第4話 ヴァンパイアハンター

 大陸の最南端に位置する、死の花の咲くアトエクリフ島。そこは、大陸の人間には「呪われた島」と呼ばれていた。

 今でこそ、大陸の最大の国、レブナント王国の領土となっているその島は、二つの領地、すなわち、ロチェスター伯爵領とフィルモア伯爵領となり、それなりの人間が暮らしてはいるが、それでも大陸の人間からすれば、好き好んで訪れる場所では無かった。


「その島は、不死の怪物、ヴァンパイアの伝説発祥の地である」

「その島は、死の花、ロチェストの群生地である」


 それらが、その島が「呪われた」と形容される所以であった。


 しかし、一方、そんな「呪われた島」アトエクリフ島に暮らす人々には共通する暗黙の了解があった。


「呪われた島」であることを享受し、その不名誉な呼称を変えない事。


 その不名誉が、これ以上ない「島を守る盾」となるのであった。おかげで、不必要に大勢の人間がこの島に近づくことなく、この島の平穏はこれ以上なく保たれていたのであった。このアトエクリフ島に暮らす人々は「呪われた」と言う形容を誇りにすら感じていた。

 しかし、そんなアトエクリフ島にも、物好きがたまに訪れるものである。それなりに観光出来るところも無くはないので、単純な旅行者もいると言えばいる。ごく稀には、草花や薬草の研究者と名乗る人物が、ロチェストの花を栽培したい、と伯爵家を訪れることもある。まあ、大抵は追い返されるのが落ちなのだが。

 そんな中でも、アトエクリフ島の住民の中で、昔から囁かれている標語があった。


「ヴァンパイアを追いかける人間の目的は二つ。それ以外の目的は存在しない。」


 つまり、「伝説のヴァンパイアを探している」などと言う人間が現れたら、その二つのどちらかを確かめろ、ということだ。


 しかし、そう言う類の人間は滅多に現れないこともあり、長い歴史の中で、その標語を知っている人間も、島の住人の中でも限られて来てしまっていた。


 そんな中、ロチェスターのやや外れの街、ルークシアのとある酒場に、正に、ヴァンパイアを追い求めて大陸から渡って来た、男二人、女二人の四人のパーティーの姿があった。

 まだ昼を過ぎた時間だというのに、その酒場「マクブライト亭」には、そこそこの数の客がいた。その光景に、大陸からの客人たちは、その人間たちの暇さ加減に呆れるとともに、この島の平和さを再認識していた。


「全く、どうしたというんだカーティス。お前あれからおかしいぞ。フィルモアで殺人が起こったんだ。しかもヴァンパイアの。その犯人を追っている俺たちがフィルモアから逃げてどうする。」


 そのグループの一人、壮年の男がそう言った。男の名はウォーレン・コール。この四人のリーダーを務めている人物だった。

 彼らは、先日まで、隣のフィルモアに居た。もっと言えば、先々日までは船の上にいた。

 このアトエクリフ島と大陸を行き来する港町は、フィルモア領の港町サヴァトマしかない。先日、ようやく大陸からこのアトエクリフ島に渡った彼らは、フィルモアでのヴァンパイアに関する情報を集めて回ろうとしていた。しかし、どの島民に聞いても、大陸からの余所者と一目でわかる彼らに対しては口が堅く、初手は空振りに終わろうとしていた。


 そんな初日の夜。


 彼らはヴァンパイアに襲われたのだ。


 いや正確には、ヴァンパイアに襲われかけたのだ。そして、もっと正確には、彼ら、ではなく、遭遇したのは、先ほどウォーレンに問い詰められた若い男、カーティス・レイン一人だけだった。


 彼らは、大陸で起こっていたヴァンパイアの連続殺人事件を追っていた。その事件現場は、大陸各地を転々としていたため、彼らも同様に大陸中を旅せざるを得なかった。そして、徐々に足取りがこのアトエクリフ島に向かっており、昨夜とうとうこの島に辿り着いたと言う訳だった。

 そして早速、その日の夜に犠牲者が出た。首元に穴が開いた死体を発見したのだ。カーティス以外の三人は犯人を捜すために聞き込みに回ろうとしたが、カーティスはその遺体を調べるためにその場に残った。


 その時だった。彼女が現れたのは。


「私はこの領地フィルモアのヴァンパイア、レーリア・クローデット。警告するわ、これ以上領地を荒らせば、容赦はしないわ。ヴァンパイアは人を殺さないけど、例外もある事を知る事になるでしょう。良い? 次にこの地で会ったらあなたのきれいなお顔が恐怖に歪むわよ。そして、あなたが大陸で私の事を誰かに話せば、それはあなたの死と同義となるわ。ゆめゆめ忘れないことね。あなたの良識に期待するわ。」


 カーティスは昨日の夜に遭遇した女、レーリア・クローデットと名乗ったそのヴァンパイアの言葉を思い出した。


 武器も効かず、カーティスはあの時死を覚悟した。しかし、何故かはわからないが、見逃してもらえた。

 再びあの恐ろしい化け物に狙われては命がいくつあっても足りそうにない。朝になるのを待ち、彼女の気が変わらないうちに、ひとまずフィルモア領からの脱出を図ったのだった。


「……ここは、もうロチェスター領だよな。」

「ええ、間違いないわ。」


 これまで頑なに口を開かなかったカーティスがウォーレンの言葉に答えた。その言葉に、女が地図を見ながら頷いた。彼女はアリス・ホーリーランド。若く見えるが、歳はウォーレンと同じくらいだろうか。


「そうか、なら安全か。」

「ねえ、カーティス、どうしたの?」


 ようやく安心したようにため息をつき口を開いたカーティスに、今度は若い女が心配そうに顔を覗き込んだ。彼女はシャロン・ハートフィールド。この四人の中では最も若そうに見えた。美しいブロンドの長い髪を、無造作に後ろで纏めて縛ってあるその姿は、とても元気で活発そうには見えたが、宮廷の化粧師が見れば、勿体ない、とため息をついた事であろう。

 ともあれ、心配そうなシャロンの言葉に、カーティスは昨晩から閉ざしていた口をようやく開いた。


「……実はあの後、襲われた。」

「襲われたって、誰に?」


 相変わらず、シャロンの顔が近い。カーティスはそう思ったが、そのシャロンから目を反らし、ようやくその事実を三人に告げた。


「……ヴァンパイアに。」

「何だって!?」

「何ですって!?」


 ガタンッと勢いよく立ち上がりつつ上げたウォーレンとアリスの叫び声に、数名の酒場の客が四人のテーブルを睨む。慌てて、微笑みを張り付けながら謝罪の会釈をするアリス。

 しかし、シャロンはそのカーティスの近くにあった顔をさらに近づけた。


 ゴキッ!


「いててて!」


 シャロンは、カーティスの頭をひっつかみ、力任せに真横に倒していた。カーティスの首の骨が良い音を立てた。


「大丈夫、噛まれてない。」

「何が大丈夫なもんか! 凄い音がしたじゃねえか。」

「大丈夫よ、普段ウォーレンが自分で鳴らしてる音の方が大きいじゃない。」


 シャロンはそう言いウォーレンを見る。少しバツが悪そうに、首をひねるウォーレン。


グキッ!


 確かに。カーティスはそう思ったが、慌ててその思考を振り払った。シャロンの暴論に流されては、それこそ命がいくつあっても足りない。とはいえ、そんなどうでもいいことで揉めている場合ではない。カーティスは心の中で、俺は大人だ、と言い聞かせ、目の前のお転婆娘に仕返したい気持ちを抑え込んだ。


「それで、大丈夫だったの? 何があったの?」

「一刻も早くこの島から出て行かなければ、次は容赦しない。ヴァンパイアは人を……。」


 神妙に聞いてくるアリスにこう答えたところで、カーティスは口をつぐんだ。


(いや、これはとてもじゃないけど伝えられん。確証も無い。)


 一瞬考え込むカーティスを、今度はウォーレンが覗き込んだ。


「うん? 何だ?」

「……いや、もし次に会ったら殺すと言われた。そして消えた。」

「傷を負わせたか?!」

「……。」


 ウォーレンの問いにまたしても答えられない。

 また昨晩の出来事が思い出される。

 カーティスの銃から発射された銃は、確実にあのレーリアとかいうヴァンパイアに当たった。しかし、傷一つつかなかった。


 そして、女の、あの言葉。


「これは……銀の弾丸? ふうん、大陸じゃこれが流行ってるのね。対ヴァンパイアのおもちゃとして。」


(くそっ! なんなんだよ。話が違うことが多すぎる。情報が、もっと情報が必要だ!)


「カーティス?」


 アリスの言葉でカーティスは我に返った。


「あ……いや。かわされた。撃ったけど、当たらなかった。」

「クソ!」


 ウォーレンとアリスが天を仰いだ。ひとまず、この質問責めは終了してくれたようだった。

 昨晩の段階では気が動転していて、冷静に考えられなかった彼だったが、ひとたび冷静になってみると、カーティスにとって、昨晩の出来事はおかしなことが多すぎた。


(まずは情報を集めなくては。)


「みんなはどう思う?」


 ひとまず、皆の見解を聞こう。

 昨日のわずかな時間の間に起きたあの遭遇。それが、カーティスの中で、掛け違えたボタンのように引っかかっていた。


「……ねえ、おかしくない? 自分の犯行現場を見られたのに、そいつを見逃したってことでしょ? 猟奇殺人鬼が。そんなのありえないわよ。」

「もしかしたら、私達が追っている奴とは違うヴァンパイアなのかも。」

「ああ、ありうるな。それなら他の奴が犯した殺人など興味が無くて当然だ。」


 カーティスの質問に、シャロンが疑問を呈し、アリスとウォーレンが見解を述べる。今のカーティスには、それを情報の足しにするしかなかった


(ヴァンパイアハンターの先輩であるウォーレンとアリスが「効く」と言っていた銀の弾丸は無傷だった。じゃあ、ニンニクや十字架は? これも試して見るべきだった。それに、「ヴァンパイアは人を殺さない」と言っていた。いや、そんなはずはない。人だって、人を殺める人と、殺めない人がいる。ヴァンパイアだって同じはずだ。何かの呪いにかかってでもしない限り、そんなことは……。)


「呪われた島か。」


 カーティスは脳内でぶつぶつと思考を巡らしていたが。ちょうどその時に思い浮かべた単語がアリスの口から出てきて、ビクッとした。しかし、どうやら、アリスは、あまりこの島について知らないシャロンに、この島の説明をしてくれている様だった。


「え?」

「この島は『ロチェスター』と『フィルモア』という二つの領地がある。でも私たちの国では、ここは「呪われた島」と呼ばれているのは知っているでしょう? その理由は諸説あるけど、この島がヴァンパイア発祥の地だからってのが有力なのよ。」

「そうなの!?」


(そんなことも知らずに良くヴァンパイアハンターやってんな。)


 カーティスはそう思ったが、口には出さないでおいた。


「ええ、今じゃあまり知られていないけどね。もしかしたら、私たちが追っている奴らも、ここに里帰りしたのかもしれないわね。」

「ヴァンパイアの里帰り、か。笑えんな。」

 アリスの説明にウォーレンが皮肉たっぷりに答える。全く笑えない。それに関しては同じだった。


(俺たちが追っている奴らは、ヴァンパイアの中でも、人を殺す、異端の存在なのかも。ヴァンパイアにだって、派閥に属さない奴や、ルールを破る奴もいるだろう。だとすれば、あのレーリアとかいうヴァンパイアとは違う考えを持ったヴァンパイアがいてもおかしくはない。)


 カーティスが再び考えを巡らす間に、シャロンの質問とアリスの説明は続いていた。


「諸説あるって言ってたけど、他には?」

「この島の名産品はなんだか分かる?」

「名産品……露店では、服や布が多く出回っていたけど。」

「正解。まあ、正確にはその色、ね。ここでしか咲かない『ロチェストの花』で染めた布は、大陸ではとても高値で取引されている。そして、隣のフィルモアでしか手に入らない『フィルマの花』を混ぜると、その量に応じて様々な色に変化する。」


 アリスが、立て板に水を流すが如く、この島の事を説明している。こういうのは、もともとそういうのに詳しいアリスの役目だった。


「へえ、不思議。でもそれが何で、呪いの島になるの?」

「毒なのよ。ロチェストの花はね、植物自体はもちろん、色素を抽出した赤い原液を飲めば、幻覚を見て死に至る。ロチェストの花畑で走り回ったりなんかしたら、数時間で昏睡状態よ。」

「うえええ……確かに呪いの島だわ。でも、じゃあ、この島で売ってる赤い布や服って大丈夫なの? 毒なんでしょ?」

「布に染み込んで、水分が完全に無くなるまで乾けば、毒素は抜けるそうよ。」


(もう一度言うが、そんなことも知らずに、良くヴァンパイアハンターやれてるな)


 カーティスは再びそう思ったが、確かに、自分はシャロンが加わる前に二人から教わったが、シャロンに教えるタイミングは無かった。二人がシャロンに教えて知るのも見たことがない。これは自分たちの責任なのではないだろうか。

 カーティスが、若干反省し教育の大切さについて思いを巡らせていると、これまで黙っていたウォーレンが口をはさむ。


「ちなみに、ロチェストは毒素が弱くなると色が変わる。フィルマの花は、ロチェストの解毒ってわけさ。」

「だからこの島にはロチェスターとフィルモアの二つの領地だけが栄えた。お互いバランスが取れてるってわけ。経済ってうまいこと出来てるわよね。」


 カーティスも、さすがにそこまでは知らなかった。


(なるほど、良く出来ている。さしずめ死のロチェスターと、生のフィルモアってとこか。)


 どうやらこの島に存在する、たった二つの領地が争うことは未来永劫無さそうだった。


「呪いの島だろうと何だろうとチャンスよ。今までは姿を見つけることだって出来なかったんだもん。」

「ああ、シャロンの言う通りだ。なるほどな、それでひとまず作戦を立てるためにロチェスターまで避難したって事か。ありがとう、カーティス。君の判断は正しい。」


 ウォーレンに肯定されたが、カーティスは、今はとにかく頭の中を整理したかった。この際、シャロンが少し難しい話になったから、面倒くさくなって、話をまとめにいったのは、黙っておくことにした。


「……ああ。……すまない、みんな、ちょっと疲れた。今日は先に休んでも良いかな。」

「そうね、そうしなさい。」


 アリスの了解を得て、カーティスは立ち上がる。

 大陸でも、この島でもそうだが、一般的に、酒場の上階は宿屋になっていることが多い。食事と宿の両方を兼ねられる方が、店にとっては得であることからこのシステムが当たり前になっている。

 しかしながら、旅行者がほとんどいないこのアトエクリフ島では、二階や三階の宿泊部屋は、酔いつぶれた常連の介抱スペースで使われることが多いようだったが。まあ、帰るのが面倒な客も、料金さえ払えば泊めて貰えるのだ。この島でも、このシステムはそれなりに機能していた。


 カーティスが二階に上がるのを心配そうに見送った三人は顔を見合わせた。


 昨晩はヴァンパイアに襲われ、今日の早朝から、休みなしでロチェスターに向かったのだ。まだ昼過ぎとはいえ、疲れ切っていることだろう。

 それにあのカーティスの状態では、少し落ち着く時間も必要そうに思えた。

 長い付き合いの四人である。顔を見合わせただけで、どうやらそのような無言の意思疎通が行われたようだった。


「私達はどうする?」

「そうだな、ロチェスターは初めてだし、私はアリスと街の調査と聞き込みをしよう。」

「じゃあ、私も。」

「シャロン、君はここで待機していてくれ。大丈夫だとは思うが、唯一の目撃者だ。カーティスがまた襲われないとも限らない。」


 ウォーレンの提案に乗り、立ち上がろうとしたシャロンだったが、しっかりとリーダーらしい指示をされる。たまに抜けているところもある気のいいオジサンだが、彼のこういうところはとても信用出来る。シャロンはウォーレンの指示に従う事にした。


「あ……うん、そうだね、分かった。さすがウォーレン。」

「ははは、伊達に歳は食ってないさ。」

「気を付けて、アリス。」

「そちらもね。」


 そう言い残し、ウォーレンとアリスは、銀貨、銅貨を数枚置いて出て行った。


 改めて一人になると手持無沙汰でやることも無い。ここは初めての見知らぬ土地である。大抵こういう時は街の散策に出たくなるのだが、この店での待機を命じられた以上、ここから出る訳にもいかない。


(ヴァンパイアが殺した現場に、別のヴァンパイアが現れるでしょ? 島から出て行けって事は、そのヴァンパイアは犯人のヴァンパイアの仲間?)


 シャロンは、銀貨と銅貨を弄びながら珍しく、事件を推理した。

 しかし、情報不足もさることながら、特別頭を使うことが苦手なシャロンにまともな考えが浮かびそうも無かった。


 しかし。

 その男が入って来たのは、正にその時だった。



******



下僕げぼくのごとき使い魔の身でありながら、ご主人様にこのようなことを申し上げるのは非常に心苦しいのですが……。」


 黒ずくめの少女が私にそう口にしたのは、その日、私が起きて、朝食を口にした直後だった。

 たまにメルはこういう物言いをする。用件はわかっている。メルの主人でもあり、この館の主でもある私、アルクアード・ブラッドバーン男爵にお使いを頼もうという魂胆なのだろう。


「なんだ、今更だな。洗濯か? それとも買い物か?」

「後者。」


 体言止めかよ。と言うか、止めも何も、体言しか言ってない。

 せめて「ございます」とか「なのですが」とかないのだろうか。


 しかし、アルクアードは文句ひとつ言わず、その猫の使い魔の言い分を受け入れた。そもそも、私の都合で、着の身着のままの猫の生活から、無理やり使い魔なんぞにしてしまい、その挙句にこの広い館の家事一切を任せているのだ。これで、メルの手が回らない部分への手伝いを拒むようではあるじ失格と言うものだ。


「で、私は何をすれば良いのかな?」


 何事もなかったようにメルに聞く。メルは少し驚いたように耳をピクッと動かした。


「はい、マックスの店に調達をお願いしてあった食材とワインを取りに行っていただけますと大変助かります。」

「そうか、マクブライト亭に行くのも久しぶりだし、マックスに挨拶もしたいしな。ちょうどよかった。」


 私は、早速出かけるために準備に取り掛かった。この森の入口と、ルークシアの街は目と鼻の先。鞄と外套だけで十分だろう。

 そう思い、掛けてあった諸々を引っ掴んだ。


「お使いに文句ひとつ言わないとは、ご主人様の成長に、メルは嬉しゅうございます。」


 ちょっと上から目線なのが気になる。以前の私なら、メルに盛大なツッコミを入れていたことだろう。


「そうか、永遠の命を持つ我々も成長できることが証明されたのなら、それは喜ばしいことだな。」


 メルのからかいに乗っかっては駄目だ。ここは一つ、大人な対応に徹しよう。


 しかし、メルの表情は私を驚かせた。

 大きな目を潤ませ、今にも泣きだしそうな表情で怯え始めたのだ。


「ご、ご、ご主人様、ど、ど、どうされたのですか? ま、また、何か変なものでも食べたのですか?」


 ちょっと待て、何故泣く。私はこんな対応をするメルを未だかつて知らない。ついでに言うのであれば、過去に変なものを食べた覚えはない。


そもそも……。


「変なものを食べたとすれば、それは作ったお前が一服盛ったって事だろうが!」


突っ込んでしまった。


その刹那、メルは満面の笑みに変わり、満足そうに部屋を出ていった。


(なんなんだ、あいつは。)


 まあ、今思えば、メルにしてみれば、私をからかい、私とツッコミや口論を繰り広げるのが唯一の楽しみなのだろう。私が、聞き分けが良くなってしまっては、その楽しみを奪ってしまうことになりかねない。つまり、今後は、反論やツッコミをしつつ、良き所で折れなくてはならない、と言うことか。これはなかなか塩梅あんばいが難しそうだ。

 そう思ったが、よくよく考えれば、メルに口論で勝てたことなどほとんど無いのだから、今まで通りで良さそうだった。


(あいつの手を煩わせないようにしようと思ったのだがな。)


 本当に女心って奴は難しい。

 いや、この場合は、めす心か。あるいは猫心かもしれない。

 いずれにせよ自分のような朴念仁は、余計なことはするな、ということなのだろう。


 私は、何か良く分からない理由で、何か良く分からないものに勝手に敗北し、館を後にした。



 食材の調達をお願いしている「マクブライト亭」とは、随分と永い付き合いになる。およそ百年前に、私の友だった人物の一人、先々代のゼプス・マクブライトが作った店だ。そして、今はその孫、マックス・マクブライトが店を切り盛りしている。若き日のゼプスは大陸で料理人をしていたが、ある時、その店の主人が強盗に合った。そして首謀者の罪をなすり付けられそうになって、この島に逃げて来たとのことだった。

 そこで、たまたま出会った私が資金を援助し、店を出す手助けをする代わりに、館に必要なものの調達を任せる事になったのだ。それ以来、マクブライト亭は、ブラッドバーン男爵家の御用達ごようたしの店となったのだった。

 ゼプスの味はしっかりと引き継がれており、百年経った今でも、主人のマックスの作る料理はとても美味しかった。


(たまには、遊びに行かないとな。)


 長い命を持つとどうも、時間間隔が分からなくなる。そんなに長い時間経ってないようでも、いつの間にか二年、三年経っていたりする。本当に気をつけねば、いつも間にかマックスの孫が切り盛りしている、なんてことになりかねない。


(まさか、既に……。)


 一瞬そんな不安がよぎったが、扉を開けた瞬間に私の瞳に映った、見慣れた姿に安心した。


「いらっしゃい。」

「ようマックス、しばらくだね。」

「おお、アルクアード、元気にしてたか。」


 威勢のいい声が響く。実際は私の方が二五〇歳ほど年上のはずだが、寧ろ風体で言えば私よりも年上に見えるその男は、風体通りに、良い意味で馴れ馴れしく声をかけて来た。


 やはり知己と言うものは良い。

 私は、主人にお使いを命じた使い魔にとても感謝した。そして、ちょっとこの一文に引っかかるものが合ったが、気にしないことにした。


(今度お忍びでファリスも連れてきてやろう。)


 どうせあの育ちの良い若き伯爵は、こんな店に来たことなど無いのだろう。私は、伯爵家の料理人とマックス、どちらが美味いか勝負させてみたくなった。


「だったらそのヴァンパイアがカーティスを見逃した理由は何?」


 私とマックスの近くのテーブルで、コインを弄びながら、見慣れない金髪の女がブツブツ言っていた。が、その言葉は私には聞こえなかった。


「私に限っては元気も何もないさ。」

「はっはっは、ちげぇねえ。」

「きっとヴァンパイアならではの理由があるんだ。ヴァンパイアならではの……。」


 挨拶を交わす私とマックス。ブツブツ言っている金髪の女。


「ヴァンパイアなんて因果なもんさ。」

「そうか、ヴァンパイアも大変だな。」

「そう、ヴァンパイアも大変なのよ……。ぬあたぁ?!」


 ブツブツ金髪女は驚いて、大きく椅子から倒れた。

 なんだ? 真昼間からそんなに酔っぱらっているのか? 良い身分である。


「おいおい、大丈夫か? 嬢ちゃん。」


 慌ててマックスが駆け寄り、起こすのを手伝ってやる。

 相変わらず、酔っぱらいの相手ってのは大変だな。


「あ、あは、あはは、す、すみません、ちょっと酔っちゃって、その、すみません……。」


(飲み過ぎもほどほどにしなさいよ、レディ。)


 私は心の中で女に忠告を送る。

 女は再び椅子に座った。マックスは、一度奥に去り、荷物をもってこちらに戻ってきたが、女はどうやら我々を、いや、私を盗み見ている様だった。


「はい、これがメルちゃんに頼まれてたやつな。」

「ああ、ありがとう。」


 マックスから受け取った荷物を鞄にしまう。流石はマックス。食材もワインも一級品だ。この店の目利きは本当に信用できる。いつまでもこれを引き継いでほしいものだ。


「それにしても使い魔にお使いに行かされるなんて、世の中でもお前くらいのもんだな。」

「ちゅかいま!?」


 女が先ほどよりも派手に椅子から落ちた。

 そして付け加えるなら派手に噛んだ。

 さらに、そして、直ぐに起き上がった女は慌てて、マックスに「大丈夫です」のジェスチャーをし、椅子に座る。そのスピードに、マックスが近寄る暇も無かった。


「いや、ちょうど良かったよ。久々に君にも会いたかったしな。」

「嬉しいねえ。あんたが居りゃ安心だ。この先も、うちのせがれも、孫の代も、この店の面倒、頼むよ。」

「まだまだ現役だろう、そんな事言うなよマックス。」


 ひとまず金髪女を無視し、マックスと会話を交わす。本当はもっとゆっくりしていきたいところだったが、あまり道草を食っても、主人である私が、使い魔に怒られてしまう。そして再びこの一文に引っかかった私であったが、またもや気にしないことにした。


「ではまたな、マックス。」


 マックスに別れを告げ、店を出ようとした時、奥のテーブルから声をかけられた。

「おう、アルクアード様、今日は飲んでいかないのか?」


 彼らはこの店の常連だ。名前は知らないが、良くこの店で挨拶を交わす仲だ。そう言う、名も知らぬ相手との一期一会の関係もとても良きものである。ここはそういう場所だった。


「ああ、メルが料理を作ってるんでな。」

「今度はメルちゃんも連れて来てくれよ。可愛いよなあ……メルちゃん。」

「おまえ、メルちゃんタイプかよ。」

「ああ、超かわいい。」


 彼らはメルが元猫で、使い魔でヴァンパイアであることを知らないはずだ。メルの耳も尻尾も、彼女の趣味(だと私は思っている)服装でしっかりとカモフラージュされているからバレはしないだろうし、その辺は、あいつは抜け目ないはずだった。

 しかし、自分の好みの美少女が実は猫だと知ったら卒倒するだろうな。

 そうだ、一つ確認しておこう。


「ああ、メルに伝えておくよ。ところで君は家で猫を飼っているかい?」

「ああ、なんで分かったんだ?」

「いや、いい。ではまたな。」


 さて、これで、彼が、メルの外見がタイプなのか、それとも猫好きの本能なのか、あるいはその両方なのかが分からなくなった。

 私は、そんな愚にもつかぬことを考えながら、店を後にしたのだった。



******



 木々が立ち並ぶ林道。

 ブラッドバーン男爵家、そしてブラッドバーン男爵領の森に続く道である。さすがにこの道に入ると、両側にそびえ立つ幹の高い木が日光を遮り、まだ夕方前だというのに、少し薄暗かった。


 その道に入り、シャロン・ハートフィールドは少し不安になった。


 店でたまたま見かけた男は、自分の事をヴァンパイアだと名乗った。しかも、真昼間から、店の主人に堂々と。いや、店の主人にも、彼がヴァンパイアであることを知っている様子だった。あの様子では、もしかしたら、別の席で飲んでいた他の客も知っているのかもしれない。


 先ほど起こった全ての出来事が、シャロンの常識から全てが外れていた。いや、正確には、シャロンの知っているヴァンパイアの常識から全てが外れていた。

 これを好機チャンスと感じ、彼女は、店からアルクアードを尾行したのだった。

 かなり前を歩く男を、気を付けて、完璧に尾行しながら、女は独り言を漏らした。


「ヴァンパイアのくせにあんなに人と親し気に。何なのよ、このロチェスターって。……ヴァンパイア……あれが、ヴァンパイア……初めて見た。あんな恐ろしい真っ赤な目……見たことない。」


 どんどん薄暗い森へ入っていくヴァンパイアの男。

 少しずつ不安になっていく。


(お父さん、お母さん、私に勇気を頂戴。)


 シャロンは、そう心の中で唱え、自身を振るい立たせた。そしてまた一歩、自らの足を前に進めた。



 その時のシャロンは、その先に待ち受ける自分の運命など知る由も無かった。



(つづく)

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