六話 部活動をしよう
「部活動とやらをしようではないか」
「いきなり何を言い出すんだよ」
いつも通り午前の授業を終えての昼休み。屋上で弁当を食べているとニグラトがそんなことを言い出して蓮太が反応する。彼の通う高校において部活動は推奨であって強制ではない。特にスポーツもしておらず文化系の部活に興味も無かった蓮太は帰宅部だったが、仮に所属していてもこんな状況になった時点で退部していただろう。
「なに、わしなりに旦那様の望む平穏というものを考えた結果じゃ」
「…………それでなんで部活動?」
蓮太にはさっぱり繋がりがわからない。
「学生とは部活動をして青春を満喫するものなのじゃろう?」
「その考えは偏ってないか?」
間違いとは言わないが当てはまらない学生も大勢いるはずだ。少なくとも蓮太は元から部活動へは参加していなかったし、それで青春を感じられなかったわけではない。
「えっと、部活動っていうのはわかりやすい学生要素だから」
補足するように祀が口を挟む…………まあ、その通りではあると蓮太も思う。部活動は学生生活と言われて確実に頭に浮かぶ要素ではあるだろう。
先日平穏が欲しいと彼は口にしていたが実際のところ蓮太が望むのは普通の生活という奴だ。もちろんそんなものはニグラトという常識外の存在が身近にいる時点で望むべくもないが、僅かな時間だけでもかつての普通を思い出すことは出来なくもない。
例えば今の蓮太は授業中だけは以前の日常を思い出せて癒しになっている、それと同じように部活動というわかりやすい学生要素を追加することで癒しにしてはどうかという話なのだろう。
「私は賛成する」
そこにさらに神無が賛同の声を上げる。神無と環の二人は蓮太達の昼食に参加したりしなかったりだが今日は参加していた。隣の環もそれには反対は無いようで口こそ開かないものの神無を
「ま、お主の立場からすればそうじゃろうな」
一応は蓮太を巡る恋敵であるはずのニグラトと神無だがその立ち位置の差は大きい。ニグラトが一定の信用を得た上で蓮太と同居しているのに対して、神無はまだ彼からそれほど親しくもない知人程度にしか思われていないのだ。
その差を覆すためには蓮太と過ごす時間を増やすしかないが、今のところ神無と蓮太の接点は学校にいる間しかないのだ。基本的に蓮太は授業が終わると居残る事無く帰宅してしまうし、だからといって彼の家に押しかけるのは現時点では好感度を下げる効果しかない。
しかし蓮太がもし部活動を始めるのなら神無も同じ部に参加することで一緒にいる時間を増やすことができる。だからニグラトの提案であっても神無は賛同したし環も反対しなかったのだ。
「私に都合がいいのも確かだが、実際のところ君の息抜きにもいいんじゃないか? どうせ家に直行したところでそこの人外と息詰まる時間を過ごすことになるんだ、私と環であれば比較的君に近いところで会話は出来ると思っている…………それにこんな状況だからこそ新しいことをするのも新鮮味が感じられていいだろう」
「…………」
言われてみるとその通りではあると蓮太は思う。ニグラトを信用することに決めたとはいえ彼女との同居で完全に気が抜けるようになったわけではない。もちろん以前に比べれば全然マシにはなっているが、やはり彼女との価値観に相違があるせいで話していても冷汗が湧くようなケースが多々としてある。
それに対して神無や環はその言葉通り同じ目線で会話が出来てはいるのだ。もちろん神無自身も普通の人間からは多少逸脱した思考だし、前よりマシになったとはいえ環は依然として彼に敵意を抱いている…………だがまあ、ニグラトのように邪悪であったり祀のように崇拝されているよりはだいぶマシだ。
「まあ、確かに気分転換にはなりそうではある」
考えてみると蓮太が授業の終わりと同時に自宅へ直行しているのは他の生徒たちの目が気になるからだ。祀と神無の
しかし多くの生徒が帰宅する放課後で、活動する場所の限定される部活動ならそれもマシにはなるだろう…………学校にいて他者に注目され事から解放されるのならそれは確かに息抜きになる気がする。
「では何をするかじゃな」
蓮太が乗り気になったのならそれが神無のアシストによるものであろうとニグラトに反対する理由はない。手早く話を進めていく。
「そう言われてもなあ…………いきなりだし、そもそもやりたい部活があったらもうやってだろうし」
そういう部活が無かったからこそ蓮太は帰宅部だったのだ。
「今のあんたならどんなスポーツだってできるんじゃないの?」
つっけんどんとした口調でありながらも環が口を開く。未だ彼に敵意を抱いている彼女ではあるが、祀から蓮太を引き離すという目的の元に神無へ協力している。その進展の為なら意見を出すのもやぶさかじゃないという事なのだろう。
「確かに今の蓮太君なら何を始めても大会優勝間違いなしだね」
「…………いや、俺の運動神経悪くもないけど飛び抜けてもないんだが」
祀はなぜか買い被っているが蓮太の運動の成績は平均を下回らない程度のものだ。見苦しいようなレベルではないが運動系の部員連中には見劣りする…………今から始めたところで飛び抜けた成績を出すのは難しいだろう。
「くふふ、旦那様は相変わらずじゃのう」
そんな彼を愛おし気にニグラトは見やる。それと対照的に祀はどこか不満そうな表情ではあるが、ニグラトが彼の在り様を許容しているので何も言えないという様子だった。
「いや、八月あんた…………なんていうか、すごいんでしょ?」
しかし環はそんな空気を読まず口を挟む。疑問形になっているのは、彼女は蓮太が人間離れしたところを見たことがないからだ。もちろんそれに関しては彼女以外の人間も同じではあるのだが、あくまで無意識に彼への脅威から敵愾心を抱いている環と違って他の三人は意識的に蓮太という存在を図れている…………その差だ。
「いや、すごいって言われても自分ではわからないんだが」
ニグラトの好意を信じると決めてからもそれは変わっていない。彼女の好意を信じるという事はその言葉も信じるという事ではあるが…………結局のところ蓮太自身に何の自覚もないのでどうにも信じ切れない。それは彼が普通でありたいと思い込んでいるからなのだとニグラトには言われているが、無意識らしいので結局は真偽を判断できない。
「そんなもん試してみればいいじゃない」
それに対する環の意見は簡潔だった。自分ではやれないと思っていてもやれる力があるのなら影響は出る。その本領は発揮できずともその片鱗くらいは見えるはずだろう。
「無駄じゃ。旦那様は単純な思い込みではなくその力で自身を普通であると定義しておる。つまり今の旦那様は肉体的に限りなく普通の人間と変わらぬ存在じゃ…………よほど大きな刺激でも与えぬ限りは変わらぬであろうよ」
「…………つまり今なら殺せるってこと?」
「それが大きな刺激じゃな」
くふふ、と未だ彼を殺すことを諦めぬ環をニグラトは嘲笑う。
「…………こいつ」
そんなニグラトを環は睨みつける。
「環ちゃん」
そんな彼女の名前を祀が冷たく呼ぶ。
「ニグラト様への不敬は見過ごせないよ」
「…………わかってるわよ」
必要があれば自分の親友は躊躇いなく殺しに来ることを環はもう理解している。
「まあまあ、喧嘩は止めようじゃないか…………それに私としても無理に八月君が力を自覚する必要はないと思うよ」
「なんでよ」
「別に彼が今の状態で満足しているのだからそれでいいと思うだけだよ」
実際のところを言えば神無にとって都合がいいからだ。篭絡するべき相手とはいえその力を自覚して振るう様になられれば状況がより面倒になるのは間違いない。
「まあ、確かに私のせっつくような話でもなかったわね」
そこまで読み取ったかどうかはわからないが、神無のサポートを自分の役割りとしている環は素直に引き下がる。
「でもそれならスポーツ系はなしってこと?」
「いや俺としては別になしではないけど」
蓮太としても辛ら打を動かすのが嫌いなわけではない。
「でもまあ、運動系は部員が多いところばっかりだしなあ…………というか運動系に限らず部員の多いところは避けたい」
「なんでよ」
「注目されるのは間違いないし…………単純に考えて迷惑だろ」
「あんたが迷惑なのは今更だけどまあ、そうね」
ひどい言われようだが殺すと言われるよりはマシかと蓮太は苦笑する。ただでさえ日中さらし者になっているのに部活でさらに注目されるのは勘弁だし、この場のメンツが一緒に入部することを考えれば迷惑以外の何物でもない。
実際のところは喜ばれる可能性もあるというか現状を考えればそれが高いのだが、蓮太としてはその方が余計に嫌だ。
「ではこの場の五人で新しい部活を立ち上げたらどうだろう」
そこに神無がそんな提案をする。
「それなら誰にも迷惑は掛からないし八月君も落ち着ける」
「…………別にそこまでしなくても」
蓮太は別に提案されてそれもいいかと思っただけで、どうしても部活動がやりたいわけではない。
「くふふ、まあ余計な有象無象がおらぬ方が旦那様も余計な気を揉まずに済むのではないかの?」
「それはそうだけど」
蓮太が言いたいのはそこまでしなくても部活を諦めればいいだけではという話だ。
「えっと、恋愛研究部なんてどうかな?」
「いやなんだそれ」
祀の不意の提案に蓮太は本音で突っ込む。
「よいのではないか?」
「私はそれでいいと思う」
しかしそれをこの場で強い決定権を持つ二人が即座に肯定する。
「あー、いいんじゃない…………それで」
それに心底馬鹿らしそうに環が賛同を口にする。祀はニグラトに逆らわないしそもそも賛同者なので、これで蓮太以外の全員が恋愛研究部に賛成したことになる。
「いや、なんだそれ」
もう一度蓮太は意味がわからないと呟いた。
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