第30話 縁談の話

 あのころ真一郎は営業課長として、関連会社の営業活動をしていた。そのときに或る会社の受付嬢をしていた房江と出会っていた。

 彼女は感じがよく気さくであり、真一郎はそれから何かと彼女を連れ出して食事に誘ったり、絵の展示会などを二人で鑑賞しているうちに、お互いが惹かれ合っていた。


 彼の旧姓は正木真一郎と言い、そのときには独身だったが、浦島慶次からの縁談の話もあり迷っていた時期でもある。慶次は業界では顔が広く、彼と近づきになれば仕事上でも有利になり、伸び悩んでいた彼の会社での地位も確保されると聞いていて、その魅力にも惹かれていた。


 具体的には、慶次の娘との結婚であり、その婿養子となることだった。その話しに真一郎の会社の社長は乗り気であり、そうなれば彼に会社を譲りたいというように、慶次とは話が進んでいたようだった。もし、真一郎が房江と出会っていなければ、すんなりとその話は進んだだろう。


 そのなかで、彼は慶次の娘の愛子と見合いをした。愛子は取り立てて特徴が無い女性だったが、可も無く不可も無いという感じだったが、愛子の取り巻きはその話しに乗り気だった。


 真一郎は母子家庭であり、母の正木咲江も乗り気だったが、彼自身はあまり気乗りがしなかった。


 その話がある前から真一郎は鮎川房江とデートを重ねているときだったからであり、それを真一郎は母親の咲江には言っていなかった。真一郎が社長の佐野敬一からその話をされた時には軽く考えていた。始めは彼の上司でもあり、しつこく言う佐野の面子めんつを立てるためということで軽く考えていた真一郎だった。


 その日のお見合いでは、世話人は佐野だった。

 その場所は有名な高級レストランで行われた。見合いの相手の親の浦島慶次は業界では名が通っていて、真一郎も一目置く存在だった。


 しかし、その娘の愛子は父親とは違って、礼儀正しかったが、大人しい性格で、とりたててどうという感じでは無かった。それは、真一郎が少し前に美しく優しい鮎川房江に出会っていたからだろう。お見合いの席で真一郎の心はそこには無かった。しかし、そんな彼の心を知る人物はいない。


 それからの彼は返事をするのに躊躇っていた。彼の気持ちは鮎川房江にするか、浦島愛子にするかを迷っていたわけでは無い。心は房江と決まってはいたが、社長であり恩義がある佐野敬一の顔を直ぐには潰したくなかったからだ。

 お見合いから数日したとき、真一郎は会社で佐野に呼ばれた。


「どうかね、正木君。浦島愛子さんとのことは、もう決めても良いんじゃ無いかな」


「はい、社長。もう少しお待ち下さい。私にはまだやらなければいけないプロジェクトがあります。それを終わらせるまで猶予をお願いしたいのですが……」


「ふむ、そうか。プロジェクト・リーダの君なら仕方が無いが、出来るだけ早く結論を出してくれたまえ。あちらも返事をお待ちなのでね」


「はい。承知しました」


 こうして真一郎は社長室から下がっていったが、この時には真一郎はすでに鮎川房江と親密に付き合っており、彼女に心が惹かれていた。これ以前にも何度か房江のマンションを訪れており、この二人にはすでに肉体関係があった。


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