潮に、魂を奮わせるかのように。


「私は、自由に恋焦がれているの。誰よりも自由に、自由を求めて、自由な空を飛びたい。エンタープライズと一緒に」


 彼女は俺を見ながら、はにかんだ様子で笑う。


「……自由って言いすぎたかしら」

「それだけ、君の心が餓えているんだろうな」


 俺は息をついた。まるで、エミリアと共にその飛行船に乗って、窓からグレイゴーストを見たかのようだった。


「俺も、君を連れて行きたい。君は誰よりも自由を求めるライダーであり、きっと誰よりも自由なライダーだ」


 そう言う俺の顔を見て、エミリアは首を傾げた。


「なぜ、悲しそうな顔をするの?」

「君と同じで、もどかしいからだ」


 こんなにも空に招かれ、空に焦がれているのに、エミリアはまだ飛べないでいた。その現実が、あたかも重しのように俺たちにずっとのしかかっていた。


◆◆◆◆


 ジャックの言ったとおりだった。

 私たちはその後、いくつものレースを見送った。私の体はなかなか治らなかった。いつまで経っても竜症は私から出て行かない。咳、倦怠感、関節の痛み、だらだらと続く苦しさ。それが続く嫌な日々。

 その中でも、トレーニングは少しずつ再開していく。体力があまりにも低下していることと、すっかりフライトの勘が鈍っていることに私は打ちのめされた。竜症がこんなにひどくライダーを痛めつけるだなんて、思いもよらなかった。手に持ったランスのの重さをひしひしと感じ、私は自分の力がひどく衰えていることを痛感した。

 けれども、同時に魂を竜に与えて竜炎を燃やすように、体の中の竜因を活性化する方法も分かってきた。寒気が骨の髄から這い上がっているのに、意識だけが不自然に研ぎ澄まされていくあの気持ち悪さ。体内に竜因が多すぎるライダーが、レースに出られない理由を私は体感した。

 でも――私はレースに出たい。空を飛びたい。エンタープライズに乗りたい。気持ちだけが空回りして止まらない。

 何よりも、悲しそうなジャックの顔を見るのが辛かった。


◆◆◆◆


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