十一話 見当はずれの愛

  ニグラトと神無が出目を操作できなくなっても当然だがゲームは続けられた。二人はそれに対して特に何か言うこともなく淡々とゲームを続ける…………流石に環は困惑した様子だったがニグラトが何も言わないのでそれで納得することにしたらしい。


「いやもうおかしいでしょ」


 唯一納得しないのは環だけだった。良くも悪くもこの場で蓮太に次いで普通の感性を持つ彼女…………それでいて少しばかり頑固な面を持つ彼女は目の前の異常を看過できない。一度はさじを投げたのだとしても、それが形を変えたならやはり見逃せなかった。


「環、彼は何もしていない」

「そんなわけないでしょ!」


 宥めるように口にする神無に環が声を張り上げる。いかなる理由によるものかニグラトと神無の出目はごく普通のランダムな目となったが、その代わりに蓮太の出すダイス目はありえないほどの幸運に偏っていた。


 二人の幸運が乗り移ったような形ではあるが、その二人の幸運は技術という名のイカサマによるものなので環の目が厳しくなるのも無理はない。


「くふふ、あらぬ疑いを向けるのは頂けぬの」


 そこにニグラトが口を挟む。


「確かにわしやそこの阿呆はダイスで好きな目を出しておったがな、力は使わぬという約定故に普通の人間とやらにも可能なら範囲の技術で操作しておった…………しかし今の旦那様が損な振り方をしておるか?」


 ダイス目に技術介入するならそれはそういう振り方をするという事だ。力加減や振り方で回転の方向や回数を操作することで望んだ目を出す…………しかし今の蓮太は単純にある程度の高さから握ったダイスを落とすだけという振り方をしている。


 幸運続きでイカサマを疑われたくない彼が身の潔白を示すためにそうしているのだが、結果としてダイス目は変わる事無く蓮太に幸運を与え続けた。


「あんたの力で操作してるんじゃないの?」


 技術ではないのなら超常の力。確かに蓮太とニグラトは報酬を賭けた敵同士ではあるが、彼を心の底から愛しているだと口にして憚らない彼女であれば勝利を譲ろうとする可能性はゼロではない。


「わしが同意したのは普通の人間の範疇を超えるイカサマが発覚したら失格となるという契約じゃ…………当然それはわし自身ではなく旦那様を対象としてイカサマを行ったとしても対象となる。それをそこの阿呆が指摘せんという事はそういう事じゃ」


 ニグラトがそんな真似をしたなら神無が指摘しない理由はない。彼女からすればニグラトが約束を守らない存在であると証明し、蓮太からの信頼を落とす絶好の機会だからだ。


 仮にそれをしないとしたらニグラトと神無が共謀して蓮太を勝たせようとする場合だが、流石に環も神無がそんな真似をする理由がないことはわかる。


「それなら八月自身がその力とやらを使ってる可能性は? 本人は否定してるけどあんたらや祀はそうじゃないと思ってるんでしょ?」

「いや、俺はそんな力なんて本当に持ってないんだが」

「それを無自覚に使ってないって保証はあるの?」

「それは…………」


 蓮太自身には証明しようがない。彼自身は自分が普通だと思っているし、仮に環が言うように無自覚に使っているのだとしたらそもそも自覚が無いのだから気づきようもない。


 もちろん無自覚とはいえ力を使っているなら普通ではないことが起こっているわけで、後から思い返してもしかしたらと気づく可能性はある…………けれど今のところ蓮太には記憶を漁ってもそんな異常はない。ただただニグラトや祀に振り回されている記憶だけだ。


 そしてぶっちゃけた話今の彼はこんなあからさまな出目を望んでいない。仮に自分が無意識に出目を操作したのだとしたらそれは勝つための幸運を願った結果だろう。しかしそもそも彼は勝とうと思っていなかったし、今やその出目はいらぬ疑いを招く迷惑なものでしかない…………いくら無意識とはいえ望んでいない事を叶えたりはしないのではないだろうか。


「最初にも言ったが、旦那様は何もしておらぬよ」


 そしてそんな彼の心情をニグラトが肯定する。


「環、本当だ。蓮太君は何もしていない」


 さらに神無も続いて蓮太を庇う。


「…………じゃあ、この結果は何なんなのよ。いくらなんでも偶然じゃ片付けられないわよ」


 誰も何もしていないと主張しても、結果が何かがあるのだと物語っているのだから。


「そんなものは簡単な話じゃ」


 しかしニグラトはその答えを示すのは容易いと環を見て嗤う。


「旦那様はこの世界に愛されておる、それだけの話じゃ」


 そして自らの思い人を自慢するように誇らしげな視線を蓮太へと送る。


「本気で偶然って言いたいわけ?」


 もちろんそれで納得などするはずもなく、環がイラついた声を挙げる。もちろん確率で言えばこの結果はゼロではないだろう…………しかしそんなものは現実においては所詮言葉遊びでしかなく、限りなくゼロに近い確率ならば実質ゼロなのだ。


「偶然ではない」


 けれどニグラトはそれを否定する。


「起こるべくして起こるのだからそれは必然じゃ」

「意味、わかんないんだけど」


 理不尽が限界を超えたのか環のその声がむしろ冷淡に近づいていく。


「環、本当なんだ。今彼は世界に愛されているんだよ」


 まるで懇願するような神無の声に環が彼女を見た…………そこにあったのは不安げというか怯えるような表情。それに思わず胸の中のイラつきが消えて疑問が浮かぶ。一体神無が何に対して怯えているのかが環にはわからなかった。


 その相手はニグラトではなく蓮太でもなく、もちろん自分や祀でもないだろう…………この場に存在しない何かに対して怯えているようで、それでいて今も見られているのだというように落ち着かず視線を散見させている。


「…………」


 そんな会話が目の前で繰り広げられていると流石に蓮太も察するものがある。不本意はあるが彼はニグラトや神無以外にも人知を超越した存在というものに最近遭遇したばかりだ。あの鳩が本当にこの世界の神の遣いであるというのなら、今この場で起きていることをも不思議ではない。

 

 コロン


 その予想を確認するように蓮太は手番のダイスを振る。手のひらから落とされたそのダイスは自然でおかしな様子はまるでない…………けれどその出目は的確に彼を幸運へ誘う。世界そのものが蓮太を愛しているのだと神無は評した。彼自身が何もしなくても世界そのものが蓮太の有利になるようにその身を変化させる。それがこの結果だ。


「…………違う、違うだろ」


 確かに蓮太は普通を望んだが幸運までは求めていない。ニグラトと神無の出目が操作されなくなったのは良しとしても望みもしない幸運はむしろ迷惑だった。


「ただ、神様に気に入られるのって必ずしもその当人にとって良いこととは限らないからね」


 そんな鳩の言葉が思い出される。気に入られたから蓮太の普通に遊びたいという願いが叶えられたのだろうし、気に入られたから好意で幸運というおまけがついたのだろう…………なるほど、確かに良くはないと蓮太は実感する。


 人と神ではその感性が大きく違う。人が蟻の気持ちなど理解できないように神は人の気持ちなど理解できないのだ…………だからこそニグラトは自らを人の範疇まで堕とす事で蓮太の傍にあろうとしたのだが、この世界の神は変わらぬ存在しとしてそこにある。


 そんなものが蓮太に何かしようとしてこの程度済んだのはむしろ幸運ではないのかとすら思う。それこそ蓮太以外の全員の存在を歪めて無理矢理ボードゲームを楽しむようにされていたとしてもおかしくなかったのだ。


「あー、もう遅いし終わりにしよう」


 故にこれ以上続けるのは不味いと蓮太は判断した。現状で彼がこのゲームを楽しめる要素はゼロとなったのだ。そんなゲームを嫌々続けてしまえばさらなる介入を招くような気がする。


「なによあんた、なにもはっきりしてないのに逃げる気?」

「俺もこの場の誰も何もしてないのは確かだ…………でもこのままじゃまともなゲームにならないのも確かだろ」


 解決するにはこの世界の神様を説得するしかないが、そんな真似をこの場では出来ないしやろうとした方が余計に悪化する気が蓮太にはしていた。


「あんたそんなこと言ってやっぱり何か誤魔化そうとしてるんじゃ…………」

「環!」


 さらに詰め寄ろうとする環を慌てて神無が止める。


「何度も言うが彼は何もしていない。だから止めてくれ…………」

「…………さっきからあんたちょっとおかしいんだけど」


 直接この世界の紙から加護を受けている神無は何が起きているのかを理解しているが、事情を理解していない環は困惑するしかない。説明すれば済む話ではあるが神無の方は神の介入を明かす事でその不敬を買わないかと恐れている。


「私は別に構わないけど…………」


 祀は特に望むものがあって参加していたわけではない。しかしその視線はニグラトに向けられていて彼女次第だと告げていた。


「当然わしには認められぬ話じゃな」


 しかし当のニグラトははっきりと拒絶を口にした。


「なんでだよ」

「わしの得るはずだった報酬がなくなるではないか」


 もちろん彼女の勝ちが決まっていたわけではないが、賭けの報酬が目的でニグラトが本来は興味もないゲームに参加していたのは確かだ。ゲームが流れて報酬も流れるというのでは完全に無駄な時間を過ごしたことになる。


「勝敗を付けて報酬を分配するところまでがこのゲームの契約じゃろう? それは果たしてもらわねばな」

「わかった」


 溜息を吐いて蓮太は頷く。


「それなら俺の負けでいい。だから賭けの報酬は全員に払う…………それでどうだ?」

「くふふ、それならば契約の許容の範囲内じゃろう」


 笑みを深めてニグラトは同意する。


「えっと、蓮太君全員ってことは私も?」

「ああ」


 彼の負け以外の勝敗を決めずに終わるのだからニグラトだけ勝ちにするわけにはいかないだろう。しかし勝つつもりのなかった祀にとって予想外に得られてしまった報酬は困惑するものだったようだ。


「私はあんたからのハグはいらないわよ」

「…………別にハグに限定されてない」


 ニグラトからの要望は抱きしめる事だが、あくまで報酬はそれを基準にした命令権だ。


「報酬の支払いは後日ってことでそれまでに考えておいてくれ」


 皆決まっていないだろうし、流石に今これからというのも蓮太が困る。


「それじゃあ今日は解散で…………ニグラト、俺は寄って行くところがあるから先に帰ってくれ」

「よいが、旦那様はどこに寄り道するつもりなのじゃ?」


 尋ねたのはニグラトだったが、その場の全員が蓮太に視線を向ける。


「…………屋上」


 うんざりした表情で、天井を見上げながら蓮太は答えた。

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