第17話 「ブラッドバーン」

 それは、ファリスがアルクアード・ブラッドバーン男爵邸を初めて訪ねる少し前の事であった。


「ファリスよ。お前は代々のロチェスター伯爵と同様、アルクアード・ブラッドバーン男爵を、若きときは兄として、歳を重ねれば友として、彼に助力を乞い、彼を支えてやってくれ。」

「はい。」

「そして、これは、代々のロチェスター家は関係ない。私個人の頼みだ。もしも私の言う意味が分からなければそれでいい。その時は、この願いをお前の息子に引き継いでくれ。」

「はい。」


 ファリスは思い出していた。父が亡くなる前日に、彼と交わした会話を。

 あの時、偉大な父、ローガン・ロチェスターが亡くなる前日に、自らに願いを託した。


「……ロチェスター伯爵家は、ブラッドバーン男爵と共に代々歩んできた。それはお互いの罪を共に背負うためである。」

「お互いの……罪?」

「ああ、そうだ。アルクアードの罪でもあり、我々ロチェスター家の罪でもある。」

「父上、罪とは何なのですか。」


 ファリスの当然の問いかけに、ローガンはいつものようにこう答えた。


「ははは、それを知りたくば、今のうちにチェスの腕を磨いておくことだな。」


 力なく笑って言うローガンとは対照的に、ファリスは真剣に頭を回転させた。と言うのも「お互いの罪」という言葉に、ファリスは若干の引っかかりを感じたからだ。

 罪とは本来、片方が片方に背負うものである。「お互いの罪」と言うことは、アルクアード男爵と、ロチェスター家が結託して、何か第三者に害をなした、と言うことだろうか。


(男爵とチェスの勝負をする。そこにきっと、遊びではない何かがあるのは間違いない。)


 この期に及んでも、余命いくばくもない状況に至っても、まだ父はこれを繰り返した。つまり、そう言うことなのだ。

 ファリスは、そう確信した。


「そして……。」


 再度、ローガンが口を開いた。

 そう言えば、父の頼み、とやらをまだ聞いてはいなかった。

 ファリスは、再び、弱々しく語る父の言葉に耳を傾けた。


「そして、もしもお前が全てを知ったなら、アルクアードを、彼を、助けてやってほしい。」

「助ける?」

「私では、出来なかった。いや、至らなかった。助けるところまでは。きっと、お前ならば……。託したぞ、ファリス。」




 生前の父との会話を思い出し、ファリス・ロチェスター現伯爵はゆっくりと目を開いた。そして彼は、ゆっくりと膝を曲げ、片膝を地面につき、目の高さに来た「ローガン・ロチェスター」という、墓石に刻まれた名前に向かって呟いた。


「父上、私にはまだ、その意味が分かりません。」


 まだ、ヴァンパイアの秘密とやらを完全に紐解いたわけでは無い。しかし、それはもう時間の問題だった。


 ただ、ファリスは不安だった。


 果たして、あの優しく豪胆で、しかも頭脳明晰な父でも助けられなかった、アルクアード男爵を、自分が救うことなど出来るものなのだろうか。いや、それ以前に、である。父は確かにこう言った。「もしも言っている意味が分からなければ、これを、お前の息子に引き継いでくれ」と。そもそも、自分が、「何から助ければいいのか」が分からない可能性だってあるのだ。


 しかし。


「父上、まだ、何も要領を得てはおりませんが、ローガン・ロチェスターの息子の名に恥じぬよう、精一杯努めます。」


 ファリスは、父の墓石に向かってそう固く誓ったのだった。



******



 ロチェスター伯爵邸からも、ブラッドバーン男爵邸からも離れた、海岸の見える小高い丘。伯爵家の墓地はそこにあった。フィルモア領からも近いそこは、アトエクリフ島の中でも指折り美しいと評判の絶景スポットだった。もっと暖かい時期であれば、島内の人間も遊びに来る旅行スポットである。

 だからと言って当然、そんな遠くにわざわざ墓地を作ったのは、景色が良いだけではなく、近くに伯爵家の別荘が立てられていたからであった。領地からの墓参りの日帰り旅行は、不可能ではないが、朝に出ても帰りはかなり夜更けになってしまう。

 つまり、基本的には墓参りをかねての一泊旅行と言うことになる。さらに言えば、その工程を踏むことによって、別荘に人の手を入れる機会を設けよう、と言う、先祖のロチェスター伯爵の計らいであった。


「先に参ります。アルクアードは荷物を置いたら、シャロンとメルと一緒に、馬車でいらしてください。」


 ファリスはそう言って、馬を走らせて、ローガンの墓に一足先に向かった。

 墓の周りを先に行って掃除、なんてことは無いだろう。定期的に、伯爵家の召使いたちが手入れにやって来ているし、優秀な伯爵家のメイドの事だ。ファリスが向かう直前に一度手入れに来ているはずだった。


 そうではなく、きっと彼は、ローガンと二人きりになりたかったのだろう。

 と、こう言うと、ローガンと共に眠る、前伯爵夫人、つまりファリスのお母上の事をないがしろにしているように聞こえてしまうが、そう言った意味は無い。伯爵夫人は、ファリスを産んで直ぐに亡くなってしまい、ファリスは母親の顔を知らずに育った。ファリスにとっての家族の団らんは、父ローガンとの二人のものだった。


 ともあれ、ローガンが逝き、急に伯爵を引き継いだファリスのここ数週間は、目まぐるしい忙しさだったに違いない。ローガンに報告したいことも山ほどあるだろう。


 私が、シャロンとメルにその旨を伝えると、

「左様でございますか。それでは、私は、姫様のお召し物を直してまいります。ご主人様はしばし、応接室でお待ちくださいませ。」

と言って、二人は別の客間に姿を消した。


 今回の遠出では、シャロンは、貴族が公務の際に着るような一張羅いっちょうらのドレスを身に纏っていた。流石に動きやすい格好で、と言ったシャロンに対し、メルが、「前伯爵様にお会いするのです。それなりの格式が必要です」と譲らなかったのだ。まあ、シャロンを着せ替え人形にして楽しみたかったと言うのが本音であろうが。


 ちなみにその衣装は、メルがロチェスター伯爵家から借り受けて来たものだった。シャロンがついてくる、となってチェスの特訓に明け暮れていた際に、わざわざ伯爵家まで出向いて、見繕ってきたようだった。メルも伯爵家では顔が知られているし、袖を通すものが居なくなったドレスを、あれこれと選ぶのは、伯爵家のメイドたちにとっても楽しい時間だっただろう。


 こうして、メルとシャロンの支度が済むのを待って、私達は馬車に乗り込んだ。早く着きすぎるのも問題だが、あまりにファリスを待たせすぎるのもよろしくない。塩梅あんばいが難しかったが、これくらいの出立がちょうどいいだろう。



 我々の乗り込んだ馬車が、別荘へと続く林を抜けると、目の前に海岸線が広がった。ふんわりと優しい風にそよぐ一面の緑色の海の上から、夕日に照らされキラキラと光る黄金の海を臨むその景色は、三百年生きて来た私でも息をのむほどに、形容のし難い美しさだった。


「素敵なところね。」


 馬車に乗り込んだシャロンは、しみじみとそう口にする。


「アトエクリフ島一番の絶景スポットだからな。」


 私は自慢げに言ってシャロンを見た。その表情は、窓の外に向けられ、伺い知ることは出来なかったが、私は見てしまった。


 シャロンの頬に、一筋の涙が伝っていた。


「お、おい、シャロン?」


 私は驚いて、シャロンに向き直り、彼女の肩に手を当てた。シャロンは自分でも気づいていなかったようで、私に向き直ると、慌てて涙を拭った。流石に伯爵家から借り受けたドレスの袖でゴシゴシやる訳にもいかなかったので、すぐに私がハンカチを取り出して渡したのだが。


「その、どうかしたのか?」


 私は、改めて、聞いた。流石に彼女が涙を流す訳が思い当たらなかった。


「ごめんなさい。なんでもないの。ただ、素敵なところだなって。」

「ああ。」


 私は、それだけを言うと、彼女の続きの言葉を待った。


「ここも、なんだけど、この島が、ここの全部が。景色だけじゃない、風も、空気も、ゆっくりとした時の流れも、人の心も。あなたには、おとぎ話じゃない、って言われたけど、この島に来た時から、そして、あなたと出会ったあの時から、私はおとぎ話の世界に入ったんだって。そうとしか思えなくて。だって……。」


 シャロンは、幸せそうに満面の笑みを浮かべた。そしてもう一度、大粒の涙を、頬から垂らした


「海が綺麗で、涙が出るなんて、知らなかったから。」


 私には、彼女の気持ちはなんとなく理解出来た。だた、言葉にしろと言われると困る、その、郷愁にも感動にも安らぎにもにた、或いはそれらすべてがごちゃまぜにしたような「何か」に言及するよりも、その、目の前で、黄金の海をバックに美しく、儚く微笑む、金色の妖精に、ただただ見惚れてしまっていた。


 そして、目的地に着くまで、私達は、ただただ、水平線まで続く光の絨毯を眺めていた。




 ほどなくして、馬車が到着した。私が先に降りて、シャロンをエスコートする。メルは、シャロンが降りるのを確認すると、馬を馬車から外し、休息を取らせる準備を始める。既に、ファリスの馬が待っていたので、そこまで馬たちを誘導した。

 思えば、馬車を操縦する猫ってすごい構図だな、とも思ったが、面倒くさそうなので触れずにおいた。


 するとちょうどその時、墓地の入口にファリスが現れた。


「すまない、待たせたかな?」

「いえ。ちょうどよい時間です。」


 時間の塩梅はバッチリだったようだ。ともあれ、ちゃんとローガンと話は出来ただろうか。あの、私の親友でもある前伯爵のことだ。墓の中からでも、息子へのげきの言葉を飛ばしていそうだった。


 最後に、もう一度、きちんとお別れを言いたかった。

 ……やっぱりか。今回もそう思ってしまった。

 代々のロチェスター伯爵との別れは、いつもこれだ。


 でも、別れの挨拶をすることは、私には許されなかった。

 それが代々の伯爵との取り決めだったから。


「私も、ローガンに会うのは久しぶりだ。彼が体調を崩してからは、会いに行けなかったからな。伝えたいことが沢山ある。」

「……お察しします。」


 正直、このまま奴の墓前に言って「ローガン・ロチェスター」の名前を見て、正気を保っていられるだろうか。年甲斐もなく、号泣してしまいそうだ。それくらい、先代の、七代目の存在は、私には大きかった。


「ははは、まあ、一番伝えなきゃいけないのは、君の文句だがな。全く、こんなに強くしやがって。」


 私は虚勢を張ったが、やはり分かり易すぎたのか、誰も笑ってくれなかった。それどころか、とても暖かい目で見られてしまった。これはなんとしてもこの空気を変えなくては、やりきれない。


「そうだ、ファリス、私が墓参りを済ませたら、一つ頼みたいことがある。」

「はい、何でしょう?」


 流石に、私の事務的な口調に、ファリスは切り替えて反応してくれた。良かった。


「今日、私がローガンの墓参りを済ませたことを、フィルモアに伝えておいてくれないか。恐らくレーリアも来たいだろう。私は生涯会うことは出来ないからな、君から宜しく言っておいて……。」


 その時、背後から、気配がした。

 いつの間にか、誰のものとも知らぬ馬車が近づいて来ていた。


 なんとなくそんな気配を感じてはいたが、向こうの街道に行くのだろう、と勝手に思って、気を削いでいた。

 しかし、ここの墓地に、誰がなんの用だろう。この墓地を管理している人間だろうか。ファリスが来ることは知っているハズなので、挨拶にでも来たのかもしれない。


 私は、この時の油断を後悔した。

 何か指示を飛ばすことも出来たかもしれない。

 大声で、その馬車に命令することも出来た。

 でも出来なかった。


 道端に飛び出して、目の前に、猛スピードの馬や馬車が迫ってくると、人間は、轢かれると分かっていても、動けなくなってしまう。いや、動かないことを認知して選択してしまう。


 あの感覚に近かったかもしれない。


「ほら、着きましたよ。」


 そう言って、外から見えないようにカーテンが掛かった馬車から、男が一人降りてくる。見たことのある男だ。

 そう、確か、カーティス・レインだったか。

 ファミリーネームまではあってるか自信が無いが。


 そうではない。

 本当は、そんなのんきなことを考える前に、動かなくてはいけなかった。彼が、あの見覚えのある彼が居る事が、その可能性をほぼ確実にしているのだから。


 それでも、私は動けなかった。


「どこの馬車かな? ん? 彼は確か……。」


 ファリスがのんきに私の視線の先を見る。

 そして……その姿が現れる。


「なっ!!!!!」


 遠くで、戻って来て状況を一目見たメルが、驚愕の声を上げた……気がした。


「一体どこに連れて来たって言うの?」


 聞き覚えのある声。


 馬車から降りて来た、真っ赤なドレスを身に纏った美しい女性。かつて私が唯一愛した女性。


 その姿を、レーリア・クローデットを……


私は「見た」。


「ア、アルク……アード?」

「レ、レーリア……。」


 一瞬、時が止まった。


 私の視界が、真っ赤に染まっていく。


 私の心が、どす黒い何かに浸食されていく。



 彼女も、真っ赤な瞳で、ゆっくりとこちらをみて、み、みて、ミテテテてて……、う、あ、目の前が、真っ赤に、赤、アカイ、アカイ、アカかカかかか……ニクイ、ニク、コロ、殺、シ、死……滅びろ、滅び、うおおおおおおあああああ!



そこで、アルクアード・ブラッドバーン男爵の記憶は途切れた。





――少し時間は遡る。



 カーティス・レインは、悩んでいた。


 ヴァンパイアの秘密を聞き出すためにレーリアの屋敷に再び来たのではあるが、彼はどうも、そんな気になれなかった。


 あの金の海を二人で見たあの日以来。

 いつも、悲しい瞳で、夕焼けを眺めるレーリアが、カーティスには姉、リーファと被って仕方がなかった。

 だから、彼は、彼女のその悲しみを何とかしてあげたかった。

 それは、真実を伝えられなかった、そして守ってあげられなかった姉への贖罪の気持ちだったのかもしれない。


「なあ、フィオ。レーリア様って、この時間になるといつも海を見つめてるよな。」

「うん。なんか、この時間だけはいっつも悲しそうなんだ。」


 やはり、この使い魔も、主人の事を案じている様だった。ならば、彼を仲間に引き込んで、一つ、作戦を立てよう。

 カーティスはそう思った。


「なあ、前に言ってた、『レーリア様を元気にする方法』試してみないか?」

「え、駄目だよ。僕だって、アルクアード様に会いに行っては、って何度も言ったけど、『それは駄目、出来ない』の一点張りだもん。」


 以前、カーティスもフィオにそう提案していた。しかし、その時と全く同じ答えが繰り返された。


「その理由って、聞いたのか?」

「ううん。僕はすぐに『分かりました』って言っちゃうから、聞いてはいないけど……。」

「そうか……。」


 カーティスは、彼なりに想像してみた。

 きっと、言いづらい事があったのだろう。

 カーティスが聞き及んでいる話では、アルクアード男爵とレーリア様は、昔、あちらの屋敷で一緒に住んでいたとのこと。そして、何らかの理由でヴァンパイアになった。それが原因で、特例で貴族としてフィルモア領に取り立てられた。と、これくらいの内容だった。


(おいそれと会えない理由がある。別の領地の貴族同士だからか。あるいは、過去の色恋のもつれ?)


 大陸では、別の領地の貴族同士が、プライベートで交流を持ちすぎると、他領地の領主や貴族から反感を買いやすい。結託して、利権や、何らかの便宜を図っている、と邪推してしまうためだ。それが行き過ぎて、反乱のデマを流される、なんて事件も良く合った。そう言ったことを危惧しているのだろうか。

 あるいは、男爵との関係が破局してしまい、会いづらい、と言う線もある。


 しかし、いずれにせよ、実際にお二人に会ってもらって、正直な気持ちをぶつけてもらう。カーティスには、それが前に進むための最善の策のように思えた。


(なに、この平和な小さな島の中での出来事だ。フィルモアの子爵と、ロチェスターの男爵が内緒で会ったところで、陰謀を危惧する奴なんているはずがない。)


 カーティスは、フィオに心の内を話した。そして、フィオも、ついに納得したのだった。


「分かったよ、これが、レーリア様が元気になるための最善の方法なんだね。」

「ああ。でも、レーリア様に言ったらきっと断られるからな、内緒で連れ出すんだ。」


 こうして、カーティスは、フィオと共に、気分転換の為のロチェスターの絶景の海岸への小旅行を提案し、何とかレーリアを連れ出すことに成功したのだった。



――そして、今。




「な、なんだ……?」


 カーティスは、思わず声を漏らした。


 アルクアード男爵とレーリア様が、目を合わせた。

 その瞬間に、二人が、どう猛な獣のようなうめき声を上げ始めたのだ。


「いけない! 『ブラッドバーン』が起こる!」


 メルが、叫ぶとほぼ同時だった。


「ほろビろォ!!」


 常軌を逸した速度で、二人が、真正面から突進した。


 手刀を構え、後ろに引いた状態で、二人のヴァンパイアは、まるで制御を失い暴走した馬車が全速力で衝突するかのようにぶつかった。お互いに必殺の一撃を放とうとしたが、共に全力で距離を詰めたために、目測を誤った。そんな感じだった。


 二人は、暴走の衝撃であらぬ方向に吹き飛んだ。

 そして、すぐさま再び立ち上がり、レーリアに向かって飛びかかろうとしたアルクアードの側頭部に、今度は、別の影のかかとがめり込んだ。

 二、三歩の助走で、軽く十メートルはある距離を滑空したメルが、アルクアードに飛び蹴りを放ったのだ。アルクアードは吹き飛ばされて、更にレーリアとの間に距離を空けた。


「レーリア様! どうしたの!?」

「レーリア様!」


 フィルモア側の二人が声を張り上げるが、主にその言葉は届いていない様だった。


 メルはすぐさま、アルクアードを背後から羽交い絞めにし、そして……


アルクアードの首筋に思い切り噛みついた。


「ぐあああああ!」


 悲鳴を上げ、アルクアードはメルを振りほどこうとする。いや、正確には、振りほどく、などと言う動きではない。彼には、メルの存在は眼中になく、ただただ、目の前の目標に殺意を向け、藻掻もがいていただけであった。


 そしてその男爵の目標が、向けられている殺意が、頭上に向けられた。


「!!」


 そこには、起き上がったレーリアが、まるで地上の獲物を狙う鷹のように飛び掛かって来ていた。


(いけない! このままでは、ご主人様が一方的に。)


ドゴンッ!!!


 メルがそう思った刹那、接敵する直前のレーリアの前で、爆発が起こり、レーリアが吹き飛ぶ。

 横から何かが飛んできたようだ。

 見ると、そこには、かなり長い銃身の猟銃を構えたファリスが、レーリアを狙撃した姿があった。


「と、止めろ!」


 そう言って、レーリアの元に駆け寄ろうとするカーティス。しかし、ファリスの銃撃も所詮は時間稼ぎに過ぎなかった。レーリアは再び立ち上がり、殺意に燃える真っ赤な瞳をアルクアードに向けていた。


「う、ぐああ……。」


 メルに噛みつかれたアルクアードは、少しずつ力が弱まって来ていた。


(でも……間に合わない。)


 アルクアードの首筋に噛みついたままのメルが、レーリアを見る。

 恐らく、ほんの瞬きをする間にも、レーリア様に主は殺される。


(どうする。)


メルは逡巡した。そして必死に考えをめぐらす。


(ここでご主人様を放せば、力の弱まったまま主はレーリア様に向かっていくだろう。そして、レーリア様に瞬殺されてしまう。レーリア様が飛びかかって来た瞬間に、ご主人様を突き飛ばして、レーリア様の攻撃を受けるか。そんなの、世界がスローに見えてないと出来ない芸当だわ。)


 仮にレーリアを抑えられたところで、状況は変わらない。今度は、立場が逆転するだけなのだ。それに、下手に二人の間に物理的に割って入ると、自分ごとざっくりといかれてしまいかねない。


 メルが思考を巡らせていた時間は一瞬だった。そして、その答えが出ないままに、レーリアが獲物に狙いを定め、一歩を踏み出した。

 いや、踏み出そうとした。


パンッ!


 しかし、走り出そうとしたレーリアは、バランスを崩し、勢いよく、前に倒れ込んだ。


(え?)


 メルが音のした方を見ると、今度はシャロンが彼女の愛銃を構えていた。

 どうやら、レーリアが前に踏み出す直前に、シャロンが、彼女の軸足のヒールを打ち抜いたのだった。先程の伯爵の銃撃でドレスの裾が燃えて、足元が見えるようになっていたからこそ、可能な芸当だった。


(姫様!!)


「今よ! 早く!!」

「うおおおおお!」


 叫ぶシャロンに呼応して、倒れたレーリアにカーティスが覆いかぶさり、手足を抑える。


「今よ、犬コロ、お前もやれ!!」

「えっ、えっ?」


 手の中でぐったりしている主人の首筋から口を離し、メルが叫ぶ。しかし、パニックになっているフィオは、おろおろするばかりだった。


「早くしろ!! ぶち殺すぞ!!」


 普段のメルからは想像も出来ない様な発言が飛び出した。


「フィオ! 頼む!」

「う……うわああああ!」


 猫娘の圧と、人間の友人の言葉に押されて、覚悟を決めたフィオがレーリアの首筋に噛みついた。


「全力でやれ! 大丈夫だ。私達の力では、主は滅びはしない。」

「があああああああ!!」


 フィオに噛みつかれたレーリアの叫び声が響いた。しかし、その声も、少しずつ小さくなり、やがて聞こえなくなった。




 こうして、突然始まった、長いようで一瞬の殺戮の攻防は、誰の犠牲も出さずに終わったのだった。



――嵐の後の静寂。


 しかし、安堵の空気が流れるより早く、メルがフィオに飛びかかり胸倉を掴み上げた。


「貴様! 自分が何をしたのかわかっているのか! 自分の主を滅ぼす気か!?」

「え、え、ぼ、僕は……。」


 フィオは、半泣きで慌てふためいた。目の前の男爵家の使い魔の形相が恐ろしかったというのもあるだろうが、「主を滅ぼす気か」という言葉を受けて、ショックを隠し切れない様だった。


「メル、一体どういうこと?」


 近づいてきたシャロンが、メルに訊く。その他の面々も、同意を示すかのように、メルに注目した。


「あれは『ブラッドバーン』です 貴様、使い魔ならば教えられているだろう!」

「すまない! 俺もフィオも知らなかったんだ。それに今回の事は俺が提案したんだ。責任は俺にある!」


 フィオへの怒りが収まらないメルに向かって、カーティスが仲裁に入る。その言葉を聞いて、メルはしぶしぶ、掴んでいた手を放した。


「知らなかったのですから、あなたは悪くありません。悪いのは、この犬コロにきちんと教えていなかったレーリア様です。ご主人様は、ずっと、ずっと、己の宿命の抗っていらっしゃったのに……。」


 メルは怒りとも、悲しみともつかない様な表情で拳を震わせた。

 しかし、すぐに、まだ安心できる状況では無いことを思い出し、一つ大きく深呼吸をした。


「この場はまだ危険です。早くレーリア様をフィルモアへ連れ帰って下さい。起きたら教えて下さるでしょうから、詳しい事はそこで。片方がここを離れれば安全です。」

「わ、わかった。フィオ、急ごう。」


 メルの言葉を聞いて、カーティスがレーリアを抱きかかえ馬車に運ぶ。そして、すぐに手綱を繰り、街道へと消えていった。



「メル……。」

「姫様、伯爵、ありがとうございました。お二人のおかげで、何とか犠牲を出さずにすみました。」


 話しかけて来た、シャロンに向かって、メルは深々と礼を言った。


「え、いや、良いのよ、メル。」

「ああ、大事無くて良かったです。」


 二人はそう返したが、メルは頭を深く下げ、拳を強く握ったまま、上げようとしなかった。主を危険にさらしてしまった自責の念か、二人への深い感謝か、恐怖から解き放たれた安堵か、二人には伺い知ることは出来なかった。ただ、いつもは気丈な黒猫の娘の肩が、少し震えているように見えた。


「それにしても、君はそんなもの、どこから取り出したんだい?」

「え? いや、あはは。」


 そう言ってシャロンは、ファリスに見えない角度で、ドレスのスカートを捲し上げた。彼女の太ももには、銃をしまえるようにベルトとホルダーが巻かれていた。当然、ファリスはそれを見て、あきれ果てた。


「あなたと言う人は……。」

「だ、だって、こんな動きにくい格好で暴漢にでも襲われたら、逃げられないし、されるがままじゃない。ドレスの時は、銃の一つや二つ隠し持っておかなきゃ、って、前々から思ってたのよ。」

「その発想はなかったですね。そもそも、姫や貴族の令嬢は、襲われない、襲われても返り討ち、と言うのが前提で警備が組まれるからね。」

「なに、ファリス、私が野蛮だって言いたいの!?」

「そんな事一言も言ってませんよ。むしろ、ご自覚されているから、ご自身からその言葉が出るのでは?」


 二人の他愛のない会話に、頭を下げていたメルは少し微笑みを取り戻した。

 二人は、自分を元気づけようとしているのだ。

 メルにはそれが良く分かった。


(本当に、此度も良き友人と、良き姫様を持たれましたね。ご主人様。)


 メルは、顔をあげた。すると、口論をしていた二人の口がぴたりと止まった。


「ありがとうございます。もう大丈夫です。伯爵、姫様。」

「そうですか。」

「はい。」


 そして、沈黙が訪れた。


 当然、この後にしなくてはならない会話は決まっていて、二人にとっては訊いて良いものかどうかを逡巡する内容であったからだ。。

 しかし、ファリス・ロチェスターは、臆することなく、その言葉を口にした。


「メル、『ブラッドバーン』とは一体?」

「その、アルクアードの家名……と同じ名前よね。」


 ファリスの言葉に後押しされて、シャロンも疑問を口にした。

 当然投げ掛けられるであろうその質問を聞いて、メルは少し考えた後、二人に向き直った。


「この場で全てをお教えしたいのはやまやまですが、私の口から、お答えするのは筋ではありませんね。まずは、ご主人様を屋敷に運びましょう。目を覚まされましたら、全てをお話してくださるでしょう。」


 そして、メルの言葉通り、アルクアードを担いで馬車に運び込んだ3人は、ロチェスター家の別荘に戻るのだった。




(つづく)

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