第2話 賭けと事件の始まり

 その日は雨だった。


 滅多に雨の降らないこのアトエクリフ島において、雨は、もの凄く良いことが起こる兆しか、とても悪いことが起こる前触れと言われていた。


「そんな迷信ですら、悪い事と半々だなんて、さすがは『呪われた島』だな。」


 青年は少し自嘲気味にそうこぼした。今の彼にとっては、どうやらこの雨は後者のようだった。


 コンコン。

 控えめなノックの音がする。どうぞ、と答えると、館のメイド長が入って来た。


「ファリス様。御父上がお呼びでございます。」

「そうか、わかった。直ぐに参ろう」


 青年は、名をファリス・ロチェスターと言った。このアトエクリフ島の二つの領地、ロチェスター伯爵領と、フィルモア伯爵領。そのうちの前者、ロチェスターの現伯爵、ローガン・ロチェスターの息子であり、つまりは次期伯爵でもあった。


 そして彼は、病に伏し日に日に弱っていく父を前に、残念ながら、その位に就くのはそう遅いことでは無いと覚悟していた。


「父上、ファリス、参りました。」


 大きく声を上げ、入室の許可の前に扉を開ける。少しでも父の体力を使わせるわけにはいかなかった。


「おお、来たか。」

 

 ベッドで上半身を少し起こした状態で、ローガンはファリスに笑いかけた。


 あの昔の豪胆な父は、今や見る影もないほど痩せ細り、誰がどう見てもそう長くは無いように思えた。会うたびにファリスに投げかけられる医者からの「必ず良くなります」「峠は越えました」といった言葉を額面通りに信じるほど、彼は子供でもなく、思考を放棄してもいなかった。


「父上、お呼びでしょうか。」

「ああ。」

 ローガンはそう頷くと、少し呼吸を整えた。もはや、言葉を発するのもお辛いのかもしれない。ファリスは、父の苦しそうな姿に思わず目を背けた。


「私が死んだら、取り決め通り、葬儀は身内の者だけで行うように。そして、それが済んだら、お前はアルクアードのもとに行くのだ。」


 ゆっくりだが、しっかりとした口調でローガンは言った。存外父はまだ大丈夫なのではないか、そんな期待がファリスの中に芽生えるほど、ローガンの口調は安定していた。


「父上……そんな、弱気な。」

「そういうのは、いい。」


 父に止められて、励まそうとした自分をファリスは恥じた。これでは先ほど否定したような医者どもと同じではないか。


 それにしても、アルクアード・ブラッドバーン男爵は何をしているのだ。親友なのでは無かったのか。父の体調が悪化して以来、一度も見舞いにすら姿を見せず、このまま看取ることもしないというのだろうか。


「父上……ブラッドバーン男爵をお呼び……。」

「ならん!」


 ファリスがそう思い、口を開いた直後、ローガンが怒鳴り声を上げた。慌てて、外で控えていたメイド長が入ってくる。ローガンは彼女を手で制した後、再び外に出し、バツが悪そうに軽く咳をしながら言った。


「アルクアードを呼んではならん。絶対にだ。これは、我がロチェスター家代々の当主と、アルクアードとの取り決めだ。」

「父上……。」


 何を言っていいのかもわからず立ち尽くすファリスに、ローガンは優しく答える。


「アルクアードを責めてやるなよ。あいつも本当は私に会いたいのだ。毎日でもここに来て、果物でもつまみながらチェスを出来ればどれだけ幸せか。しかし、それは許されない。」


 何故です、とは、ファリスは訊かなかった。ロチェスター家においては、このたぐいの「何故」という問いには必ず同じ答えが返ってくるからだ。


(答えられない。それがアルクアードとの取り決めだ。)


 ファリスは幼き頃からその何百回も聞いてきた、まるで開かずの扉の様な父の回答を心で反芻はんすうした。しかし、父ローガンは、これまでとは違い、少しその扉を開けた。残念ながらその扉の向こうにはすぐにまた別の「謎」の扉が待ち受けていたが。


「それは、彼の罪でもあり、そして、この七代目ロチェスター伯爵、ローガン・ロチェスターの罪でもある。」

「罪……?」


 さすがにこちらの謎には答えてはもらえないようだった。


「ファリスよ。」

「はい。」


 きっとここからが本題だ。更には、きっと、決して忘れてはいけない、生涯において最も重要なことをきっと父は言う。父の目の中に光る意志の炎のようなものを見て、ファリスはそう悟った。


「お前は代々のロチェスター伯爵と同様、アルクアード・ブラッドバーン男爵を、若きときは兄として、歳を重ねれば友として、彼に助力を乞い、彼を支えてやってくれ。」

「はい。」

「そして、これは、代々のロチェスター家は関係ない。私個人の頼みだ。聞いてくれるか?」


 決して聞き漏らすまい。ファリスはそう思い、神妙に頷いた。


「もしも私の言う意味が分からなければそれでいい。その時は、この願いをお前の息子に引き継いでくれ。」

「はい。」


 そして、ローガン・ロチェスターは、人生最後の願いを、最愛の息子に口にした。


「ファリス……もしも見つけることが出来たなら、お前が……。」



 その部屋に存在しているたった一人しか知らない、その密かな願いを息子に受け渡し、その翌日未明、ローガン・ロチェスター伯爵は逝った。


 そしてファリス・ロチェスターが、正式に伯爵となり、代々のロチェスター家の決まりと父の遺言に従い、アルクアード・ブラッドバーン男爵家を訪ねたのはそれから七日後の事だった。



******



 我が親友、ローガンが亡くなり、先刻、息子のファリス・ロチェスターが私の屋敷を訪ねてきた。


 私には、やらなければならないことがある。それは、私に課せられた贖罪であり、義務だ。そうして私は、これまで三百年に渡り、ロチェスター家の伯爵達と友情を育んできたのだ。

 今回も、私はこの目の前の聡明な青年に秘密を教えなくてはならない。最も彼がそこまで辿り着ければ、の話だが。


「ヴァンパイアは人には殺せない。ヴァンパイアは人を殺さない。ヴァンパイアは増えない。これが我々ヴァンパイアのルールだ。」


 私がヴァンパイアのルールを口にすると、ファリスは表情一つ変えずに言った。


「ちなみに、そのルールについての『何故』には答えて頂けないのですよね?」

「ああ、今はまだね。ローガンから聞いた通りさ。」

「なるほど……。」


 顎に手をあて、ファリスは少し考え込んだ。それを見て、私は不覚にも亡き友に想いを馳せざるを得なかった。これはローガンがチェスで次の手を考える時にする仕草だ。全く、こんな仕草まで親に似なくても良いだろうに。

 まるで若い時のローガンと話をしているかのような感覚に、少し目頭が熱くなった。


 ともあれ、ファリスがローガンから具体的にどのように聞いていたかはわからない。が、恐らくは、ヴァンパイアの秘密はアルクアードから聞くように、と。そして、その答えは自分で勝ち取るように、と伝えられているはずだ。


「質問をお許し頂けますでしょうか?」

「ああ、何なりと。答えられるかどうかはわからんが。」


 さて、このさとい青年は何を聞いてくるのだろうか。


「ありがとうございます。……その、父は良くブラッドバーン男爵の……。」

「ファリス。」


 私は呼び方を注意した。こういうのは最初が肝心だ。


「え? あ……あはは、なかなか慣れませんね。父は良くアルクアードの事を親友だと話しておりました。」

「うん、それで?」

「はい。その、ヴァンパイアであるアルクアードは、特定の相手をヴァンパイアにすることが出来るのですよね。」


 私は少し思考を巡らし、彼の質問の意図を探る。しかし、それよりも早く、隣に控えていたメルが口を開いた。


「親友ならば、どうして御父上を、ロチェスター伯をヴァンパイアにしなかったのか? と言う事ですね?」

「メル。」

 一応たしなめるが、まあ、彼の意図はそう言うことだろう。


「……先ほどあなたは仰いました。『なぜ彼らの様に私の理解者が、友に時間を歩んで行ってくれないのだろう』と。ならばヴァンパイアにしてしまえば良かったのではないですか。」

「そうすれば、御父上は助かったのに、と?」


 遠慮なく、ズカズカと切り込んでいくメル。こいつはこいつで、この目の前の若き伯爵が、主人たるこの私、つまりアルクアード・ブラッドバーン男爵と共に歩んでいける人間かどうかを見定めているのだろう。別にとがめ立てするほどの事ではない。ただ、可愛い顔と恰好に似合わず、好戦的なのはどうにかしてもらいたいものだが。


「いえ、そうではありません。」


 メルの指摘を、ファリスは意外にもあっさりと否定した。


「ほう、では何故そう思う?」


 父親を助けるためでなければ、なにをもって、ヴァンパイア化してしまえばよかった、と言ったのだろう。この言葉には流石の私も興味を持った。


「何故って、共に時間を歩める仲間が居ないなんて、永久の孤独と変わりません。」

「いや、共に時間を歩んでいるぞ。ローガンとも、そして君とも、ほらこうやって。」

「……そういう意味ではなく。」


 まさか、永劫の時を生きる私をおもんぱかってのことだったとは。はぐらかしはしたが、その彼の言葉に、私は、彼のある種の思いやりの様な、あるいは情緒的な思想の様なものを感じた。


「あはは、冗談だよ。……それはね……出来ないんだよ。ファリス。」

「先ほどの『ヴァンパイアは増えない』と言う奴ですね。」

「ああ。」

「そして、その『何故?』には……。」

「ああ、答えられない。今はね。」


 もう十分だろう。彼はとても優秀で、聡明で、思いやりのある男の様だ。私自身も、ファリス・ロチェスターと言う男に興味が湧き始めている。もう次のステップへ進もうじゃないか。


 また、ローガンのように顎に手をあて考え込んでいるファリスに向かって私は口を開いた。


「さて、ファリス。我々ヴァンパイアの存在意義はなんだと思う。」

「ふぇ?」


 突然私の口から飛び出した、自己啓発の聖職者しか使わないような単語に、ファリスは面食らった。


「変な声を出すんじゃない。朽ち果てることなく生き続ける、我々の存在意義だ……。」

「存在意義……ですか? そんなもの、人間でも理解しているものは居ないと思いますが。」

「ヴァンパイアにはね、あるのだよ。確固たる存在意義が。」

「それは一体なんです?!」


 人は、思春期には、「生まれてきた理由」や「人生の意味」などの様な青臭い自問自答を一度はするものさ、とローガンが昔に言っていたのを思い出した。もちろん、そんなものに答えなんてあるはずもない。しかし、それらに勝るとも劣らないくらい青臭い「己の存在意義」などと言う命題に、ファリスは想像以上に食いついた。まだまだ彼も思春期だということだろうか。


 私のそんな思考とは別に、答えない私を見て、ファリスは落胆の表情を浮かべた。


「……これも、お話頂けない、ということでしょうか?」


 流石にちょっと可哀そうになってくる。このままでは、彼は、伯爵家の自室のベッドで悶々としながら、謎というストレスと戦い続け、寝不足になってしまうだろう。伯爵領にとっても、ロチェスターの領民にとってもそれは色々と都合が悪そうだ。


「いや、違うぞ。ファリス。……メル。」

「はい。」


 私はメルにこれからの説明を促した。ファリスは、私の言葉に少し表情を明るくさせながらも、真剣なまなざしで、一歩前に出たメルの言葉を待っていた。


「代々のロチェスター伯とご主人様は、そのヴァンパイアの秘密を賭けて勝負をしておられます。なぜご主人様がローガン様をヴァンパイアにしなかったのか、ヴァンパイアの存在意義とは何なのか、その他のルールの謎も、全ては賭けの景品となります。」

「賭……け……?」


 ん、気のせいか? 心が一瞬ざわざわした。ファリスが少し、圧倒的に悪魔的な笑みを浮かべたように感じたが。


「私のささやかな楽しみだよ。こうして代々ロチェスター伯と私は多くの時間を共にし、友情を育んで来た。まあ、いつの間にか慣習化してしまったがな。ローガンから聞いていなかったかい?」

「……ふふふ、そういうことですか。」


 気のせいではない。ファリスは「まさに僥倖ぎょうこう、圧倒的僥倖」という言葉が聞こえて来そうなほどの、悪魔的微笑みを携えていた。私もメルも、その微笑みに、背筋にざわざわしたものを感じざるを得なかった。


「な、なにか?」


 メルが、あのメルが、ファリスの醸し出す不穏な空気に気圧けおされている。これは珍しいもんを見た。


「いえ? 思えば? みょーな父の教育の数々に? 合点がてんがいったと言うことです。」


 もはや完全にニヤついている。こいつは本当に、先ほどまでのファリス・ロチェスターと同じ人間か?


「ローガンの妙な教育? 私の秘密を明かさなかったり、かい? それは私とローガンの取り決めだよ。君と白熱した勝負が出来るようにな。」

「ええ、それもあります。」


 良く分からないが、既に完全に主導権を握られていた。やだ、人間って怖い。


 私は、ファリスの良く分からない笑みと怪しげな言動に、虚勢を張るのが関の山だった。


「ほほう、他には?」

「それは……。」

「……それは?」

「秘密です♡」


 人差し指を口元にあて、片眼を閉じてそう言い放つファリス。もしもこの世に、仮に魔族とか言う様なものが居るとしたら、きっとこういう仕草を取る奴の事を言うのだろう。


 しばしの間。滅多に汗をかかないヴァンパイアである私が、少し背筋に気持ち悪い汗をかき、あっけにとられていたが、ファリスは、ふっと元の表情に戻り、礼儀正しく提案をしてきた。


「では私も、代々の習わしに従い、ヴァンパイアの秘密とやらを賭けの景品にいたしましょう。せっかくです、父の弔いにこれから一勝負いかがですか?」


 先ほどまでのファリスは何だったのだろうか。まあ、いい。気のせいだと思うことにしよう。それよりも今は彼の提案だ。親友の息子にそう言われては、逃げる訳にはいかない。


「さすがはローガンの息子だ、受けて立とうじゃないか。」

「ではメル、チェス盤の準備を頼めるかな?」

「承りました、ロチェスター伯爵。」


 メルが、何事もなく部屋を立ち去ろうとする。いや、おかしいぞ、今の会話は。


「うん? 何故勝負の内容がチェスだと?」


 不敵に笑うファリス。私は、私のその言葉に振り返ったメルと顔を見合わせた。

 そうか、彼の自信の原因はこれだったのか。


「こ、これは、手ごわいかもしれません、ね。ご主人様が、苦戦されるのが、目に、見えるようです。」


 おい猫娘よ。完全に笑いをこらえた表情で何を言っている?

 どうやらここには私の味方はいないようだった。


 まあいい。ファリスがどんなに腕に自信があろうが、私が代々のロチェスター伯爵と、どれだけ戦ってきたと思っている。それはもう数百年単位である。年季が違うのだ、年季が。たかだか始めて十年やそこらの若造に後れを取るようでは、ヴァンパイア失格だ。良いだろう、せいぜい経験の差と言うものを思い知らせてやるとしよう。


「ああ、そうでした。すみません、その前に、アルクアード。王都からロチェスター家に書簡が届きまして、そのご報告を。」

「ん、王都から? なんと?」


 ファリスのその言葉に、私は、珍しく闘争本能につけていた火に水を差された形になったが、さすがに王都からの書簡では、聞かないわけにもいくまい。


「大陸でヴァンパイアがらみの事件が多発しているらしいのです。」

「ヴァンパイアがらみの事件?」

「ええ。なんでも、ヴァンパイアが人を殺した、という事件が多発していて、ヴァンパイア狩りをする集団が現れたり、怪しい奴をヴァンパイアとして捕まえたりしているらしいとか。」


 何を言っている。そんなことはありえない。私はそのファリスの言葉を無下にあしらわざるを得なかった。


「ふん。愚かな、あり得ん。そんな噂、そのうちつゆと消えるさ。王都にも、大陸にも、私がヴァンパイアであることは、いや、そもそもヴァンパイアの存在自体知られていない。この呪われた島以外では『ヴァンパイアは伝説上の生き物』さ。それに……」

「ヴァンパイアは人を殺さない。つまり、先ほどの殺人事件はありえない。ですね。」


 やはりファリスは頭が良い。これはチェスでも良い勝負が期待できそうだ。


「ああ、何かの間違いさ。気にすることは無い。隣のフィルモア領は問題ないだろう。何が起きても、フィルモア伯とレーリアが対応するはずだ。ロチェスターとしては、大陸からの流れ者にさえ注意しておけばいい。」


 まだ政治経験の浅いファリスだ、ある程度、せめて私の秘密を全て話すまでは、私が問題の解決策を示唆するくらいはしてやらなければならない。


「フィルモア伯と……レーリア・クローデット子爵様、ですか?」

 ファリスは、突然出てきた隣の領地の女性子爵様の名前に引っかかったようだった。


「ああ、君は、彼女に会ったことがあるのか?」

「いえ、噂だけです。滅多に表に出ていらっしゃらない、深窓のご令嬢のような方だと聞いております。ロチェスターの人間では、お目にかかる機会はまずないかと。そもそも本当に存在しているのかどうかも……。」


 まあそうだろうな。事情を知らなければ、そう言うことになるだろう。

 それにしても、そんなに引きこもらなくても、フィルモア領の領民とくらいは、触れあっても良さそうなものなのだが。


「レーリアはいるぞ、ちゃんとな。まあ、彼女もヴァンパイアだからな、おいそれと表に出づらいのだろう。」


 私に何を言われたか認識できなかったファリスが、しばしの沈黙の後「はぁ!?」と大声を上げて、顎を外し、目が飛び出さんばかりの面白い顔をした。


 うん。その表情が見られただけで、今日の私の勝負は勝ちだ、そう言っても良さそうであった。



******



 場所は変わって、フィルモア領のとある町の裏通り。

 時刻は、正確にはわからないが、全ての酒場が閉まり、出歩くものもほとんどいないくらいの深夜であろう。


 路地を男が一人かけていく。


「見つけた!」


 男はしゃがみ込む。そこには、無残な姿で石畳に転がる男性の骸があった。


「クソッ! 遅かったか。」

「大丈夫、ウォーレン!」


 男の後ろから、更に走って追いかけて来た若い女がそう言った。ウォーレン、と呼ばれた最初に遺体に駆け寄った男が立ち上がる。


「死因は?」

 若い女が尋ねる。


「首のところ見てみろ、二つ穴が開いている。クソッ、ヴァンパイア風情がなめた真似を。」


 ウォーレンにそう言われ、若い女は遺体に近づく。確かに首元に二つの穴が見える。恐らくこれが致命傷だろう。女はそう思った。


「ウォーレン、シャロン、駄目だ、目撃者は居ねぇみてえだ。……うわ、ひでぇな。」

「それも、ヴァンパイアの仕業?」


 更に彼らの仲間らしい二人の男女が、単発式の銃を構えながら用心深くその路地に入って来る。


「ああ、まさに正に、神出鬼没、か。」

「ヴァンパイアを神なんかに例えないで。あいつらは悪魔よ。猟奇殺人鬼よ。絶対に許さない。全てのヴァンパイアをこの銀の弾丸でハチの巣にして、全ての穴にニンニクを詰めてやるわ!」


 憎々しげに答えるウォーレンに、怒りを堪え切れない若い女――シャロンがまくしたてた。


 この四人のリーダーと思われる最初に走って来た男の名はウォーレン・コール、若い女はシャロン・ハートフィールドといった。そしてその後から追いかけて来た若い男の名はカーティス・レイン、中年の女をアリス・ホーリーランドと言った。彼らは、大陸で起こっていたヴァンパイアの殺人事件を追いかけて、この島まで渡って来た者達だった。


「ヴァンパイアの足取りを追ってずいぶん来たけど、こんな島にまで来るとはね。」

「しかも、着実に殺人を犯しながら、だ。」

「参ったわね。」


 アリスとウォーレンが憎々しげに吐き捨てた。きっと、よほどの犠牲者を追いかけ、そして看取って来たのだろう。そんな様子が伺えた。


「まだ辺りに居るかもしれん。探すぞ。」

「ええ!」

「俺は少し、被害者を調べてみる。後で合流しよう。」


 ウォーレンの号令に立ち上がるシャロンとアリスだったが、若い男、カーティスは、ゆっくりと被害者に近づいていた。


「分かった。」

「ここは『呪われた島』よ。十分気を付けて。」


 カーティスにそう言い残し、ウォーレンとアリス、シャロンは銃を構えて走って出て行った。


 一体何だってんだ。何が目的でこんなに人を殺しやがる。

 何度となく心の中でも、言葉でも、思い、言ってきたフレーズがまたこぼれる。

 大陸で、カーティスがこれまでに見て来た十数件の事件の死体、全てが同じだった、首に大きな穴が二つ空いている状態で息絶えていた。一体この犯人は何が目的なんだ。


 ふとカーティスは、男の懐にある何かに気が付いた。それは肩から提げられ先が引きちぎられたベルトの様なものである。カーティスはそれをするりと抜き取る。


「これは……鞄、が付いていたのか?」


 何か違和感を感じながら、カーティスはその遺品のベルトを自分の懐にしまった。


「どうも血の匂いがすると思ったら、ヴァンパイアの殺人事件とはね。」


 刹那。

 彼を恐怖が襲った。


 こんな時間に出歩いている奴などいるはずがない。

 仮にいたとしても、物静かな裏路地だ。誰かが来れば気配に気が付かないはずがない。

 しかし、なんの前触れもなく、その女は立っていた。

 彼の目の前に。

 まるで血にまみれているかのような、真っ赤なドレスを身に着けて、無邪気に死体を見つめている。


「な、何者だ!?」

「馬鹿馬鹿しい。そんなことあるわけないじゃない。」


 女はカーティスを無視して話を続ける。正確には会話になっていないのだから、独り言を続ける、の方が正しいかもしれない。


「貴様、質問に答えろ。何者だ。」


 カチャリと銃を構え、カーティスは叫ぶ。仕方なく、女は冷たい笑みを浮かべてカーティスに意識を向けた。


「先に名乗るのが礼儀ではなくて?」


 どうやら会話は出来るらしい。しかしそれで十分。そのたった一点によって、化け物や悪性の類ではないことが証明されたのだ。カーティスは、ほんの少しだけではあるが冷静さを取り戻すことが出来た。


「……俺はカーティス・レイン。ノースランドから来た。」

「大陸の人間がこんな呪われた島に、いったい何の用?」

「俺たちはこの事件をずっと追ってここまで来た。過去に何人も同じやり口で殺されている。」

「……そう。つまりこの事件の犯人であるヴァンパイアを倒すため、というわけ。」


 なんだ、意外に話が通じるじゃないか。カーティスはそう思った。しかし、そう思えば思うほど、こんな深夜に、貴族のドレスのような装いの美女が、死体から目も背けず、銃口に怖気おじけづきもせず、微笑みを浮かべている、この状況の異常さが際立つだけだった。


「ああ。さあ、俺は答えたぞ。つ、次は、おま、い、いや、あ、あなたの、番だ、です。」


 カーティスは、もう恐怖で気を失いそうだった。いや、常人なら失っていてもおかしくはない。そんな中でも、銃を構えて立っていられることと、一応言葉で意思表示が出来るところは、彼の精神力が並外れたものであることを人知れず証明していた。


「私はレーリア。……ヴァンパイアよ。」


 そう言った女は、初めてカーティスに正面から向き直った。


 そこに並ぶ二つの赤い光。

 それは目だった。


 この瞬間を追い求めていたはずだったのに、この瞬間の為に大陸から何年もかけて旅をしてきたはずなのに、いざ、その瞬間が訪れた時、彼の心にあったのは恐怖だけだった。


「やっぱり。ヴァンパイアを見るのは初めて?」


 ニコニコ微笑みながら、ゆっくりカーティスに近づくレーリア。彼は知っていた。こういう、銃口を向けられても笑っているような精神状態の人間が一番恐ろしいことを。

 そもそも目の前の女が人間なのか、そもそも彼女の精神状態がそうさせるのかは、甚だ疑わしいところであったが、もちろん彼にそんなことを考える余裕などこれっぽっちも残っていなかった。


「近寄るな! 撃つぞ。」

「ちゃんと警告できるだけの冷静を持ち合わせているあたり、なかなか律儀な人ね。」

「よせ! 本当に撃つぞ!」


 ありったけの虚勢を張って、警告と脅しをかける。

 頼む、目の前から消えてくれ。

 カーティスのそんな願いも空しく、女は絶望的な一言をカーティスに投げかけた。


「どうぞ?」


「う、く、……うおおおお!」


 カーティスは銃弾を発射した。この距離だ、確実に当たった、はずだった。しかし、女はびくともせずにその場に立っていた。それどころか、自分に当たり地面に落ちた弾丸を拾い上げ、手でもてあそんでいた。


「そ、そんな。」

「これは……銀の弾丸? ふうん、大陸じゃこれが流行ってるのね。対ヴァンパイアのおもちゃとして。」


 カーティスには、言っている意味が分からなかった。ウォーレンからは確かに、ヴァンパイアには銀の弾丸が有効だ、と聞いていた。そのはずなのに。

 もはや、目の前で起こった状況に、カーティスは絶望し、死を覚悟するしかなかった。


(……ごめん。姉さん。)


 しかし、その後の「殺人鬼のヴァンパイア」だと思っていた彼女の言葉は、カーティスの予想を超えたものだった。


「さて、もう良いかしら? 私はこの領地フィルモアのヴァンパイア、レーリア・クローデット。警告するわ、これ以上領地を荒らせば、容赦はしないわ。ヴァンパイアは人を殺さないけど、例外もある事を知る事になるでしょう。良い? 次にこの地で会ったらあなたのきれいなお顔が恐怖に歪むわよ。そして、あなたが大陸で私の事を誰かに話せば、それはあなたの死と同義となるわ。努々ゆめゆめ忘れないことね。あなたの良識に期待するわ。」


 仰々しい脅し文句を残し、そしてレーリアは身を翻して、そのまま闇に消えていった。


 実際には数秒であろうが、体感的には永劫とも思える時間、カーティスは立ち尽くした。


「……助かったのか?」


 まるで意図的に止められていたねじ巻き式の玩具が動き出すかの様に、急に頭が回り始める。


 殺人現場で殺人犯と対峙したのに助かった?

 フィルモアのヴァンパイア?

 大陸でヴァンパイアの事を話すな?


 駄目だ。考える事が多すぎて思考が追い付かない。

 しかし、死を覚悟したその直後に、命が助かったことが確定した。カーティスにとって、どうやらそれだけは、喜んでも良さそうな事実だった。


(それに……さっきの……言葉。)


「おい! 何があった!?」

「カーティス! 大丈夫!? 銃声がしたけど!」


 騒ぎを聞きつけ戻ってくるウォーレンとシャロン。二人に虚ろな目を向けるカーティスを見て、シャロンは戦慄を覚えずにはいられなかった。彼女は、こんな彼を見たことが無かった。


「……いや、何でもない。」


 ポツリとそう言う彼に、シャロンは「てめぇ、何でもないわけねえだろ!」と、怒鳴りそうになったが、それをウォーレンに制されて、しぶしぶ口をつぐんだ。


「そうか、わかった。ひとまず宿に帰ろう。話は落ち着いてからだ。」


 どう考えても正しいウォーレンの言葉に頷くカーティス。そしてウォーレンは、先に身を翻し、大通りへと向かって歩き出した。

 シャロンもそれに従い、その場を立ち去ろうとしたが、その場を振り返った。

 そして、その時発せられた、何もない虚空を見つめながら呟いたカーティスの言葉を、シャロンは聞き逃さなかった。


「ヴァンパイアは……人を……殺さない?」


(つづく)

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